『君と別れるなら、夏がいい』(サフォンド「仮初世界の疑似記録」)

文字数 973文字

別れろ、という言葉に思わず失笑した。
その男がどういうつもりでそう言ってるかは理解している。
その上で、笑いしか出てこなかった。
自分と彼女をそういうものと認識してるその思考は仕方ないとしても、地位や権力や金なんかで自分を動かせると思っているのはおめでた過ぎる。
*****

 相坂アリアという女性は、一部の者たちに好意を抱かれやすい外見をしている。
 見た目の綺麗さのみならず、髪や目の色が希少であるのもその要因になっているらしいが、結果として煩い羽虫のような人間が定期的に周囲に発生するのだけは、彼女の剣として非常に看過しがたい事態である。
 基本はアリアに気づかれる前に掃除をする。
 殆どの相手は多少丁寧に挨拶してお願いしておけば2度とおかしな難癖をつけてきたり後を付け回したりすることはなくなるが、時々何を勘違いしているのだか、逆に沸騰してこちらに喧嘩を仕掛けてくる身の程知らずがいるのだ。この男もその類のようで、さっきから黙っていれば別れろという要求の後にあれこれと意味不明な主張を続けている。
 まずもって、そういう行為は、最低限彼女とそういう関係になった上ですべき事であるし。
 少なくとも自分がいる限りアリアとそういう関係になる人間など出てこないので、自分に対し正当な意味でそういう事を言える人間が現れる筈はないのだけど。

(あー、暑いなぁ)

 自分は暑さにやられるようなものじゃないけれど、暑いと気分が乗らない程度には暑さは好きじゃ無い。
 だってこんなに暑いと、帰った時にすぐにアリアに触れない。
 だからそう、もし別れる可能性があるとして、それはきっと夏なんだろう。
 夏なら、距離を取られる理由がある。
「聞いてるのか!」
 不意に聞こえた不快な音に、やっぱり自分は暑さにやられたのかもしれないと思い直した。
 一瞬でもこんな思考をしてしまったなんて、とてもじゃないが本人には言えない。別れる気なんか、永久に無いくせに。
 どうしてこんなこと考えてたんだっけ、と思い、すぐ原因に辿り着く。考えるまでも無い、目の前でうるさく喚き散らしている羽虫のような男の声が耳障りすぎて、下らない思考に現実逃避してしまっただけだった。

(こんな音、アリアには聞かせられないな)

 羽虫なら、潰してしまえば、それで終わる。
 考えるのも億劫になってきたから、それでいいかと、思った。
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