『春に誘惑、桜に恋を』(春翔「春まだ遠く夜は明けず」)

文字数 1,187文字

「今度芝桜見に行こうってお父さんが」
「芝桜?」
「知らない? ……こういう花」
「あー、moss phlox」
「もす?」
「日本では”桜”なんだ?」
「木と草で違うものだろうけど、名前はね」
「ふぅん? いいよ、行く」
「興味あるの?」
「芝桜って、遥っぽくて可愛いから」
*****

 一緒に暮らしてるけど、春翔に関して私が知っていることはとても少ない。
 食べ物の好き嫌いは無いみたいだけど、いわゆる日本にしか無いようなものは小学生でも知ってるものですら知らなかったりする。勉強は相当出来る方。唯一国語は少し大変っぽいけど、元から頭がいいんだろう、どうにかなっているみたいである。
 音楽は好きでも嫌いでも無いと本人は言う。でも無意識に指が動いているのを見かけたりする。きっと無意識に出るくらいピアノは弾いてきたんだろうなとわかる。
 うちに来た当初は全く気にしてなかったピアノも、折角弾くならって父さんが買い与えたら、休日とか何時間でも弾いていたりする。むかしちょっとやってたとか、普通の関わり方じゃそんなの無理だ。
 ただ、それを知った父さんからの楽譜とか沢山買おうかっていう申し出は固辞してた。
 春翔曰く、「やったことある曲なら全部覚えてるから」だそうだ。
 でもそれならって父さんは新譜を見かけたら買って来て春翔の部屋に勝手に置いていくらしい。発売日が最近でも特にクラシックの名曲なんて譜面は変わらないんだけど、とか、たまにピアノ以外用のものとか混じってる、とか春翔が苦笑いして教えてくれた。
 でもそれらは全部春翔の部屋の棚に整然と置かれている。

 ある日突然増えた、家族じゃ無い人。
 私が知ってるのは、これくらいしかない。

 後……女が、特に春翔に異性というか性的対象として興味を示してくる相手が、すごく嫌いってこと。
 表向きはいくらでも紳士に振る舞えるけど、そういう相手とは常に距離をとっている。周りに対して気を使ってるのか、わかりやすい嫌悪感を見せたりはしないけど。
 父さんはそういう面を、理由も含めて知ってるみたいだったけど、私には何も教えてくれない。
 ただ、仕事で家を空けがちな父さんが、同じ年頃の娘がいるこの家で春翔の同居を認められたのはそれが理由だったらしいっぽい。
「今のあんたを知ったら父さんどう思うのかしら」
「何?」
「なんでもない」
 まるで犬か猫みたいに私を膝に乗せて撫でる手は、たまに不埒な動きが混じるくせに何処か冷めていて、どんなに動いても性的というより愛玩っていう感じしか伝わらない。でも(だから?)、私が本気で嫌がればあっさり距離を置いてくることは知ってる。
 これが春翔にとって、どういう感情からくるものなのか、知らない。
 春翔は、こういう風に触れてくるようになっても、絶対に私の地雷を踏み抜かない。
 決して好きと言わないから、私は春翔を拒絶する理由を無くしたままだ。
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