第17話

文字数 1,207文字

 淡々と事実だけを告げる小十郎の表情は、ひどく冷たいものに見えた。だがそれが忍びだ。例え主君の嫡男といえど裏切りが発覚したならば、廃嫡となり処分が下される。小十郎は冷徹に太郎義信と通じていた今川に潜入し、証拠を掴み信玄に報告した。

「若殿が、今川家と」

 武田家の嫡男として、威風堂々たる若武者の姿しか知らぬ於小夜にとって、裏切り行為は信じがたいものがあった。だがこの事によって、信玄が東海道を進む口実ができたことに違いはない。今川を滅ぼし、次は尾張の織田。自分がお市に仕えているのも、彼女が何処に嫁ぐかを探るため。嫁ぎ先によっては信長を包囲して討ち取ってしまうことも可能だ。

 しばし太郎義信の裏切りに茫然自失となった於小夜だが、不意に廊下に漂う人の気配に慌てて眠ったふりをした。同時に小十郎は部屋の片隅の闇に己の身を隠し、じっと息を殺す。

(織田の忍びが、廊下にいる)

 二人は緊張に包まれながら、各々の武器をそっと握りしめた。やがて襖が音もなく開き、微風が部屋の中に入る。同時に忍び装束に身を固めた者が一人、息を殺して滑り込んできた。

 その刹那。小十郎の手から手裏剣が放たれ、それは正確に侵入者の喉を貫いた。手裏剣を投げ打つと同時に小十郎は走り、侵入者の口を手で塞ぎ声が漏れぬようにした。

 喉仏に食い込んだ手裏剣を伝って血が滴るが、小十郎は己の袂でそれを受け止めると、於小夜に向けて手を差し出した。何か布を裂いて寄こせという合図だ。於小夜は己の襦袢の袖を引き裂くと、小十郎に渡す。彼はきつく敵の喉へそれを巻き付け、これ以上の出血を抑えると遺体を肩に担いだ。

「於小夜。俺も、もしかしたら織田家で働くことになるやもしれぬ」

 それだけを言い置くと小十郎は、遺体の重さなど感じぬかのような身軽さで、部屋を出た。死体を担いだままこの小牧山城を脱出するには、相当な苦労があるだろうが、一人で城に潜り込むはずがない。他に仲間がいて、安全に脱出するのだろう。

(小十郎どのも、織田家に)

 そう思うと何やら安心する。刀鍛冶師の清四郎も忍びだが、彼は小十郎のように城に潜り込み情報を掴むというような技に秀でていない。於小夜一人きりだった今までに比べ、心強い味方がいることが彼女を安堵させた。しかし於小夜は(たお)された忍びが、何の目的でこの侍女部屋に来たのか気になった。

 もしや自分の正体が露見したかと、急に不安になった。だが闇の中で何度思い返しても、ぼろを出した記憶はない。もしかしてこの部屋に眠る侍女たちの中に、自分が気付かなかっただけで敵の忍びがいるのかと思うと、まんじりともしないで夜を明かすこととなった。

 常人ならば寝不足で身体が辛いところだが、忍びは鍛え方が違うので一晩くらい眠らなくとも平気だ。それとなく注意を払ってみても、誰も昨夜のことを噂していないので、小十郎たちは無事に逃げ果せたのだなと安堵する。

 だが、その考えは甘かった。
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