第11話

文字数 1,239文字

 どうやら久津見は上役の覚えはめでたいようで、於小夜は四日後には、清洲城にて目通りが叶うこととなった。大広間に通されて驚いたことは、忍びの気配がその場に一切無いことだ。桶狭間の合戦前に天井裏で小十郎が仕留めた者や、今川本陣の場所を突き止めてきた者が居たため、てっきり清洲城内は忍びの警護が厳しいかと思っていたのだ。

(いや武田家もそうだが、小者が忍びやもしれない。または侍女に化けているかも。いずれにせよ、ここは敵地。気を引き締めて臨まねば、あっという間に私の首など飛ぶことになる)

 後家になりきり城勤めに緊張する態を装いながらも、内心ではどのおなごが忍びか気配を探る。だがよほど巧妙に化けているのか、はたまた於小夜が未熟なのか彼女には全く判らない。

 大広間には、これから自分が仕えるであろうお市とその侍女たち、そして正室の帰蝶とその侍女たちが居た。城主である信長はまだ現れていないので、彼女は伏し目がちではあるが、(おもて)は上げていた。やがて廊下に大きな足音が響き渡り、女たちは一斉に平伏する。

 上座で信長が座す気配がし値踏みをされるような視線を、うなじの辺りに感じた。殺気にも似た気配を感じ取り、於小夜は演技ではなく身が震えた。同時に桶狭間での鬼神の如き奮戦が脳裏によみがえり、自分は果たして無事に勤められるだろうかと不安が心に湧き上がってきた。

 今の彼女は武田の忍びではなく、夫に先立たれた後家だ。いくら武士の後家という触れ込みであっても、城勤めなど畏れ多いとの思いが自然に態度に表れ細かに震える様が、他の者たちには初々しいと好ましく映った。それは信長も同様であったようで、意外にも優しい口調で面を上げよと命じた。

 目は泳ぎ身体は震えながらも面を上げると、信長はじっと於小夜を見つめる。

(な、何という威圧感じゃ。呑まれてしまうとは)

 身が竦んでしまった彼女から不意に視線を外した信長は、何やら満足げに頷くと、近くに座す妹に目を転じた。

「市、この者をそなたの侍女とする。良いな」
「はい」

 初めて聞くお市の声は、その美貌に相応しいものだった。軽やかで澄んだ声は、文字通り鈴を転がすという表現がぴったりで、於小夜の強張っていた身体から力が抜けた。

「於小夜とやら。いま天下は争乱の世じゃ。我が織田家もその渦中にいる。男たちが合戦で城を留守にするときは、おなごたちが城を命がけで守る。そなたには、その覚悟があるか?」

 またあの鋭い眼光で射貫かれ、再び身が竦んだ。於小夜は大きく息を吸い込むと、平伏しつつきっぱりと述べた。

「しかと心得ております。夫に先立たれ子もない私は、いつにても死ぬ覚悟が出来てございます」

 思いがけず言葉に力がこもったが、それは彼女の覚悟とその場の全員に伝わった。

「よくぞ申した。その心意気、大義である」

 莞爾として笑い出す信長。

「そなたの覚悟、しかと受け取った」

 於小夜が頭を下げたことを見届けると立ちあがり、来た時と同じように廊下に足音を高らかに響かせ去っていった。
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