第38話 慈悲なき雨
文字数 2,645文字
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時は戻らず命は潰え―――
1人残されることになったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
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2021年6月24日木曜日。
肌にへばりつくような墨色の雨が降る時間。
喪服を身に纏った大勢の人々が入れ替わり立ちかわりやってくる中、無言で師の遺影を見つめている青桐 。
呼吸以外する気が起きない彼は、斎場の椅子に座り項垂れていた。
つい最近まで言葉を交わしていた人間は、今は一言も喋らない。
やつれきった顔を上げて、斎場を後にする彼。
傘を持ってきたことすら忘れている青桐は、土砂降りの雨に打たれながら家への帰路につく。
通り過ぎる車の音や、街が奏でる騒音が、いつにも増して煩く聞こえる。
亡霊のように歩いている青年は、近くの公園の椅子に座った。
しばらく雨に打たれたい気分だった彼は、決壊したダムのように心境を吐き捨てていく。
「……なんで……いなくなっちまうんだよ……次から次によぉ……!!」
夏川 との別れから始まり、草凪 の突然の失踪、そして古賀 の訃報……
知り合いがいたずらに消えていく。
数々の悲運に見舞われる青年に、誰かが近づいて来た。
傘をさして心配そうな表情でこちらを見つめる少年。
青桐のファンである青山翼 だ。
柔道の練習帰りだろうか。
肩に小さなバッグを担いでおり、真っ白な道着を着ている。
「あ、青桐お兄ちゃん、傘さしてないけど、大丈夫……?」
「……あぁ……大丈夫」
「本当 でぇ……? あ、そうだ、ちょうどいいし……僕ね、青桐お兄ちゃんに渡したいものがあったんだっ!!」
「……ちょっと今は……」
「えぇ~と……アレ? バッグに仕舞ってたのに……僕ね、青桐お兄ちゃんが柔道 で勝つように、お守り作ったんだよっ!!」
「…………青山君あの」
「これ、学校の家庭科の時間で作ったんだよ。先生にも褒められちゃった!! 小学校に入学していっぱい勉強して、毎日が楽しくて……」
「今は1人にしてくれないか」
「……え? ……青桐お兄ちゃん、やっぱり今日は何か変だ……」
「あのさぁ……!! ……頼むからさぁ!?」
「ひっ!?」
「……頼むから、今は1人にさせてくれ……!!」
憧れの存在の異変。
今にも死にそうな青年からの拒絶の言葉に、青山は言葉を詰まらせる。
泣いているのか、それともただ雨が流れ落ちているだけなのか。
顔を伏せる青桐は、椅子から立ち上がると、フラフラと青山に背を向けて無言で歩き出す。
まだ小学校に入学したばかりの少年は、何が起きているのかが理解できない。
それでも、今何か言葉を伝えなければ、きっと後悔するだろうと心で理解していた。
「あ、あのっ!! 僕、青桐お兄ちゃんが勝つって、信じて、るからっ!!」
「……」
「強 い人、いっぱい、いっぱいいるけど!! ぼ、僕、青桐お兄ちゃんが、勝つって、し、信じてるからっ!! だからっ……だからぁ!!」
試合、頑張って下さい。
一番伝えたい言葉が出てこない青山。
無力さからくる感情が、少年の瞳をうるわせていった。
渡すことが出来なかったお守りを、きつく手に握りしめながら、亡霊のようにその場を立ち去っていく青桐の背中を、見守ることしか出来ずにいたのだった。
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「お~い!! もうそろそろ時間だぞ~!! トレーニング室閉めるぞぉ!!」
「も、もうちょっとだけお願いしてよかっ!?」
「お、おう? ん~……もうちょっとだけならいいけどよぉ……なんだ兄ちゃん、えらい気合いが入ってんな?」
「……そうね、気合いは……意地でも入れんといかんけんね」
「??」
「ふー……!!」
(青桐君。過去と折り合いがついていない今の俺じゃ、どこまで柔道 れるか理解 らんばい。けど俺……俺っ!!)
ー-----------------------------
「伊集院 殿っ!! いよいよでありますな!!」
「頑張 るでありますぞっ!!」
「……」
「ややや? どうしたでありますか? 伊集院殿? 不安視することがあるのですか?」
「……まあ、9割9分9厘、あることにはあるのだがな……」
「んんん~?」
「……」
(監督からの無理難題 ……青桐達の尻ぬぐいに近いが、燃える展開は嫌いじゃないんでね。青桐、石山、後ろは任せておけよ)
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「おう木場 っ!! いよいよだなぁ? しっかり準備出来てっか?」
「あぁ、問題ねぇ~よ」
「はっ!! しっかりやれよ!! ……悔いは残すんじゃねぇぞ」
「当然だろ。ちょっとばっかし負けらんねぇ理由が出来ちまったからよぉ……っ!! 死んでも勝って帰って来てやんわ!!」
(……なぁ青桐、お前は覚えてっか? 前に俺らが言った事をよぉ。俺達は……忘れちゃいねぇぜ?夏川 ちゃんにも頼まれてっしよぉ……はっ!! やってやろうじゃねぇか!!)
「なぁ木場 ……話は変わるけどよ……」
「あぁ? んだよ糞親父 」
「花火ってのは耳で聞くもんだってセリフ、知ってっか? ある小説の一文なんだわ」
「……あぁ?」
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「司 、ちょっといい?」
「葵 姉さんか。ああ、問題ない」
「いよいよね。大会、頑張 ってね……はいこのお花」
「ローリエ……花言葉は勝利だったな」
「えぇ、よく覚えていたわね。 ……掴み取れるかしら、栄光」
「理解 らんな。だが……この逆風は、俺にとってそよ風に等しい。力を蓄えて来た俺にとってはな。父さん母さんとの約束 でもある。今更怯む気はないな」
(しかし疾風に勁草を知るとはよく言ったものだ。 ……青桐、人生は思い通りにならんものだ。己の無力さを嫌でも味わい、地面を這いつくばる時が来るかもしれん。 ……絶望 から逃げるなよ、青桐。同じ思いをした先輩として、俺も共に戦うと誓おう―――)
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試合場の広さ9.1m×9.1m。
試合時間は引き分けを除き、最大4分。
僅か数分のために、人生の大半の時間を費やしてきた。
一手間違えば、数秒で全てが水の泡になってしまう過酷な競技、柔道。
人生を賭けて臨む者、嫌々ながらも試合に臨む者、果てしない夢のために臨む者。
夏の宴への参加権を争う戦いは、決して楽しめるようなものではない。
2021年7月3日土曜日。
決戦の舞台が始まりを告げる。
時は戻らず命は潰え―――
1人残されることになったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
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2021年6月24日木曜日。
肌にへばりつくような墨色の雨が降る時間。
喪服を身に纏った大勢の人々が入れ替わり立ちかわりやってくる中、無言で師の遺影を見つめている
呼吸以外する気が起きない彼は、斎場の椅子に座り項垂れていた。
つい最近まで言葉を交わしていた人間は、今は一言も喋らない。
やつれきった顔を上げて、斎場を後にする彼。
傘を持ってきたことすら忘れている青桐は、土砂降りの雨に打たれながら家への帰路につく。
通り過ぎる車の音や、街が奏でる騒音が、いつにも増して煩く聞こえる。
亡霊のように歩いている青年は、近くの公園の椅子に座った。
しばらく雨に打たれたい気分だった彼は、決壊したダムのように心境を吐き捨てていく。
「……なんで……いなくなっちまうんだよ……次から次によぉ……!!」
知り合いがいたずらに消えていく。
数々の悲運に見舞われる青年に、誰かが近づいて来た。
傘をさして心配そうな表情でこちらを見つめる少年。
青桐のファンである
柔道の練習帰りだろうか。
肩に小さなバッグを担いでおり、真っ白な道着を着ている。
「あ、青桐お兄ちゃん、傘さしてないけど、大丈夫……?」
「……あぁ……大丈夫」
「
「……ちょっと今は……」
「えぇ~と……アレ? バッグに仕舞ってたのに……僕ね、青桐お兄ちゃんが
「…………青山君あの」
「これ、学校の家庭科の時間で作ったんだよ。先生にも褒められちゃった!! 小学校に入学していっぱい勉強して、毎日が楽しくて……」
「今は1人にしてくれないか」
「……え? ……青桐お兄ちゃん、やっぱり今日は何か変だ……」
「あのさぁ……!! ……頼むからさぁ!?」
「ひっ!?」
「……頼むから、今は1人にさせてくれ……!!」
憧れの存在の異変。
今にも死にそうな青年からの拒絶の言葉に、青山は言葉を詰まらせる。
泣いているのか、それともただ雨が流れ落ちているだけなのか。
顔を伏せる青桐は、椅子から立ち上がると、フラフラと青山に背を向けて無言で歩き出す。
まだ小学校に入学したばかりの少年は、何が起きているのかが理解できない。
それでも、今何か言葉を伝えなければ、きっと後悔するだろうと心で理解していた。
「あ、あのっ!! 僕、青桐お兄ちゃんが勝つって、信じて、るからっ!!」
「……」
「
試合、頑張って下さい。
一番伝えたい言葉が出てこない青山。
無力さからくる感情が、少年の瞳をうるわせていった。
渡すことが出来なかったお守りを、きつく手に握りしめながら、亡霊のようにその場を立ち去っていく青桐の背中を、見守ることしか出来ずにいたのだった。
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「お~い!! もうそろそろ時間だぞ~!! トレーニング室閉めるぞぉ!!」
「も、もうちょっとだけお願いしてよかっ!?」
「お、おう? ん~……もうちょっとだけならいいけどよぉ……なんだ兄ちゃん、えらい気合いが入ってんな?」
「……そうね、気合いは……意地でも入れんといかんけんね」
「??」
「ふー……!!」
(青桐君。過去と折り合いがついていない今の俺じゃ、どこまで
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「
「
「……」
「ややや? どうしたでありますか? 伊集院殿? 不安視することがあるのですか?」
「……まあ、9割9分9厘、あることにはあるのだがな……」
「んんん~?」
「……」
(監督からの
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「おう
「あぁ、問題ねぇ~よ」
「はっ!! しっかりやれよ!! ……悔いは残すんじゃねぇぞ」
「当然だろ。ちょっとばっかし負けらんねぇ理由が出来ちまったからよぉ……っ!! 死んでも勝って帰って来てやんわ!!」
(……なぁ青桐、お前は覚えてっか? 前に俺らが言った事をよぉ。俺達は……忘れちゃいねぇぜ?
「なぁ
「あぁ? んだよ
「花火ってのは耳で聞くもんだってセリフ、知ってっか? ある小説の一文なんだわ」
「……あぁ?」
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「
「
「いよいよね。大会、
「ローリエ……花言葉は勝利だったな」
「えぇ、よく覚えていたわね。 ……掴み取れるかしら、栄光」
「
(しかし疾風に勁草を知るとはよく言ったものだ。 ……青桐、人生は思い通りにならんものだ。己の無力さを嫌でも味わい、地面を這いつくばる時が来るかもしれん。 ……
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試合場の広さ9.1m×9.1m。
試合時間は引き分けを除き、最大4分。
僅か数分のために、人生の大半の時間を費やしてきた。
一手間違えば、数秒で全てが水の泡になってしまう過酷な競技、柔道。
人生を賭けて臨む者、嫌々ながらも試合に臨む者、果てしない夢のために臨む者。
夏の宴への参加権を争う戦いは、決して楽しめるようなものではない。
2021年7月3日土曜日。
決戦の舞台が始まりを告げる。