第4話
文字数 2,073文字
「その人たち、ホンマに信用出来るんですかね?」、「起業して未だ二年ほどやけど。バリバリのイベンターらしいし」、「らしいって。会(お)うた(うた)こと無いんでしょ竹さんはまだ。そんなんで大丈夫なんですか」、「イケるイケる。東京でバリバリ活躍しとるイベンターやで。ウチのまつりにハクが付くっちゅうモンやがな」、「またぁ・・そんな簡単にモノ言うて。
今年の第一回のまつりも、そんなノリで突き進んでもうたから、結局えらい目に遭いましたやんか。ホンマに懲りてないんやから」、「そやからプロに任せようとなったんやないかい。お前も賛同したやろ」、「まあ・・そうですけど」。
「今年の八月に大阪城でのイベントを取り仕切った会社やで。そりゃ~見事なイベントやったんやから腕は確かやし。何より、そのプロデューサーの右腕の竹原っちゅう人が、また人のエエ兄ちゃんで。俺の話や質問に懇切丁寧に答えてくれたんや。第一回のまつりでは、素人集団の俺たちにアドバイスしてくれる人がおらんかったことが、まつり全体をドタバタにしてしもた要因なんやから。そういうアドバイスしてくれる人が必要やと、俺たちの想いに沿ってくれるプロが俺達には必要なんやと」
「そりゃそうなんですけど・・」
「だったら何が不満やねん」
「不満とは言うてませんやん。ただ・・」
「ただ・・何やねん」
「何も東京のイベント会社やのうても。もっと身近にあるんとちゃうかと・・東京の人に僕たちの想いが上手く伝わるんかと心配なんですわ」
「ホンマにお前は昔から心配症やのぉ。当然、関西に在るイベント会社も幾つか当たってみたけどな。どこもピンと来るところがなかったし、何より予算は幾らからやった。人の財布の中ばかり気にしよる。そこへいくと竹原ちゃんは、どんな事をしたいのかとか。
そして俺たちのまつりへの想いへの深さに共感してくれたんや。それだけで決まりやろ」
「まあ、そう言われれば・・」
そんな芳本と竹田のやり取りを無言で聞いていた林田だったが、ふと、感慨深げに東側に在る雷門に目を向けた。
この道明寺天満宮は近鉄電車の道明寺駅から歩いて約5分の所に在る神社で。今では菅原道真公ゆかりの神社として知られているが、元はこの地で初めて埴輪を造ったとされる土師(はじ)氏一族の氏神として創建された土師神社が始まりだと云う。なので、今でも境内には本宮・土師神社と言う社が在る。以前には同じ敷地内に道明寺も在ったのだが明治5年に発布された神仏分離令によって道明寺は道明寺天満宮から約50m南に移設されて居る。
その昔、この道明寺には菅原道真公の伯母にあたる覚寿尼(かくじゅに)と云う尼僧が住んで居られた。
その為、道真公も幾度となくこの道明寺を尋ねられていたそうで、特に有名な逸話として菅原道真公が九州の大宰府に左遷されることになった際に、この道明寺を訪れ伯母である覚寿尼との別れを惜しんだと云われている。
そんな縁もあってか道明寺天満宮には菅原道真公ゆかりの品々が幾つか残されていて、それらの一部は国宝に指定されてもいる。
そして現在では、菅原道真公、覚寿尼、そして天穂日命(あめのほひのみこと)を祭神として祀る由緒ある神社となっているのだ。
(この町の誇りやな)
と、常々林田は思っていた。
また、本殿の裏側は90種・900本もの梅の木々の庭園となっていて、見ごろともなる二月には、その美しく見事な景色は大阪府指定の「大阪みどりの百選」にも選ばれて梅の名所として多くの人々を楽しませている。
林田はこの道明寺天満宮と隣接する道明寺を地元に住む者の一人として誇りに思い。道明寺天満宮では氏子の一人として奉仕にも努めている、
(どこにもひけを取らないええ町や)と、常々想っている。この町に生まれ育ち生きている。
それだけで充分満足だと。
後は、どうこの町に恩返し出来るか。何を残せるか。いつもそんなことを考え巡らせていたりする。そんなことを考えていた林田の耳に、「あっ!あの人たちじゃないですか」と芳本の声が・・。
芳本を見るとその方角を指さしている。
すかさず竹田が、「指指すな。お前の悪い癖やぞ。それ」と、窘められた芳本はバツが悪そうに指を下ろしたが、「でもまさか、あの人たちが・・ですかぁ・・」と訝る表情を浮かべだした。
その問いに無言で頷く竹田。
そして林田も面食らった様に、‘その人たち’を見つめた。
そんな三人に向かって、まるで武士が勝負時に甲冑を身に纏う様に見るからにブランド品と判るグレーのパンツスーツを颯爽と着こなし。やや大股で歩いて来る桜田順子と、ずんぐりむっくりの体躯を必死にこき使って後を追いかけて来る竹原仁の姿があった。
今まさに、ここ道明寺天満宮にて二つの異なるカルチャーがドッキングしようとしている。