第39話

文字数 1,408文字

 浅井家も重臣である遠藤直経(なおつね)や、長政の弟である浅井政之など多くの家を支えてきた人物を喪った。特に遠藤直経は、浅井軍の劣勢が決定的なものになったと判断すると策を弄して信長の首を狙った。直経は長政の(もり)役的存在である為、何としてもこの戦を勝利に導きたかった。素早く長政の傍に馬を進めると、決意を述べる。

「殿、拙者は一世一代の大勝負に賭けてみようと存じます」
「な、何をする気だ」

 長政は何かを感じ取り引き留めようとしたが、直経は御免とひと言残し去ってしまう。徐々に長政周辺にも敵の勢力が押し寄せてきており、撤退せざるを得なくなった。

「退けい、一旦城まで退けい」

 長政の命令が、伝令を通じて全軍に通達されようとしていた。乱戦の中、もう長政がどこにいるのかすらも判らない。だが小谷城へ引き上げたことだけは、伝令の声で判った。直経は密かに安堵し、唇を噛みしめる。

(殿、貴方さまは浅井家にとって希望なのでございます。どうかご無事で。我が身に何が起ころうと、必ずや信長の首級は、挙げてみせますぞ)

 直経は横山城を守っていた、味方の三田村国貞の遺体を発見した。未だ首は取られておらず、無念の表情を刻みつけたまま絶命している。

「許せ」

 三田村国貞の首をその場で掻き切り、近くに転がっていた織田軍の兵から指物を引き抜き、己のものと交換する。

 そのまま織田の本陣を目指して一目散に駆けた。首級を手に掲げながら大声で、
「注進、殿はいずこにおわすか、注進でござる」
 叫びながら、織田本陣へと突き進んでいった。

 顔も鎧具足も血脂にまみれ、誰もが敵の重臣が単身で本陣に乗り込んできたとは思ってもいない。道を譲り、本陣の奥深くへと直経の身体は吸い込まれていく。やがて床几に腰掛ける、南蛮渡来の派手な鎧に身を固めた信長の姿が視界に入った。

(おお信長の首、討ち取ったり)

 直経がそう確信した刹那、予想外の事がおきた。突如、彼の突進は馳せ参じてきた武者によって止められ、横倒しにされてしまった。組み合った二人は、互いの血脂にまみれた顔を間近に見た。直経は自分を組み伏せる人物の顔に、覚えがある。

「竹中どの、重矩(しげのり)どのか?」

 竹中重矩とその兄である重治(竹中半兵衛のこと)は、元は美濃の斎藤龍興に仕えていた。しかし信長の美濃攻略の際に齋籐家を離反、稲葉山城を乗っ取り信長に与した。齋籐家を離れて暫く客分として浅井家に身を寄せていたために、長政の側近である直経の顔も声も良く覚えていたのだ。

 二人は組み合っているために、長柄槍も脇差しすらも使えぬ。周囲の将兵は信長の身を守るようにして並び、同時に槍ぶすまを作り竹中重矩が敗れたときは、即座にこの敵を仕留めんと構える。

「おのれ遠藤め、ようも上さまの首を狙いおったな」
「退けい竹中。お主の素っ首なぞに、用はない」

 二人の身体は上下の位置が激しく入れ替わり、織田の将兵も手が出せずにいた。揉み合う両名は、小柄を手にしている。互いに相手の急所を突こうと必死だ。周囲は見守ることしかできなかったが、ついに竹中重矩の小柄が遠藤直経の喉に突き込まれた。

「む、無念……今ひと息という所で」
 直経はそのまま捕らえられ、首を撥ねられた。直経の正体を看破し信長の危機を救ったという手柄は、高く評価された。

 重矩は兄の重治が病死した後、秀吉の与力として仕えた。本能寺の変で信長が憤死した同年に、彼は美濃郡で起きた一揆と戦い戦死したという。
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