第33話 亀裂

文字数 2,894文字

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歯車は次々に狂いだし―――
いずれ完全に動きを止めたとしても―――
君は柔道が楽しいか?
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 病室内が静まり返る。
 青ざめる人間、口を開けたまま呆然とする人間、青桐(あおぎり)に視線を向ける人間……
 それぞれがそれぞれのリアクションを取る中、最愛の女の目覚めを待ちわびていた彼は、呼吸を荒げながら夏川(なつかわ)の元へ近づいていく。

「お、おい……お前、さぁ?」

「え、えっと……すみません、お名前を聞いてもよろしいでしょうか……」

「……っ!! お前っ!! お前さぁ"!? お前……冗談(シャレ)になんねぇんだってっ!!」

「うぁ……苦しい、や、めて……」

「おい龍夜馬鹿、落ち着けって!!」

 声を震わせながら、夏川の胸ぐらを右手で掴む青桐。
 怯えたような目で青桐を見つめる夏川。
 彼女の目には、今にも泣き出しそうな男の姿が映っていた。
 そんな2人の間に割って入った草凪。
 現実を受け止めきれない親友を抑える彼は、青桐が夏川から手を離すのを確認すると、恐る恐る彼女に言葉をかける。

「よ、よぉ鈴音(すずね)!! ……俺の名前理解(わか)るか……?」

「……ご、ごめんなさいっ!! あの……本当に理解(わか)らないんです……」

現実(マジ)かよ……あ、おい、龍夜ぁ"!! クソ……待てよ、お"い"っ!!」

 目を覆いたくなる現実に、体ごと背いた青桐。
 逃げ出すようにその場から立ち去ると、青桐を追いかけて草凪も病室を飛び出していく。
 取り残された花染(はなぞめ)達。
 空気がどんよりとした空間で、最初に口を開いたのは、記憶を失った彼女であった。
 
「……あの、ちょっといいですか? えぇっと……」

「……花染だ」

「花染さんですね……あの、私とさっきの青髪の人は、どういう関係なのでしょうか……」

「関係、ね……風化することのない最愛の人間。こう言えば理解(わか)るか? 名は青桐龍夜だ」

「そう、だったんですね……あのっ!! 花染さん!!」

「……どうした?」

「青桐さんのこと、よろしく頼みます」

「っ!!」

「記憶、頑張(きば)って取り戻します。なので、それまでの間!! ……あの悲しそうにしていた青桐さんのこと、支えてください。今の私じゃ、お力になれそうにないので……えっと、お願いしますっ!!」

「……あぁ、理解(わか)った。お前ら行くぞ」

 深々と頭を下げられ、青桐のことを()()頼まれた花染達。
 病室を後にする彼ら。
 記憶を失ってしまっても、最愛の男を思う彼女の献身的な姿に、かつての記憶が蘇っていた彼ら。
 常に青桐のことを心配する太陽のような存在。
 誰も何も喋らないまま歩を進める男達の表情は、何かを決心したかのように、その鋭い瞳に熱を宿していたのだった。

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「はぁ……はぁ……おいっ!! 待てって龍夜ぁ"!!」

 夏川の元から一心不乱に逃げ出した青桐を追って来た草凪。
 公園のベンチに座り項垂れている彼に、息を切らしながら草凪は話しかける。

「はぁ……はぁ……お前……急に飛び出すなよ、落ち着けって……あのさ」

「うるせぇ」

「あ"ぁ"?」

「うるせぇっつってんだろっ!! あんな状況見て……落ち着ける訳ねぇだろがっ!? 今余裕ねぇんだよ、話しかけんなっ!! テメェ脳にウジでも湧いてんのかよ、あ"ぁ"!?」

「んだとテメェ……!! 黙って聞いとけば暴言ばっか言いやがってよぉ!! あ"ぁ"ん"!?」

 暴言の言い合いによって、苛立ちがピークに達した両者。
 草凪は、項垂れている青桐の胸ぐらを左手で掴むと、ベンチから青桐のけつを引きはがす。
 そのまま顔面目掛けて右の拳を振り抜いていく彼。
 左の頬に直撃した青桐は、後方へと大きく吹き飛ばされる。
 背中から受け身を取ることなく倒れていく青桐。
 着地と同時に上体を起こすと、勢いよく草凪に掴みかかりに行く彼。
 親友が殴ったように、彼もまた同じ場所を全力で殴りつけてゆく。
 取っ組み合いの喧嘩になる両者。
 幸い、周囲に人がいなかったので警察のお世話になることはなかった。
 仮に通行人が1人でもいれば、即座に通報される程の喧嘩を、街中の公園で繰り広げていた。
 
「このがぁ"!! 龍夜ぁ"!! テメェだけじゃねぇんだよっ!! 頭冷やせっつってんだろが死ね糞ボケぇ"!!」

「いってぇなぁ"!? え"ぇ"!? 何すんだオ"ラ"ァ"!!」

「んのがぁ……キレてんじゃねぇよ馬鹿(パー)かテメェ!!」

激怒(げきおこ)のテメェには言われたかねぇよぉ"!! オ"ラ"ァ"ァ"ァ""!!」

「ぐぎゃぁ"ぁ"ぁ"!?」

 草凪の襟と左手の手首の部分を掴む青桐。
 そのまま体を回転させ、背中に草凪を背負うと、そのまま地面へと叩きつけるように投げていく。
 畳の上でない土の舞う地面に投げ飛ばされる草凪。
 カエルが潰れたような呻き声を上げると、打ち所が悪かったようで、次第に意識が遠のいていく彼。
 フラフラになりながらその場を後にしていく青桐の背中を、霞む視界に捉える草凪。
 気絶する間際に彼は、憎々しそうに心の中で呟いていった。

(あの野郎……地面に、投げつけやがった……覚えとけよぉ……)

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 数時間気絶していた草凪は、1人アパートへの帰路についていた。
 物静かな住宅街の道をダラダラと歩く彼は、腫れあがっている頬を撫でながら、荒れ果てた親友の心配をしていたのだった。

「いってぇ~!! ……あの野郎本気(マジ)で投げやがったよっ!! くそ~……しっかし、相当重傷(ズタボロ)だったなぁ……しっかりしてくれよ、俺が譲ってやったのによぉ……つ~か明日会うの気まずいんだが……」

「おい」

「ん? ハゲ頭!? ……お前、リヴォルツィオーネか!?」

 帰り道をトボトボしながら歩いていた草凪の前に、数人のハゲ頭の成人男性が現れる。
 つばを飲み込み警戒心を強める草凪。
 体全体が強張る中、ハゲ頭の男の1人が淡々と話し始める。

「単刀直入に言おう。お前はこの夏の大会、出場しないことを勧める」

「……は? 何言ってんだお前ら……」

「この映像を見ろ」

「これは……!!」

『もしもしっ!? そこにいるのは隼人っ!?』

隼人(はやと)っ!? 隼人なんだなっ!? そっちは無事なのかっ!? あ、オイっ!! 母さんに何をするんだっ!! はな……』

「……理解(わか)ったか? お前の両親は誘拐(らち)らせてもらった。命が惜しければ、今回の大会への参加は辞退しろ」

「ふ、ふざけんなよ!! お前ら自分が何やってっか……」

「暫くしたら返事を聞きに来る。それまでに決めることだ。では……」

「お、おい!! 待てよっ!! んだよ次から次に……どうなってんだよっ!?」
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