第28話

文字数 1,083文字

 元亀元年は織田と浅井家の蜜月が終わりを告げる、きっかけとなった年である。

 朝倉義景が信長を嫌ったのは、将軍義昭を奉じていることを理由に正月の挨拶に来いと書状を送ったことが原因だった。義昭が単独で京にいるならばまだ良い。例え過去に自分を頼ってきたのにあっさりと見限り、信長の許へ去ったという怒りや恨みも義昭が将軍という地位にある現在は抑え込める。だが、背後にいる信長の傀儡に成り下がっていることは明白である。参賀に来いということは、取りも直さず信長に頭を下げに来いということだ。

「おのれ無礼な。公方さまを傀儡にしただけでは飽き足らず、己が天下人になったかのような振る舞い。公方さまも公方さまよ、情けない。誰が参上するものか!」

 義景は激怒しその場で書状を破くと、使者を即刻に追い出した。怒りが収まらぬ義景は、密かに届いた義昭の密書を取りだすともう一度じっくりと読む。幾度も読み直す内に、義景の心も落ち着きを取り戻していく。

(信長の所業に公方さまも手を焼いておられる。一度は我が屋敷に御逗留され、庇護下にあったお方を、やはり見捨てるわけには参らぬ)

 密書を懐に忍ばせると、義景は障子を開けて木々を眺めた。一乗谷城は東西南は山に囲まれ、北は足羽川が流れる天然の要害である。周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。

 応仁の乱により焼け野原になった京から逃げ延びてきた多くの公家や僧侶、文人学者といった文化人達が、この越前の地で貴族文化を花開かせた。そういった影響もあって義景も風雅を愛し、屋敷の庭で歌合わせや蹴鞠も催されていた。そんな越前の地だったからこそ、義昭は義景を頼った。京の文化が色濃く、且つ京に近い国だったからだ。

「守護大名にとって、何よりも大事は公方さまの安全。あのような礼儀知らずの許に居られては、幕府の権威に傷が付くというもの」

 義景は何かを決意した顔になると、祐筆を呼ばず自ら筆を取った。さらさらと何かを書き付け、使者を立てて送り出す――長年親交のある、浅井家へと。

 浅井家に将軍義昭の密書が届き、その内容に真っ先に歓喜したのは、他でもない隠居の身となっていた浅井久政だ。長政が信長の妹を正室に迎えていることを承知していた義昭は、周到にも久政に密書を送っていたのだ。

 隠居したとはいえ、久政は五十代。まだまだ第一線で働けるし、久政麾下の者たちも長政をいつまでも若殿扱いにする。信長など信用できぬ、長年の盟友である朝倉家と永劫手を結び続けておれば良いと声高に主張し続けてきた久政は、将軍の密書に歓喜の表情を隠そうともしなかった。
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