第7話

文字数 1,066文字

 桶狭間での戦の結果や信長の行動などを、頭領の三太夫ではなく直接信玄に報告することになっている。頭領とは単にまとめ役で、命令を下すのは信玄が直々に行っていた。なので報告も、頭領を介さず信玄に直接というのが、三ツ者の暗黙の了解であった。

 二人は茣蓙に寝転ぶと、たちどころに寝息を立て始めた。他の三ツ者たちはそれぞれに下男下女としての仕事や、居館の警護に当たるために、いつの間にか姿を消していた。頭領の三太夫は、諸国から戻ってきた部下たちに待機を命じたり、諸国へ散っている仲間への連絡役を振り分けたりと忙しい。

 於小夜たちが眠ってから四半刻が経った頃、小屋の床を下から突く音が聞こえた。二回指で強く突く音が止むと、眠っていたはずの二人が目を覚まし、何の躊躇いもなく北側の床板を外した。

 人がひとり通れる穴が空いており、六段ほどの階段がある。そこを降りると三方へ続く横穴が掘られてある。身を屈めて移動ができ、二人は右へ伸びる穴へと進んでいく。五間ほど進むと、三間四方の開けた場に出た。

 二人はそこで正座をすると、上に向かい
「お屋形さま、お呼びでございますか」
 と声を揃えて呼びかけた。

「小十郎、於小夜。来たか」

 太い声が、二人の頭上から降り注いでくる。お屋形さまこと甲斐の虎、信玄公その人であった。

 信玄が居るところは居館の奥深く、表向きは専用の厠とされているところだ。寝所と隣接されているそこは小座敷で、実に八畳もの広さがある。本物の厠はその隣に設えてあり、外堀の水を引き入れた水洗便所となっていた。この小座敷で隻眼の軍師・山本勘助や、実弟の武田典厩(てんきゅう)左馬頭(さまのかみ)の別称)信繁といった重臣たちと、極々内輪の軍評定を行ったりしている。

 三ツ者の警護が厳しいために、滅多なことではこの躑躅ヶ崎居館の奥深くに敵は潜り込めない。しかし万が一を考え、この小座敷の畳裏には暗殺防止の鉄板が貼られていた。

 三ツ者たちが探り出した他国の情報は、全てこの小部屋の下から報告される仕組みになっている。二人は清洲城での信長の行動、飼っている忍びの優秀さ、また好機とみるや大胆に攻め込む新しい戦法を持っていること、そして油断していた義元の首が討たれたことを詳しく報告した。聞き終えた信玄は顎をさすりながら、信長の大胆極まる行動力に感心した。しかし、今川家のこととなると嘆息を禁じ得なかったようだ。

「義元が。今川はもう、いかんな」

 表向きは厠ということにしてあるために、信玄の声は小さい。しかし修行で鍛えた二人の聴覚は、常人では聞き取れない呟きを明瞭に聞き取っていた。
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