第26話

文字数 1,606文字

 信長からの誠意のこもった手紙を読み長政は、やはり手を組んで良かったと心より思った。自分の国は京に近く、最近とみに戦を仕掛けてくる六角氏を討ち滅ぼすためにも、義兄・信長の協力は必要不可欠だった。

 信長の軍勢は、上杉や武田と比べると団結力という点では弱い。信長の恐怖政治による支配で成り立っているようなもので、本気で上杉や武田とやり合えば、勝ち目はない。だが、これが京に異変が起こると最短でも三日で上洛し、暴れ回る三好一派を蹴散らす。

 お陰で京童は、
「織田はんが守ってくれはるさかい、安心や」
 と喝采をあげ、疲弊し力が失せた足利将軍よりも、信長の台頭を歓迎した。

 この頃の足利幕府は十三代将軍の義輝が、三好衆によって暗殺されていた。義輝は剣豪塚原卜伝の直弟子で、奥義である一之太刀を伝授されたとも云われるほど、腕に覚えのある将軍だった。政治的手腕にも長け、応仁の乱以降失墜してしまった足利幕府の権威を盛り返し、名ばかりではない将軍として辣腕をふるい、上杉や武田、信長までもが一目置く将軍であった。

 しかし、このように有能な将軍を邪魔に思った松永久秀や三好三人衆は、義輝の従兄弟である義栄(よしひで)を十四代将軍候補として擁立し、義輝暗殺に乗り出した。

 義輝は二条御所にて畳に十数本の刀を並べ、刃こぼれすると新しい刀に取り替えて応戦したという。剣豪将軍、塚原卜伝の直弟子という肩書きに相応しい奮戦ぶりを見せつけるも多勢に無勢。無念の内に討ち取られてしまった。

 義栄は、完全に松永久秀と三好三人衆の傀儡であった。義輝の同母弟で僧侶となっていた覚慶は還俗し、名を義秋とまず改め、自身を将軍位に就けてくれる有力大名を探し始めた。義秋にとって、実兄の仇である松永久秀と三好三人衆を京から蹴散らし、正統な血筋の自分が将軍に相応しいと認めてくれる、有力な後ろ盾が欲しかったのである。

 義昭と改名した後に、ようやく元服した。これが永禄十一年のことで、ちょうど長政夫妻が祝言を挙げて一年後のことだった。最初は六角氏を頼ろうとした義昭だったが、浅井家との抗争で南近江を動けずやむなく越前の朝倉家を頼っていった。京に近いこともあり、越前の国は公家や幕府との関係は深かった。

 だが十一代当主の義景は上洛よりも己の領土を守り抜くことに心血を注ぎ、公家文化を広めることにも熱心だった。主君に見切りを付けた明智光秀は、一族である信長夫人である帰蝶を頼り、尾張国へ義昭を逃がした。

 武将としても、また当代一流の文化人でもある光秀の資質を認めた信長は、義昭を十五代将軍に据えることを快諾し、光秀を麾下に加えた。

「よろしいのですか、殿」

 織田家筆頭家老を務める柴田勝家が、義昭と光秀が去った後にそう懸念を示した。彼は豪放磊落な武人であるが故に、どうも光秀のような文人とは、反りが合わぬと直感的に感じたようだ。

 信長は、自分に意見されることをひどく嫌う。じろりと冷たい目で勝家を一瞥すると、百戦錬磨の剛の者が首を縮めた。

「将軍を傀儡として操れば、京を手中にしたも同然。柴田、そちが気に病むことではない」
「は、出過ぎたことを」

 予想外に信長は怒鳴りつけるようなことはせず、ただそれだけを言うと立ち上がり場を去った。静かゆえに、却って怖かった。

(いっそ、いつものように怒鳴りつけてくれる方が、よほどありがたい)

 と、冷たい汗を背中に流しながら勝家も慌ててその場を辞し、己の屋敷へと下がっていった。

 さて、この柴田勝家の足軽として潜り込んだ小十郎は現在、そこそこ頭角を顕し始めた。無論彼の耳にも、義昭と光秀が信長を頼ってきたという噂は届いている。与えられた岐阜城下の小さな庵にも似た家で、他の足軽たちと共に暮らしながらも目を盗み、密書を認める。鳩の脚に括り付け、まずは、尾張国内にいる下忍に報せる。そこから更に夜の闇を利用して下忍が走り、甲斐国の信玄の許まで届けられる。
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