指導員としてつらかったこと
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筆者が指導員をしていて最もつらかったことは、生徒との空手に対する温度差でした。
子どもたちの多くは親に言われて入門するか、友達がやっているから自分もやるという程度の動機でした。
自ら望んで道場に通う筆者とは自然、空手に対する熱が違ってきます。
こちらがいくら熱心に空手を研究し、それを分かりやすく伝えようとしても、ほとんどの子が「興味な〜し」という感じでは虚しくなるのも当然です。
中には空手が気に入って熱心に取り組んでくれる子もいましたが、だからといって特別扱いできないのも苦しいところでした。
本音を言うと、やる気のある子はめちゃめちゃ特別扱いしたかったです。指導者としては許されないでしょうが、人としては当然の感情です。
それから、才能のある子がやめてしまうのもつらかったです。
「自分は大した活躍ができなかったが、教え子が大活躍してくれれば…」という願望を持つのは、指導者として自然なことです。
ましてや、本人が続けたがっているのに親の都合でやめさせられてしまうというのは、指導者として最大級の悔しさでした。
同時に、才能のない子(と言っては失礼かもしれませんが)にスポーツ的な技術を教えなければならないのもつらいところでした。
「この子が学ぶべきはスポーツではなく武術だろう。そして、私にはそれを教えるだけの知識があるのに…」
しかし、道場の練習内容から大きく外れた技法を勝手に指導するわけにはいきません。的外れな練習を続けさせるしかなかったのです。
もっとも、保護者からの苦情はすべて支部長先生が処理してくださったおかげで、筆者の悩みなどは気楽なものだったかもしれません。
中にはモンペアみたいなのもいましたから、技術指導に専念できた筆者とは比べ物にならないストレスがあったことでしょう。
だから道場主である本部長先生から「お前も支部を持たんか?」と勧められた時には「そろそろ潮時かな」と感じました。そして、その数カ月後には道場をやめました。
こちらの師弟にも温度差があったようです。