『泣けない子』(アミル「魔術士系全般」)
文字数 1,685文字
*****
転んだ。
起き上がった。
真顔で寄ってくるヒトの子を、森の精霊は迎える。
傷はない。受け身が出来たようだ。
この位の子は体幹が弱く、よく転ぶ。
子の髪を撫で、ふと気づく。
何かを訴える時に泣く時期は、いつ過ぎたのか?
*****
育て方の問題を精霊たちが指摘されるのは、もう少し先。
*****
次元の狭間の主は、ちょっと頭を抱えた。
そもそも精霊は人の育成に向く存在では無い。知識こそ膨大でも、感性などの部分で致命的に人と異なるからだ。
例えるなら、ずっと放置していたら、狼が人の子を育てるような問題が起こるのである。精霊との関わりはできても、精霊のような思考ができても、人の感性が理解できず、人の輪の中で生きられない人間しか育たない。
そういうものに育てたいわけでは無いのだろう?
念のため確認をすれば、当然でしょうと、精霊たちを代表して実体化し子どもの世話を焼いている森の精霊は答えた。
「我々は精霊を育てたいのではありません。アミルは人ですから」
そこまで断言できるのに、目の前の問題に気づかないあたりはやはり精霊である。
精霊の中でも人と近しい森の精霊ですらこれなのだから、その他の精霊も似たようなものだろう。
このままでは、極めて優れた魔術士でありながら人の感性をほぼ持たない異質な者に育ってしまう。息を吸うように日常で魔術を使いこなしていることより何より、巷の人と乖離した感性は未来で必ず問題になる。
とりあえずこの状況に意見できる者は他にいないので、次元の狭間の主は諦めて口出しをすることにした。
「人は、写し鏡であり合わせ鏡だ」
こんな抽象的な言い方では伝わらないか、と言い方を変える。
「人は最初から細やかな感情や表情などを有しているものではない。訴えて泣く時間がある故に一見そう思えるが、違う。人を人たらしめる多くの感情や思考や表情は、周囲のそれを見て人の子は学び覚えていくものなのだ」
それなのに、と。
森の精霊を眺める。
一応世話をする上で人の形に実体化してはいるものの、細部まで精密に人の言動を擬態する気もなく、結果は動く人形もかくや、な姿だった。所謂無表情を超えた、仮面の如き鉄面皮でずっと過ごしているようだ。
誰の姿を借りたかは聞くまでも無いが、日常でも意識内で意思疎通が出来ているからと、言葉を発している様子もない。
深淵で意思疎通可能な精霊故だろう。
なまじアミルに魔術士の素養があった故、こうなってしまったようだ。
「そなたが表情も変えず声も発さず感情も見せず。それで人らしい人が育つものか」
見よ、と指し示す先にいる子は、無表情に本を読んでいる。
子どもらしくない、感情の抜け落ちた顔だった。
だがそれは育ててくれている存在に合わせて学習した結果であり、元から欠落しているものではない。
「そなたらに難しいようなら……」
誰か他に、と言いかけた言葉は、精霊たちの強い拒否反応で言い淀む。
次元の狭間の主、魔術士たちの長と呼ばれる身とはいえ、魔術は精霊の協力に大きく依存したもの。協力相手の不快を買えば、いつか困るのは自分自身だと理解しているので、さすがに精霊には最大限気を使ってしまう。
それだけ、精霊たちはその子どもを愛している。
他者に渡すにはもう難しいほどに、彼らはその幼な子を愛しんでいる。子どもが魔術士であり、その子に術で使役されることなど歯牙にも掛けないほどに強い愛情を向け、特別に構っている。
……この世界に彼がいなくなったこと。
彼らと特別に親しい人そのものが世界中で減っていること……そして、最近彼女がいなくなったことも、どこかで関係しているのかもしれない。
人ではないから、記憶は色褪せないという。遥か昔に亡くした相手も、つい最近亡くした相手も、精霊にとっては同列に色濃い思い出の筈だ。
勿論精霊たちに、誰かの代わりに愛情を寄せるという思考はないだろうが。
その子どもが全ての精霊から特別な愛情を受けていることに変わりはない。
「それならば、どうにかせよ」
「もちろん」
森の精霊は断言したが、まだしばらくは様子見が必要そうだった。
転んだ。
起き上がった。
真顔で寄ってくるヒトの子を、森の精霊は迎える。
傷はない。受け身が出来たようだ。
この位の子は体幹が弱く、よく転ぶ。
子の髪を撫で、ふと気づく。
何かを訴える時に泣く時期は、いつ過ぎたのか?
*****
育て方の問題を精霊たちが指摘されるのは、もう少し先。
*****
次元の狭間の主は、ちょっと頭を抱えた。
そもそも精霊は人の育成に向く存在では無い。知識こそ膨大でも、感性などの部分で致命的に人と異なるからだ。
例えるなら、ずっと放置していたら、狼が人の子を育てるような問題が起こるのである。精霊との関わりはできても、精霊のような思考ができても、人の感性が理解できず、人の輪の中で生きられない人間しか育たない。
そういうものに育てたいわけでは無いのだろう?
念のため確認をすれば、当然でしょうと、精霊たちを代表して実体化し子どもの世話を焼いている森の精霊は答えた。
「我々は精霊を育てたいのではありません。アミルは人ですから」
そこまで断言できるのに、目の前の問題に気づかないあたりはやはり精霊である。
精霊の中でも人と近しい森の精霊ですらこれなのだから、その他の精霊も似たようなものだろう。
このままでは、極めて優れた魔術士でありながら人の感性をほぼ持たない異質な者に育ってしまう。息を吸うように日常で魔術を使いこなしていることより何より、巷の人と乖離した感性は未来で必ず問題になる。
とりあえずこの状況に意見できる者は他にいないので、次元の狭間の主は諦めて口出しをすることにした。
「人は、写し鏡であり合わせ鏡だ」
こんな抽象的な言い方では伝わらないか、と言い方を変える。
「人は最初から細やかな感情や表情などを有しているものではない。訴えて泣く時間がある故に一見そう思えるが、違う。人を人たらしめる多くの感情や思考や表情は、周囲のそれを見て人の子は学び覚えていくものなのだ」
それなのに、と。
森の精霊を眺める。
一応世話をする上で人の形に実体化してはいるものの、細部まで精密に人の言動を擬態する気もなく、結果は動く人形もかくや、な姿だった。所謂無表情を超えた、仮面の如き鉄面皮でずっと過ごしているようだ。
誰の姿を借りたかは聞くまでも無いが、日常でも意識内で意思疎通が出来ているからと、言葉を発している様子もない。
深淵で意思疎通可能な精霊故だろう。
なまじアミルに魔術士の素養があった故、こうなってしまったようだ。
「そなたが表情も変えず声も発さず感情も見せず。それで人らしい人が育つものか」
見よ、と指し示す先にいる子は、無表情に本を読んでいる。
子どもらしくない、感情の抜け落ちた顔だった。
だがそれは育ててくれている存在に合わせて学習した結果であり、元から欠落しているものではない。
「そなたらに難しいようなら……」
誰か他に、と言いかけた言葉は、精霊たちの強い拒否反応で言い淀む。
次元の狭間の主、魔術士たちの長と呼ばれる身とはいえ、魔術は精霊の協力に大きく依存したもの。協力相手の不快を買えば、いつか困るのは自分自身だと理解しているので、さすがに精霊には最大限気を使ってしまう。
それだけ、精霊たちはその子どもを愛している。
他者に渡すにはもう難しいほどに、彼らはその幼な子を愛しんでいる。子どもが魔術士であり、その子に術で使役されることなど歯牙にも掛けないほどに強い愛情を向け、特別に構っている。
……この世界に彼がいなくなったこと。
彼らと特別に親しい人そのものが世界中で減っていること……そして、最近彼女がいなくなったことも、どこかで関係しているのかもしれない。
人ではないから、記憶は色褪せないという。遥か昔に亡くした相手も、つい最近亡くした相手も、精霊にとっては同列に色濃い思い出の筈だ。
勿論精霊たちに、誰かの代わりに愛情を寄せるという思考はないだろうが。
その子どもが全ての精霊から特別な愛情を受けていることに変わりはない。
「それならば、どうにかせよ」
「もちろん」
森の精霊は断言したが、まだしばらくは様子見が必要そうだった。