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文字数 2,139文字

13:00 起床
15:00 食事 カレーパン
15:10 仕事探し
19:00 仕事探し終了
19:30 稼働
21:00 稼働終了
22:00 食事 メンチカツ弁当 残り物のおでん
22:30 PCのセットアップ
02:44 日記執筆開始


 休息日。僕は眠りが浅い。睡眠と覚醒を3時間に一回くらいのペースで繰り返す。しかし、昨日の無理が祟ったのか、今日は爆睡してしまった。幸か不幸か、今も目がギンギンで元気いっぱいである。

 今日は年末から年始の仕事探しだ。4日から学校だが、それまではしっかり働こうと思っている。ウーバーやウォルトでも良いのだが、飲食店がやっていないから、あまり稼働をしても意味がないと思う。だから単発バイトで、工場やイベント関係を狙っている。

 しかし、世情というのは残酷なものだ。良いなと思ったものも枠が埋まっていたり、交通費を考えたらマイナスになったりするものばかりだった。わがまま言える立場ではないが、わがまま言えるうちは言いたい。

 結果的に、明日と明後日はマクドナルドととんかつ店のデリバリーの仕事にありつけた。一件6,000円程度だが、何もしないよりは良い。

 一日6,000円稼げれることが嬉しいんだ。そんなことを10年前の僕に言ったらなんて言うだろうか? そのころの僕は年収700万をもらっており、パチンコもやっていなかったから、何不自由ない生活をしていた。好きなバイクや車を買って旅行に行き、結婚を予定していた恋人もいた。しかし、それが幸せと思えなくて、僕は会社を辞めて家業だった旅館を継いだ。それが転落人生への転機となった。

 しかし、当時のことなんて書かない。同情をされたいわけでもないし、どこにでもある普通の話だ。言いたいことは一つ、僕は今のほうが幸せである。何の保険も安定も貯金もなく、明日もしも死んだら借金以外は何も残らない腐った生活が幸せだと言えるのだ。

 なぜだろう? それは単純。何とかしないといけないから考えて行動ができるからだ。起こったことの責任をすべて自分が被らないといけないからだ。子供のころから、人の世話になることが嫌いだった。親にプレゼントをもらっても複雑な気持ちを抱えていたし、人の好意というものが嫌いだった。

 だから学生のころから、誰かの庇護に入ることから抜け出すことだけを考え、行動して生きてきた。社会人になって閉塞感を感じていた理由は、会社という看板だった。僕が何かをやらかしても、会社の代表としての僕がやらかしただけになってしまい、最終的には上司が頭を下げて、会社が責任を取ることがたまらなく嫌だった。僕が仕事をさぼるようになったのは、それで責任を取るのは僕個人だったからだ。それじゃ会社に迷惑をかけるから、僕は仕事を辞めた。


 僕は僕で生きていきたいのだ。勝つも負けるも自分次第でいたいのだ。パチプロになったのも、それが大きい要因だったんだろう。そして、この性格だから、僕は人に必要とされない。我が強いくせに面白くもないし、何もできない。自虐でもなんでもない事実なのだ。おそらくこれから先も、僕は自分を喜ばせることも他人を喜ばせることもせずに生きていくんだろうなと思っている。

 ただこれは言える。僕はパチンコというギャンブルに飽きている。こんな安いギャンブルに人生を費やすのも悪くはないのだが、最近のパチンコは作業になっていて、心が躍らない。パチプロなんてパチンコやスロットが好きなやつが行き着く先だ。依存症の慣れの果てだ。軍団を作り、より安定した利益を求める方法もあるが、そんな形で金を稼いだところで、いったい何の喜びや快感があるのだろうか。金を稼いだ人間が偉い世の中なのは間違いないが、当人がつまらなかったら何の意味があるのだろうか。

 僕は明日さえも分からないくそったれな人生を愛している。転落人生は、言い換えればローリングストーンだ。ロックンロールだ。落ちて落ちて、流され流され、どこに行くかは勢い次第。止まった時が死ぬときだ、そんな生き方が好きなのだ。

 人は生きるために飯を食う。そのためには金を稼がないといけない。金に人格はない。パチンコで得た金も、徹夜で働いて稼いだ金も同じだ。だったら、思い入れがある一万円を得た方がよい。パチンコで得た金が泡銭だと人は言う。しかし、僕らは釘を読み、打てる台を探して行動し、泡銭に労働の対価としての意味を持たせている。その労働がつまらないというのなら、現状を発展させるか、去るかの二択を用意するのが僕らしい行動だろう。

 来年からは、きちんと思い入れがある金を稼いでいきたい。それには環境を変えないといけないな。僕は人を喜ばせられないが、人や自分の利益を考えるのは得意だ。だからフリーターを続けながら、行動を増やして、どこの世界が僕の利益になり、利益を与えられるかを見つけるために行動を増やしていく。


「蓬も麻中に生ずれば、扶けずして直し」という、荀子の言葉がある。自分が置かれている環境を変えれば、それに準じた性格になるという意味だ。僕が今までやってきたことそのものだ。環境を再構築し、ぶっ壊すことは大得意だ。だから、明日から行動を増やしていこう。


今日はこれで終わり。おやすみ、世界。
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