第19話

文字数 1,122文字

 癇癖が強い信長は、物言わぬ骸となったお千賀を乱暴に蹴りつけ、凄まじい殺気を込めた目で侍女たちを見据える。少しでも動けば、肌が裂けるのではないかと錯覚するほどの空気の中、お市だけは気丈に動いた。

「兄上さま。まさかとは思いますが、わたくしの侍女たちを、これ以上お疑いになりますのか?」

 見目麗しい兄妹の睨み合いは、更に場の空気を鋭いものにし侍女たちはますます動けなくなる。

「侍女たちの主は、わたくしでございます。日々この者たちに接しているわたくしには、裏切り者が紛れているなど、信じとうはございませぬ」
「甘いわ市。現にこのおなごは、忍びと通じておった。この者たち全員の身元を洗わねば気が済まぬ。万が一のことがあったら、この織田家は如何するのじゃ」
「たかが忍び如きに探られて討ち取られるほど、兄上さまは腑抜けではありますまい。この忍びが何処の手の者かは存じませぬが、見事に返り討ちにしているではありませぬか。市は、兄上さまを信じております。必ずや争乱の世に終止符を打つと。市はそのためならば、どこの家にでも嫁ぐ覚悟がございます」

 凜とした声が部屋中に響き渡り、侍女たちは、己の女主人の姿に落涙しそうなほど感動した。自分たちをここまで信頼してくれる主に何処までもついて行こうと、改めて決意する者たちが大多数だった。ひとり於小夜だけは、冷静にこの状況を眺めていた。

(あの手裏剣は、何処かで見たことがある)

 倒れている忍びの装束は、於小夜たちと変わらぬが、放り出された拍子に腰の小袋からこぼれ出た手裏剣の形に、見覚えがあった。

 手裏剣など何処の流派も同じに見えるが、各流派によって微妙に形状や重さに違いがある。眼前にあるそれらは、於小夜が使う物よりも小ぶりで、少々厚めの造りとなっている。記憶の片隅に確かにあるはずなのに、どうしても思い出せない。

(確かに何処かで見た。どこで? 山中の、木々が生い茂る……どこだ、わたしが独り立ちをした、あの頃に)

 そこまで記憶を巡らせ、脳裏に箱根の山々を思い出した。

(そうか、風魔だ。風摩衆が、あの手裏剣を使っていた)

 男忍びとお千賀は北条家に仕える風魔衆だったかと、於小夜は得心がいった。しかしこのことを信長に告げるわけにはいかず、於小夜は他の侍女たちと同じように、沈黙を続けている。いつの間にか侍女たちは面を上げ、仲間だと思っていたお千賀を遠巻きに眺めていた。

「誰かある」

 信長の声に反応して、廊下に二つの影が差した。男二人組のその影は小者の格好をしているが、気配を感じさせない身のこなしに、侍女たちはこの者たちは忍びと察した。しかし普段、雑用を申しつけている小者たちが忍びという事実に、彼女たちは不気味さを覚えた。
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