第35話 君は柔道が楽しいか

文字数 3,658文字

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何も得られない日々が続き―――
刻一刻と時間は過ぎ去ったとしても―――
君は柔道が楽しいか?
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 2021年6月5日土曜日。
 1か月後に迫った福岡大会の必勝祈願を込めて、太宰府天満宮へとやって来ていた蒼海の人間達。
 各々が手を合わせている中、青桐は一人トイレの中で手を合わせ祈りを捧げていた。
 自分が出場する階級に体重を近づけるため、減量生活を始めていた青桐(あおぎり)
 高たんぱく低カロリーである食材、万能食材のゆで卵を大量に食べていたのだが、どうやら腐った卵も食べていたようで、その代償が今になって彼の腹を襲っていた。
 境内のトイレにこもり、虚しい時間を過ごしていく青桐。
 隣の個室にも誰かいるようで、換気扇の音が鳴り響く小さな世界に息を吐く音が合わさっている。

不覚(やっべぇ)……止まらねぇ……最悪だわ)

「腹いってぇ!! 最悪なんだがぁ!!」

「……あぁ? ……お前、烏川(うかわ)か?」

「……あぁっ!? 青桐ぃ!? 何でここにいんだよっ!!」

「こっちのセリフだよ……」

 隣で用を足していた人物。
 どうやらそれは、リヴォルツィオーネの烏川だったようで、個室の壁越しに会話を試みていく青桐。
 場所が場所だが、彼が抱いた疑惑を晴らしてスッキリしたいそうで、それなりに声を張って意思疎通を図る。

「お前なんだ? 暇なのか? こっちは暇じゃねぇんだよ、はっ倒すぞ」

「暇じゃねぇよっ!! つ~かお前、この前俺をダシに使った事覚えてるよなぁ!? 本気(マジ)で大概にしろよなぁ!?」

「んだよ、古賀さんのサインは現物(マジモン)だったろ? 嘘は言ってねぇんだからゴチャゴチャ言ってんじゃねぇよ」

「はぁ~!? 相変わらず口が悪いなぁオメェ!?」

「つーかテメェ、ここに何しに来たんだよ。なんか用事があんだろ?」

「あ? そーだった、そーだった!! 今日はお前に伝言(メッセージ)を伝えに来たんだよっ!! そしたらオメェらなんかやってんし、なかなか言い出す機会がねぇから、ちょっとアイス食ってたらな……食い過ぎた」

「理性も糞もねぇな。頭に何が入ってんだよお前……カニ味噌か?」

「うるせぇなっ!! 欲しくなったから仕方がねぇだろっ!? ……おい、青桐」

「んだよ」

「お前ら、リヴォルツィオーネの工作員の……ハゲ頭達には気を付けろよ。アイツら、裏でなんかとんでもねぇことやらかす気だぜ」

「……」

「……なんで(かんもく)ってんだ?」

「お前もリヴォルツィオーネの一員だろ、なんでそんな手の内(タネ)明かすことやってんだよ」

「はっ!! ハゲ共と一緒にしてんじゃねぇよ!! 俺は柔道で正々堂々(ガチンコ)勝負がしてぇんだよ。 俺は全力(ガチ)のお前らを叩き潰してぇんだよ」

全力(ガチ)ねぇ……西郷六朗(さいごうむつろう)の暗殺をやった集団の関係者が言ったところでなぁ? ……暗殺もどうせハゲ共の仕業だろ? アレ以降、街の治安が悪化(おわ)ってんだぜ? 正々堂々(ガチンコ)とは真逆のことしてんじゃねぇか」

「それについては……獅子皇(ししおう)さんから口止めされててなんも言えねぇ」

「んだよそれ」

「その件については、こっちでも色々考えがあんだよ。色々と指示も出てんだけど……全国大会では、アイツらの指示を無視(シカト)するつもりでいるわ」

「裏切るって意味か」

「まぁなぁ~……育てて貰った()はあるけどよぉ……約束(ちぎり)と違うことをされた以上、こっちとしても黙っているつもりはねぇ。いいな? 絶対何処かでハゲどもが妨害してくるけどよ、どうにかして乗り越えろ。全力(ガチ)れずに負けましたなんて承知しねぇぞ」

「……随分全力(ガチ)で戦うことにこだわるんだな」

「そりゃなぁ……時代の象徴のお前らを完全に実力(うで)で上回らねぇと……この時代の否定には繋がらねぇからよ」

「……」

「やりたくもねぇ柔道をやらされて、ひっどい目に遭ったからよぉ……その柔道でやりかえしてやんだよ。全員ぶっ倒して、中指立てて……ざまぁ見ろって言ってやんだよ。あの糞母親(ババア)にはな」

「……テメェの都合なんて、こっちは知ったこっちゃねぇからよ。悲しい過去とか告白(ほざ)いて同情誘っても無意味だからな?」

「はっ!! 上等だよ……全国の舞台で決着(けり)つけてやんぜ。本気(マジ)の俺を見せてやんよ!!」

 水を流した烏川はトイレを後にする。
 一触即発の空気が緩んでいく室内。
 深くため息を吐く青桐は、本日の午後に控えている夏川(なつかわ)の見舞いと、古賀との特訓に備えて、気合いを入れ直すのであった。
 心の内を吐露しながら―――

「ちっ!! ……悲劇のヒロインぶりやがって……ムカつくんだよ」

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 参拝が終了後、それぞれ現地解散となった蒼海のメンバー達。
 青桐はそのままの足で、夏川が入院する病院へと向かって行く。
 草凪とはあれからギクシャクした関係が続いており、日常会話もどこかぎこちない物となっていた。
 その彼は一足先に古賀の道場へと向かっており、今は青桐1人で見舞いへと向かっていた。
 記憶喪失が発覚後も、定期的に足を運んでいた彼。
 たわいもない会話を交わすも、彼女の記憶は戻る素振りも見せていない。

「あ、青桐さん、こんにちは!! 今日も来てくださったんですねっ!!」

「鈴、あぁー……夏川(なつかわ)さん、どうもっす……」

「ふふ、そろそろかな~今日はどんなお話を聞けるのかなぁ~って、楽しみにしてました!!」

「……」

「? 青桐さん、どうしたんですか?」

「え? あ、いや!! 何でもない……っす」

 記憶を失った彼女は、無邪気な表情のまま、青桐が口を開くのをベッドの上で見守っている。
 椅子に腰かけ、過去の思い出を語る青桐。
 自分と夏川、草凪の3人で、共に汗を流し柔道の練習に臨んでいたこと。
 頭に血が上って、互いに暴言の応酬から、実力行使に発展したこと。
 中学に進学した際に、彼氏と彼女の関係性になったこと。
 記憶を呼び起こすために、出来る限りのことを話していくも、彼女との思い出は未だに目を覚ますことは無い。

「そんで隼人……草凪とはちょっと拗れてて……」

「拗れる? 喧嘩でもしたんですか?」

「あぁ……まぁ……2か月前くらいに……俺の方から謝りはしたんだけど……なんかこう……」

「……今度私も一緒に謝りましょうか? その、原因を作ったのは、私が記憶を思い出せないから……」

「あ、いや!! 大丈夫、大丈夫……俺の方で、しっかりやっとくから」

「そうですか……」

「ああ」

「……」

「……」

「あの」

「ん?」

()()()()()()()()?」

「え?」

「いや、その……なんか顔色が悪いって言うか……辛そうにしているって言うか」

「あぁ……あぁ!! もちろん、楽しい、ぜ!! 毎日、成長が実感できてるしよ? 今日もこれから、古賀さんの道場で練習してくるし」

「それならいいのですが……」

「……じゃ、そろそろ時間もアレだし、行って来るわ」

「ええ、理解(わか)りました。いってらっしゃい」

「……行って来ます」

 引きつった笑顔で、最愛の人と別れる青桐。
 病室から離れていく彼は、肩を落としたまま、深くため息を吐いていた。

「楽しい……柔道、楽しいん……だよな?」

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 青桐はそのままの足で、古賀の道場へと電車で向かって行く。
 毎週土日は草凪と2人で、古賀の道場で稽古をつけてもらっていた。
 道場に通うのも習慣になっており、先に練習していた生徒達に挨拶を済ませると、早速道着に着替えて練習に臨む。

「……アレ? 古賀(こが)さんがいない」

「おう龍夜、やっと来たか。古賀さんならまた薬飲みに行ってんじゃね? なんか顔がやつれてたけどさ……体調悪いのかね」

「……」

「あん? どうした龍夜」

「いや……その、この前は、本気(マジ)で悪かった」

「おいおいおい……また謝んのかよ? んだよ。鈴音の所に行って、説教(どや)されてきたのか?」

「……んな所だよ」

「はぁ~……はいはいっと!! へっへっへ……何かこう、普段暴言ばっか言われてっから、謝罪の言葉が心地よいねぇ? 毎日これでいこうぜ?」

「……テメェ、あんま調子(Cちょう)になんなよな?」

「お~怖い怖いっと……龍夜、来たぞ」

「!! (おつかれさま)です、古賀さん」

(おつかれさま)。早速練習するか……」

了解(おっす)切望(おねがいしゃっす)

 赤い畳で囲われた場内へと歩いて行く2人。
 場外でウォーミングアップを兼ねて、他の弟子達と打ち込みを行う草凪は、これから乱取りを行う2人には聞こえないように、小声で会話する。

「……なんか、古賀さん体調が悪そうじゃないっすか?」

「んん~……やっぱ草凪君もそう思うよね」

「ですよねぇ……風邪っすかね?」

「……噂では、がんの影響だって聞いてるけど……」

「……うぇっ!? ……え、がんっすか」

「うん。去年に一回手術して、闘病生活を送っていたんだ。薬を飲んでいるのは知ってるだろ?」

「そうっすね。いーや、現実(マジ)っすか……治りますよね、流石に」

「多分……」

 心配そうに古賀の姿を見つめる2人。
 彼は今、青桐と対面し、いつものように組手争いを行い、若き柔道家に稽古をつけている真っ最中であった……
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