第22話

文字数 1,185文字

(東海も尾張も北近江も、ゆくゆくは我が手に落ちようぞ)

 この戦国期で、誰がこの戦乱の世を終わらせるかと問われたならば、武田と上杉をおいて他になしと言わしめるほど、両者は絶大な力を持っている。両家は共に屈強な兵馬を有し、家臣団も団結している。信長がまともに武田か上杉と戦えば、ひと捻りに揉み潰されることなど誰の目にも明らかだ。

 だからこそ信長は――公家にすら、頭を下げることを良しとしない彼が――武田家と上杉家に対しては、異常なほど気を遣っていた。

(於小夜はそのまま、お市の傍に残せば良い。浅井家と朝倉家が、織田家に対してどう動くか? これは見ものじゃのぅ)

 八畳の小部屋に籠もりながら信玄は、禿頭をつるりと撫で上げた。信玄自身も上洛を目指している。前進も必要だが、背後にも注意を払わねばならない。さしあたって背後の敵は、越後国の上杉家。これまでに川中島で五度も刃を交えているが、いずれも決着はつかず、双方ともに有力な家臣を失うという結果に終わっていた。

 四度目の合戦では、腹心である弟の武田典厩信繁と、軍師である山本勘助を喪った。今は亡き二人のためにも、何としても悲願である天下を統一せねばとの思いが、改めて湧いてくる。

(これまで通り、上杉には探りを入れつつ今川を撃破。これしかあるまい。北条家も、何やらきな臭い動きをしておる。やれやれ、どうして我が意に染まぬことばかり、この世は起こるのやら)

 思いとは裏腹にその表情は明るい。この乱世に終止符を打てる者は、己を置いて他になしという絶大な自信があるからだ。京では三好三人衆が相変わらず暴政を行っており、皇室や公家は疲弊しきっていた。

 一刻も早く天子さまをお救い申し上げたいと願っても、彼とて万能ではない。このような状況に焦りを覚えているが、なにぶん甲斐国から京は遠い。斃さねばならない今川家がおり、背後には上杉や北条がいる。歯噛みしつつも今は力を蓄え、上洛の機を伺っている。

(織田と浅井と朝倉。この三角関係がどう動くか。それ如何によっては、儂の出方も大きく変わる)

 於小夜には潜伏を命じ新たに小十郎も織田家の家老、柴田勝家の足軽になるよう命じた。各国に張り巡らされた武田の間諜網は、織田家の中枢にも張り巡らせてあった。その伝手で見事に足軽として、小十郎は潜り込むことに成功した。

 浅井の動向は於小夜が、織田の動向は小十郎が探ることとなる。欲を言えば、信長自身の傍に誰かを潜り込ませたいのだが、これがなかなかに詮議が厳しくよそ者を受け入れない。

 この戦乱の世に、忍びを使わない大名は天下を掴み取ることなどできぬと、信玄は信じて疑わない。だからこそ彼は、忍びたちを家臣として扱い充分な報酬も与えている。そこに男女の差はなく、働きを正当に評価した。

 京の方角を眺めつつ、信玄は一刻も早く己が上洛せねばと、決意を新たにしていた。
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