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文字数 2,409文字

13:00 起床
13:30 役所巡り
16:00 学校、JavaScriptとHTML、CSSを学ぶ
21:00 仲の良いクラスメイトと下校。
22:00 帰宅。
22:30 食事。餃子、白米200g、カップ麺(鶏がら醤油味)。
00:00 執筆開始

 今日は役所巡り。住民票だったり、国民健康保険の手続きなどを行った。就職も考えているため、新宿のハローワークにも立ち寄る。求人票を閲覧して、気になったものがあるけれど年齢制限が設けられていた。どうやら……いや、間違いなく、僕は、世の中の流れから完全に離れてしまっており、もう次の世代を育てる立場にいるようだ。それができないのであれば、必要と歌ってくれているところに頭を下げて入り込み、粛々と日々をこなす仕事でないと可能性がないのであろう。それで良いと思えるほど僕は、まだ何も成し遂げていない。それでも僕は僕でいられる場所があるんじゃないだろうか。そんなことは不可能なのはわかっている。僕はパチンコしか打っておらず、パチンコが打ちたいから会社に入っては辞めてを繰り返している。そんな我の強く、辛抱ができない人間が真面目に企業勤めをこなせるはずがないのだ。だったら、1人で完結できる仕事を請け負って生きていくことを真剣に取り組んだ方が良いに決まっている。最も何をやりたいか、何をすればいいかなんて決め切れていないけれど。1つだけ分かっているのは、僕に残された選択肢なんて少ないということだ。

 新宿西口小田急百貨店前の歩道橋を歩いているときに、ふと、幼い時に母親に手を引かれてハルクに行ったときがフラッシュバックした。7階のおもちゃ売り場に行っておもちゃを買ってもらったっけ。何を買ってもらったのか覚えてはいないけれど、その後レストランフロアの洋食屋でお子様ランチを食べた。チキンライスに小さなフランスの旗が刺さっていて、それを崩したくないからチキンライスは食べずにハンバーグや、エビフライを食べている僕に、母は「チキンライス、嫌いだったっけ? 最後に食べるの?」と聞いてきた。理由を話すと母は笑って、旗を抜き取り「家で同じものを作ってあげるから食べなさい」と告げて、その旗をおしぼりでふき取ってハンドバックにしまった。あの時の母の顔は覚えていないが、その淡いルージュのハンドバックは、使い古されて傷だらけだった。

 最後に母と会ったのはいつだろう。こんな生き方をしている僕を見かねた父親と喧嘩をし、家を飛び出した以来だから10年以上前か。それだけ離れてしまえば顔すらも忘れてしまう。そうなのだ。どれだけ大事なものでも、面影だけが心に残るだけで、離れたら忘れてしまうのだ。若いころの恋人も、朝まで語り明かした友人も、かけがえのない家族であれど、すべて忘れてしまうのだ。それを悲しいなと思うけれど、留めたいとは思わなくなった。それくらい孤独というものになれてしまった。

 人間は孤独である。いくらコミュニティに溶け込んだとしても、そのコミュニティは変化し続けるし、それについていけなくなったら徐々に距離を置き、最後には立ち去っていく。それは僕の魅力がないから人が離れてしまうのもあるだろうし、逆もしかりで、そのコミュニティがつまらなくなるときが来るのだ。それが去り行く合図であり、我慢して居続けてもつまらない日々になって終わりだ。人間関係にも賞味期限がある。いつまでも変わらないものなんて、合金以外にあるのだろうか? あったとしたら何て魅力がないのだろうと思う。

 井伏鱒二の名言に「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ」がある。字面だけみれば、なんて寂しい言葉なんだろうと思うけど、これは真理だろう。だからこそ、今いるコミュニティから一杯心の栄養をもらって器を育てればよい。いつか来る別れのころに、心からありがとうと言えるのは、コミュニティの中で精一杯立ち回って、そこで得られるであろう核を得られた時だけだ。そんなことに気が付けたのは、孤独になったからなんだろうけど。ならば、今日の学校での立ち回りはどうだったのだろうか?

 僕が通学している学校の講師は、現役のWEBクリエイターだ。誰も彼もフレンドリーで、会うたびに皆と飲みに行きたいと言ってくる。こんな時期だからと言って断るけれど、そのたびに寂しそうな顔をする。僕も含めてみんなは「ガキじゃあるまいし、聞き分けろよ」というニュアンスのリアクションを毎回するけれど、講師たちも僕と同じく寂しいのだろう。フリーランスは横のつながりが大事だから、卒業後もつながっておけば思わぬ形で仕事が入ってくるかもしれない。だからこそ、生徒と仲良くなっておきたいはずだ。それは逆もしかり。しかし、そんな頭で理解できること以上に、寂しさからくる心からの言葉なのではないだろうか。みんなが行かないならば、僕だけでも行こうかな。人の言葉を素直に受け取ってみるチャレンジをしてみようか。

「大事なことは離れたら忘れるし、誰も彼も寂しいから人を求める。それがコミュニティとなって、人を育てる」。

 今日気が付いたことは、そういうことじゃないだろうか。人と関わるチャンスがあるならば、目の前の人と精一杯楽しむことだ。その人とはいつか別れてしまうが、過ごした時間が自分を育てるはずだから。人から誘われるということは、相手にとって自分と過ごして良い時間を過ごしたいという光栄なことだ。人から誘われるような人間であり続けられるように、自分を発信し続けていこう。そして、そのコミュニティがお気に入りになったら、必ず写真を撮っておこうと決めた。

 今日はこんな感じで終わり。明日は休みだから、さっき立ち寄ったガロ月虹の残356回を回しに、朝から並ぼう。もし取れなかったり、ラムクリされていたら、家に帰って仕事を探したり、授業の復習をしたりしよう。

じゃあね。おやすみなさい、世界。
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