第48話

文字数 1,012文字

 元亀四年、信玄が遂に病没した。最期は甲府でとの思いで陣を引き払い引き返したが、途上で息を拭き取った。影武者が立てられたにもかかわらず、信玄の死から四日後には上杉、織田、徳川はその機密を知り得ていた。

 庄助から飛び立った伝書鳩は琵琶湖畔で漁師として住み着いている、九郎の許に届いた。本来ならば小十郎の処へ届くはずのこの密書が、九郎の手元に届いたことが一種の誤算だった。てっきり自分宛の密書と思った九郎は、幾重にもかけ回してある蝋封を破ると、ひと息に読み眉根をきつく寄せた。

「お屋形さま亡き後は、武藤どのに従えだと? 頭領さまは何を考えておいでだ。しかも小十郎どのと於小夜どのばかりで、俺にはひと言もなしとは」

 これまで骨身を惜しんで働いてきただけに、九郎は頭領から捨てられたような気持ちになった。小十郎は頭領の覚えがめでたいし、於小夜は姪。扱いがあまりにも違いすぎることに憤慨した。

「九郎どの、九郎どの」

 いくら激怒し我を忘れていたとはいえ、声をかけられるまで人の気配に気付かなかったことは、不覚としか言いようがない。我に返った九郎が懐の手裏剣を掴んだときには、はっきりと顔が認識できる距離に若い男が立っていた。

「お久しゅうございます、九郎どの」
「おお、佐助(さすけ)ではないか。久しいな」

 そこに立っていたのは、九郎とさほど年の変わらぬ下忍の佐助だった。この者も若いながら腕が立ち、庄助が真っ先に喜兵衛のもとに預ける約束をした。猿飛術が得意で、小柄な体躯ゆえに敏捷性に優れ将来を有望視されている。

「お屋形さまが、御隠れになりました」
「なんだと、お屋形さまが?」

 あまりの衝撃に、九郎が一瞬だけ我を忘れた。その間隙を突いて、佐助の手から光る物が飛ぶ。矮小な佐助の肉体に合わせて造られた小ぶりな手裏剣は、九郎の喉笛に深く食い込んだ。

 何をするか。

 そう言いたかった九郎だが、ごぼごぼと泡吹く音しか喉から洩れてこない。倒れた九郎を佐助は何の感情も宿さぬ冷たい目で見下ろし、突き刺さった手裏剣を引き抜く。途端に鮮血が地面を染め、身体が断末魔に蠢く。

 やがて完全に動かなくなったことを確認すると、佐助の体躯からは想像もつかぬほどの膂力で遺体を持ち上げ、琵琶湖に沈めた。

「ふむ。於小夜さまと小十郎どのに、連絡をつける事になるとは想定外だったが、頭領さまに命ぜられた事は果たした」

 あとは自分が伝えれば済むことと、佐助は小十郎の許へと駆け出した。
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