第8話
文字数 2,739文字
七人掛けの座席に無言で座っている順子は、ほんの30分前まで行なっていたさる人物との打合せについてボンヤリと考えて居た。
(・・それにしても・・)
順子は先ず、彼女の前に登場した打合せ相手の佇まいと風貌から思い出した。
恐らくは仕立てたのだろう如何にも上品な生地と判る作務衣にインナーには、これまた上品なハイネックのセーター。しかも、淡い色のピンクと来た。
まあ、ここまではケッタイな人種のるつぼであるエンタメ業界で数多くの強烈なキャラクターたちと渡り合ってきた順子にとっては想定の範囲内だと言えよう。しかし、波状攻撃のように繰り出された。その人物の数々のギャップにはさすがの順子も面食らうばかりだったのだ。
何せその人物は絶えず笑みを浮かべ優しさに満ち溢れた表情なのだが。どこか俳優の‘エンケン’の愛称で人気のある遠藤憲一さんに似ている顔立ちなのだ。
所謂、強面。
それなのに、見事なまでのお姉口調で話し出したものだから参った。(強烈過ぎる)
そんな順子を面食らわせたその人とは。
今年の道明寺合戦まつりに提案した。道明寺の戦いをサイレント芝居とダンス。そして和太鼓の演奏とのコラボレーションで構成した‘道明寺交響曲’と名付けたプログラムの総合演出兼振付に順子が白羽の矢を立てた和太鼓集団「風馬」の主宰にして総合演出家で振付師でもある深大寺創建(じんだいじ そうけん=66歳)その人である。
(絶対に芸名だ・・否、何なら俳号?源氏名?それとも屋号なのか?・・まあ、私もプランニング・ミューを立ち上げた際に本名の桜田順子から桜田まさみと云うペンネームならぬビジネス上の名前に変えたのだから、とやかく言えた義理じゃないし、この業界ならよくある話だけど・・)
何にせよ、見事に初戦でかまされたと順子は感じている。しかしそれは敗北感とは違っていて寧ろ心地良さすら感じてしまっているのが順子自身も不思議だったりする。
そもそも順子を初戦でかました深大寺創建なる人物は、日本舞踊の世界で活動し始めて名を馳せたにも拘らず。突然何を思ったか7年前に和太鼓集団「風馬」を結成し、総合演出家兼振付師として和太鼓や笛、尺八に三味線などの和楽器編成の演奏のみならず。それらの演奏者に演奏をしつつ激しい動き(振付)を課した斬新なパフォーマンス集団を創り上げてエンタメ業界に殴り込み。主に、海外での活動に重点を置いて徐々に評価を得てきている人物だったりする。
そんなことをあれやこれやと考えていると、突然、「報酬額は余りまけて貰えませんでしたねぇ」と、竹原の言葉が耳に入ってきた。
と同時に電車内のありとあらゆる音が聞こえだし順子を現実世界へと引き戻した。すぐさま順子はいつもの自分のキャラクターをつくり、「あなたの交渉が下手だからヨ」と、隣に座っている竹原を睨みつける。
「ですけど、最初にこの内容と規模なら300万円って。そう言われちゃうと・・なかなかこちらの希望額とは折り合いがつかないかと・・・」。
「まあ、それでも折り合って何とか240万円で落ち着いたんだから、ヨシ!とするしかないわね」
この言葉でこれ以上は責められないと察した竹原は安堵の表情を浮かべつつ、「しかし、前々日と前日の2回。そして、深大寺さんが直接稽古を付けてくれるのが5回の計7回だけって・・ちょっと少な過ぎませんかね。大丈夫かなぁ・・」
「あの人なら大丈夫よ」
「どうして順子さんはそう思うんですか」
「・・あの深大寺さんは・・事前に送っていた企画書や資料をちゃんと読み込んでくれていたわ。そして私たちと最初にテーマやコンセプトに付いて事細かく話し合って共有する事に努めてくれた」
「そう言えば・・珍しく順子さんが質問攻めに遭ってましたね・・」
「そうだったねぇ。私も彼のペースに引き込まれたのか。いつしか必死に私や道明寺の人々の想いや考えを理解して貰おうと話してたわ。何にせよ。あの深大寺創建さんは、このイベントへの私たちの想いを共有しようとしてくれた。そう感じたからかな。この人なら大丈夫。否、この人じゃなきゃダメだって感じたんだと思う」
「順子さんのいつもの閃きってヤツですね」
「まあ、そうかもね」
「僕は、その順子さんの閃きを大切に思っていますから。と言うよりは信じてますから」
「まるで私が閃きや直感だけで物事を進めてるみたいじゃない」
「(慌てて)いやいや当然それだけじゃないですよ! データや資料も読み込んで。そして現地に足を運んで調査することもちゃんとしたうえでの閃きだと思ってますから」
「ホントにそう思ってるのかぁ?」
「ホントですよ。順子さんとは、かれこれ7年近くも一緒に仕事をして来てますからね。
決して順子さんがいい加減に仕事をしているなんて思ってません!」
「ふ~ん・・まあ、そう言うことにしといてあげるわ」
既に小動物化が始まっている様子の竹原から目をそらした順子は、視線を何処に向けるでもなく独り言の様に、
「多いんだよね。とにかく仕事を受けてから自分の我を通そうとする輩が・・この業界ってさ。 多いのよ・・」
「確かに・・今までも結構いましたよね」
「居た居た。仕事さえ受けちゃえば後はどうとでもなる。自分の作品・キャリアの一つと考えて我を通そうとするヤツ・・確かに結果は自分の作品・キャリアにはなるけど何処向いて仕事してるの?ってヤツ。私はいつも疑問に感じる事が多かった。でも、あの深大寺創建って人は同じ方向に目を向けて進もうと最初に取り組んでくれた気がする。だから大丈夫!信じられる!この人だ!と感じたんだと思う」
「そうですか・・だったら安心ですね。僕も深大寺さんを信じることにします」
次の駅が近づいたのか電車に制動が働きだした様だ。
「さぁ、道明寺交響曲のキモも決まったし本番まであと三か月とちょっと。一気に残りの懸案も片付けて行くわよ」
「はい」
何とか小動物化を免れ嬉しそうな表情で正面を向いた竹原。順子は未だ遠くを見つめた表情のままブレーキが始動した電車の揺れに身を任せている。
(それにしても、あの足袋・・何処で売ってるんだろう・・普通、足袋と言えば白か黒色でしょう。あんなカラフルな足袋見たことないぞ?まるで女性の着物、しかも晴着柄だったっけ・・あれ見てから気になって仕方なかったわ。あれはズルいなぁ・・あんな足袋って・・ホント、何処で売ってるんだろう)
などと考えている順子だが。その様子は竹原をはじめ関わる人々には順子が深い思考の森に入って逡巡している哲学者の様に見えている。まあ、それが桜田順子と云うクリエイターの武器だったり凄さだったりするのかもしれない。