二二
文字数 978文字
九棟の二〇一号室と対面している部屋の二〇二号室に住んでいる川合家。そこでも同じく朝を迎えていた。
貢の「しまった!」の大声は向かいに住む川合家にも聞こえていた。「おいおい」と、鴇なら言いそうだが、どうやら、彼の心は別の場所にあったようだ。昨夜の余韻が大きすぎて、祭りの後の寂しさが漂っていた。
二十八年ぶりの再会は、あまりにも大きかったようである。
この日は鴇の会社は休みになっていた。どうも都合よく(?)設立記念日である。
窓の外は夏空が広がっていた。今の鴇の目には、それよりも遠くを見つめていた。
恐らく彼の目には、自分のすぐそばにリンダ(当時は愛子と呼んでいたが、もういいだろう)がいた頃の季節の景色が映っていたことだろう。夏は過ぎており、彼女との出会いは秋だった。
今は家庭に身を置き、リビングで寛いでいる鴇。目の前のテーブルに置かれている料理にも手をつけずに、そのまま何処か遠くを見るような目をしていた。遠い過去に振り返っていることは言うまでもないだろう。
今日だけは、このままそっとしておいてほしい。その彼の心の叫びが伝わってくるようであった。
自分以外の女性に心を奪われるほど想いを寄せている夫を見て、嫉妬するのは簡単である。だけとも、君子には彼を責めることはできない。なぜならば、その女性がどんな人かをはっきり知っているからであった。
妻として…。
その女性に対する嫉妬を心の底に沈めていた。二度と浮かび上がらないように…。
君子にとっては、嫉妬することほど醜いものはないと思えていた。なぜならば、嫉妬は相手を見下し、自分自身を腐らせていくからである。その時、自分で最もいやな自分を知ることになる。
もしそうなれば、一体何のために人間をやっているのかわからなくなってしまう。人間なんて…人間なんて辞めてしまいたいと思うであろう。それに自分の記憶の中のその女性があざけり笑うにちがいない。
最悪の境地を見ないためにも、嫉妬する代わりに心配をしていた。夫の身を案じることが妻の役目だから、君子は女として、今はただあたたかく見守ってあげたい。過去にしか向かない淋しがりやのその淡い恋のために…。
しかし、君子が心配するまでもなく、鴇は青春時代の懐かしき思い出の中にいただけのことだった。
明日になれば、また現実の世界で新たに出発できるであろう。