二〇

文字数 6,889文字


 鴇は、君子を先に帰して、この四棟の近くの公園で一人、サッカーボールを蹴っていた。
 ひたすらリフティングを続けている。しかし、別に集中しているわけではなく、心は別の所にあった。
 しかも、その公園は今朝、海里が満と再会した場所でもあった。
 今後、この公園は色んな場面に出てきそうなので、名前を付けた方がいいと思う。
 したがって、正式な名前がわからないので「サンデーパーク」と名付けておこう。
 そして、鴇の心はまた別の場所にいる貢の心と重なった。鴇を始め、貢もまた同じ時間の流れの中にいた。
 再び、思い出の中へ…。
 その頃、鴇は母の宮子と一緒に東京に暮らしていた。彼は私立薫栄高等学校の生徒だった。またこの学校には裏の組織が存在していた。その組織の名は「情報屋稼業」と云う。母一人子一人の生活で、かなりの貧乏をしていた。
 宮子は日々、パートに勤めていたが、生活保護が受けられないために生活は苦しかった。彼もアルバイトを考えていたが、校則では禁止だった。そんな時、彼はある事件に巻き込まれたことがきっかけで、情報屋稼業に加入した。
 そのある事件とは、鴇の親友である網本唯一郎が、ある組織によって消されたことだった。彼はその事件の真相を暴こうと動いていた。その途中である。あの早川愛子(毎川臨舵であることを鴇は知らない)の姿を、この校内で見かけた。普通だったら、再会を果たすところではあるが、その頃の鴇には、それが許されていなかった。実は彼は狙われているから…。網本唯一郎の事件を追っているうちに、ある組織から狙われるようになっていた。まだ、その組織が何なのかはわからず、網本唯一郎が関係していることだけはわかっていた。情報屋の仕事もしづらくなっていた。
(ごめんよ。今はお前に会えない)と、鴇は彼女のことを遠くで見守ることしかできなかった。
 いつからだろう、いつも彼女のことを守っている男性がいた。彼女は彼のことを「貢君」と呼んでいた。
 そして、その組織から、この子が狙われているという情報が入った。写真を見せられて鴇は血の気が引くのを感じた。その写真に写っていたのは、あの早川愛子だった。その情報をもってきたのは元締の音羽だった。
 元締の音羽。本当の名前は誰も知らない。普段は「食堂のおばさん」で通っている。
「音羽さん、本当にこの子が狙われているのですか?」と、鴇は思わず、聞き直した。
「残念ながら、本当よ。それに依頼人もいるのよ。受けてくれますね」と、音羽はこの場を仕切った。
「わかりました。受けましょう」と、鴇は決意を固める。
「待ってくれ!」と、そこに貢が姿を現した。
 そこで鴇が思ったこと、情報屋は仕事を人に見られてはいけない。それは行動に移される。
「悪いが、知られた以上、このまま帰すわけにはいかないのでね。始末させてもらうよ」
 と、鴇は懐から静かにボールペンを取り出した。そのボールペンのスイッチをノックすると先から十センチ程の鋭い針が飛び出した。同じく貢も懐から角柱型の木鏨(きたがね)のようなものを取り出した。長さ二十センチのそれを上下に割ると片側にシャープペンシルの先が仕込んであり、また上下を逆に組み直すと、先から十センチ程の針が飛び出した。後でわかる話だが、貢のシャープペンシルの針には麻酔液が仕込んであり、鴇のボールペンの針には何も仕掛けがない。つまり二人とも同じような武器だが、使い方が異なっていた。まあ、実践でわかるであろう。
 そして、武器と武器がぶつかり合うその時、「おやめ!」と、音羽の声が響いた。二人は動きを止めた。
「あなたの名前は?」と、音羽は聞いた。
「早坂貢です」と、貢は答えた。
「鴇君、この人、敵じゃないみたいよ。腕は互角みたいだね」と、音羽は鴇に言った。
「じゃあ、同業なのか」と、鴇は貢に聞いた。
「どうやら、そのようだな」と、貢は答えた。
「これで決まりのようね。貢君も、この仕事、受けてくれるね」
「はい」
「今回は、わたしも仕掛けに参加します」と、音羽も決意を固めた。
 思い出の中から始まったが、これが鴇と貢、この二人の出会いだった。
 ここでまた説明しなければならないことができた。この頃の情報屋は二つ存在していた。「旧情報屋稼業」と「新情報屋稼業」があった。旧情報屋稼業は元締の音羽が仕切り、そこに鴇が一人、細々と仕事を続けていた。かつてのメンバーはすでに去っていった。つまり解散していたわけである。しかし、網本唯一郎の仇を討つまでは音羽と鴇はこの仕事を続ける。影の中の影となって…。新情報屋稼業は、旧情報屋稼業が表向きの解散をした後に結成されていた。そこでは、久保を元締に、新たに加入した貢と、その他の三人のメンバーで結成されていた。実はこの頃、音羽は、久保に疑念を抱いており、鴇を動かしていた。鴇は、久保に探りを入れていたのである。しかし、久保も鴇が探りを入れていることに気がついており、鴇に対して次々と刺客を送っていた。それを始末するのが、鴇の仕事となっていた。
 そもそも情報屋稼業とはいったい何なのかという質問があるだろう。それも説明しなければならない。
 情報屋。つまり情報を提供するもの。ここで云う情報屋稼業は、校則の網を脱ぐって蔓延る悪を捕まえ提供し、表の光にさらけ出す闇の情報提供組織である。そしてこれは仕事であり、また裏の稼業である。
 しかし、旧情報屋の場合は、学校から依頼を受けているわけではなく、直接依頼人から依頼を受けている。実は鴇が刺客から狙われる際に、その巻き添えになった者がおり、その者が依頼人になるケースも多かった。それに対して、鴇はいつも心を痛めていた。だけども、網本唯一郎の仇を討つまでは足を洗うわけにはいかなかった。
(愛子が依頼人にならないうちに始末しなければ…)と、鴇は焦っていた。
「さて、仕掛ける相手は八人…どうしたものか」と、音羽は呟いた。
「奴らはまず俺を狙ってくる。俺が囮になるさ」と、鴇が言った。
「それじゃ、お前が危ないんじゃないのか」と、貢が心配そうな表情で言った。
「まあ、心配するなって。俺はいくつもの修羅場を潜ってきた。何を今更って感じだぜ」と、鴇は笑顔で言った。
 貢は、この時の鴇の表情を見て、ゾッとするような感覚を覚えた。(こいつ、ただものではないな)という感じではなく、自分では想像もつかないようなことを経験してきたような感覚だった。…恐怖すら覚えた。
 そして仕掛け決行の放課後、いざ出陣。鴇と貢は一緒に中庭を歩いていた。
「一つお前に聞いておきたいことがある」と、鴇から声をかけた。
「何だい?」
「お前は何故、今回の仕掛けに参加した?」
「大切な人を守るためだ。じゃあ、お前は?」
「大事なものを守るため」
「…そうか。お前と組めて良かったよ」
「話はここまで。そろそろ、相手のお出ましだぜ」
 三人は俺たちの後をつけてきている。後、五人は姿を消しているが…わかるぜ。気配が伝わりまくっているよ。
「ここで別れよう。後は手筈通りに…」と、鴇は周りを確認してから「頼んだぜ!」と叫んだと同時に走り出す。すると、やはり三人も鴇の後を追いかけて行った。そして、体育館に隠れていた二人も姿をみせる。鴇はそのまま食堂に入って行った。貢は、それを見届けながら渡り廊下の方に姿を消した。残る三人は中庭に隠れており姿を見せた。
 体育館にいた二人は食堂の入口付近に待機し、鴇の後を追いかけていた三人は警戒しながら食堂に入って行く。すると、食堂の中は静まり返り、誰一人と姿がなかった。突然、食堂内の電気が消え、うめき声が聞こえた。三人のうちの一人目がやられたようだ。そして、電気がついた瞬間、レジの所から音羽が姿を現し、赤色の紐(編み物で使う)をなげた。二人目の足に巻き付き、音羽は紐を引っ張ってこかした。その二人目の上に鴇が乗っかり、ボールペンの鋭い針を首筋辺りの急所に刺した。その針を抜くと同時に二人目はそのまま気絶した。続けて三人目が鉄パイプを鴇に投げつけた。鴇は素早く反応して、回転しながら飛んでくる鉄パイプを飛び蹴りして跳ね返した。その跳ね返った鉄パイプは三人目の胴体に当たり、三人目も倒れてそのまま気絶した。その様子を見て、食堂の外で待機していた四人目と五人目はその場を逃げ出した。
「鴇君!」と、音羽はサッカーボールを投げた。
「サンキュー」と、鴇はそのサッカーボールを足でキャッチしてドリブルをしながら食堂を出た。
 そして四人目と五人目が校舎に向かって走っている所をめがけて、鴇はシュートをするような勢いでボールを蹴り上げた。そのボールは凄まじい勢いで回転をして球威が落ちることなく約百メートルの距離をきれいなカーブを描きながら飛んでいき、四人目の後頭部を直撃した。四人目はその場で倒れ気絶した。五人目はそのまま校舎に入って行き、渡り廊下の方に向かって行った。鴇もすぐさま後を追いかけて行った。
 渡り廊下の出口付近で、貢は木鏨に仕込んだシャープペンシルを組み直した。そのシャープペンシルは槍の形に姿を変えた、それは同時に仕込みの麻酔液が針に注入される仕組みになっていた。
 渡り廊下の出口から校舎に入った所に自分を追いかけて来た三人が姿を見せた。その付近にある外に繋がる入り口に煌めく夕陽の日差しを背に受けながら貢が姿を現した。その三人は襲いかかって来た。すると貢は三人に向かって走り出した。まるで三人の間を風が通り抜けたかのような感じだった。夕陽に仕込みの針が輝いた次の瞬間、三人(つまり六人目、七人目、八人目)は一斉に倒れた。そこに逃げてきた五人目が姿を現し、鉄パイプを取り出し、貢に襲いかかった。その鉄パイプを蹴り飛ばし、素早く背後に回って、相手の肩に針を差し込んだ。針を抜いた瞬間、五人目は崩れる様にして倒れた。そこに鴇が来た。
「お前、誰だ?」と、鴇はボールペンを持ち構えた。
「おいおい、俺だよ」と、貢は長髪の鬘(かつら)を外し、まるで歌舞伎みたいな白塗りの厚塗りの化粧を剥がした。
「何だよ。脅かすなよ」と、鴇はヘナヘナとしゃがみ込んだ。
 貢は思わず、鴇のそのリアクションが可笑しく、笑い出した。それにつられて鴇も笑い出した。
 それは、笑い声が絶えない焼け付く暑さが記憶に残る夕焼けの出来事であった。
 そして、二人は食堂に向かった。
「お疲れさん!」と、音羽は二人を迎えた。
 テーブルの上に今回の仕事料が用意されていた。二人合わせて五万円あった。
「俺は二万でいい」と、貢は言った。
「どうして?」と、鴇は聞く。
「お前は今回、一番危険な役目をした。その分だよ。…それにお前には大事なものがあるのだろ」
「貢、お前…」
「貰っときなよ、三万。お前が大事に思う人のためにさ」
「貢、すまない。お前の気持ち受け取るよ。必ず借りは返すからな」
「じゃあな」
「ああ、じゃあな。また、いい仕事があったら誘ってくれや」
 そして、貢が笑顔で去った後、音羽は鴇に言った。
「鴇君、いい仲間を持ったね」
「ああ、いい奴だ…」と、鴇は心の中で(貢よ、お前はいつも愛子のことを守ってくれていたんだな。ありがとよ。俺はお前になら安心して、任せられるよ。愛子のことをな)と熱い思いを語っていた。
 この日、鴇は家に帰ると母の宮子に黙って三万円、渡した。
「いつもすまないね。お前には苦労をかけたくなかったのに…」と、宮子はすまなさそうな表情で鴇を見た。
「母さん、それは言いっこなしだよ」
「でも、鴇。危険なことや、無理してないかい?」
「大丈夫だよ。心配すんなって」と、鴇は笑顔で言った。
 でも、鴇は心の中で(ごめんよ、母さん。もうすぐこの仕事も決着がつく。もう心配かけることないんだよ)と、声にすることのできない言葉を呟いていた。
 戦いの日々は流れ、決着の時を迎えたこの日、情報屋稼業としての最後の仕事になった。
 網本唯一郎の事件には久保が絡んでいたことが確信となった。久保は麻薬を密輸していたのだ。それを暴くために唯一郎は単身、久保と、その組織を仕掛けようとするが、返り討ちにあってしまった。そして還らぬ人となった。
 それに対しての復讐を果たすため、また新たな犠牲者を出さないために、残された二人の情報屋が出陣した。
 夜霧を裂いて…。出門仁平と早坂貢である。
 それを知った鴇は、遠くから(愛子、行ってくるよ。必ず貢をここに連れて来るからな)と心の中で声をかけて、その場から離れた。彼もまた、夜霧を裂いて走って行く。
 そして仕掛けの場、途中で仁平に会う。
「仁平、貢は?」
「おお、鴇か。あいつには今、十分、時間を稼いで貰っている。俺は警察を呼ぶ。そこで久保を現行犯逮捕する」
「…そうか。ついに唯一郎の仇が討てるのだな」
「ああ、そうだ。そこで鴇、お前には頼みがある。貢を守ってやってくれ」
「言われなくても、そのつもりだ。あいつには借りがあるからな」
「そうか。頼むぞ」
「ああ」
 鴇と仁平は別れた。鴇は貢のもとへ駆け出した。
 そして、仕掛けの場、久保が握っている拳銃が、貢の額に突きつけられていた。一刻の猶予もない。
「唯一郎、あいつに、せめて一太刀、浴びせるぞ」と、鴇は建物の窓の外から雄叫びをあげながら思いを込めてサッカーボールを蹴りあげた。ボールは激しく回転しながら窓ガラスを割り球威が落ちないまま久保の顔面を直撃した。次の瞬間、貢は風と同化し、素早い動きでシャープペンシルの針を久保の肩に叩き込んだ。そして針を抜いた。
「貢、脱出だ!」と、仁平の声が聞こえた。
 貢は久保の近くに落ちているサッカーボールを拾い抱えて、その場を脱出した。
 そして、貢は鴇と合流した。
「情報屋がこんなもの忘れちゃいけないぜ」と、貢はサッカーボールを手渡した。
「返してくれると思っていたよ。ありがとう」と、鴇はボールを受け取った。
「鴇、今回の仕事の料金は貰ったのかい?」
「貰ってないんだ。それでお前は?」
「俺も貰ってないけれど、仁平もそうだし、他の仲間も貰ってないな」
「つまり全員か…。最後で掟を破ってしまったな」
「そうだな。それにお前にしては珍しいな」
「ははは…どうも女の子の涙には弱くてな…」
「それより鴇、あの子には会わなくていいのか?」
「どうして?」
「あの子から聞いていたよ。お前のこと。」
「…そうだったのか。お前の気持ちはありがたいけど、俺はあの子に会わない方がいいと思うんだ」
「何で?」
「あの子が今、そばにいてほしいのはお前だから…。俺はこのまま去るよ」
「鴇、情報屋はこれでなくなったけれど、俺たちは親友だから、また会おうぜ」
「その時は、社会人かな。一緒に酒でも酌み交わすか」
「ああ、約束だぜ」
 そこで、思い出は途切れようとしていた。現在に戻される。鴇はうっかりサッカーボールを蹴りあげてしまった。
 そのボールを貢がキャッチ。そして思い出のあの子が現在の姿となってそこにいた。
「リ、リンダさん」と、鴇は緊張している様子で、その人の名前を呼んだ。
「リンダでいいですよ。なあに、鴇君」と、にっこり微笑みながら聞いた。
「あの、今晩、僕と貢と一緒に飲みに行きませんか」
「もちろんです。行きますよ。ねえ、貢」
「ああ、リンダが言った通り、一緒に飲みに行こう。そこで、またこの話の続きをしようじゃないか」
「まさに同窓会だね」とリンダは言った。
「じゃあ、この場所で待ち合わせよう」
「それに、あの時はありがとう。俺のこと、守ってくれたんだな」と、貢はボールを鴇に手渡した。
 鴇はそのボールを受け取り言った。
「いいって、お前に借りを返せたからな。じゃあな。また会おう」
 一旦、貢たちと別れた後、鴇はドリブルをしながら、九棟の自分たちの部屋の下まで来た。
「君子!」
 しばらくして、君子がベランダに姿を現すと、鴇はボールを蹴り上げた。彼女はそのボールを見事にキャッチした。
「あなた、どうしたの?」
「俺は貢とリンダと一緒に飲みに行くが、お前はどうする?」
「あたしはいいわ。旧友さんたちの集まりだから、あなた、楽しんどいて」
「わかった。じゃあ、母さんのこと、頼むぞ」
「はい。あなた、行ってらっしゃい」
 君子は鴇を見送った後、宮子が彼女に声をかけてくる。
「君子さん」
「あっ、お母さん」と、振り返れば、そこに宮子がいた。
「一緒に行かなくて良かったのかい?」
「はい。あの人、一時でも懐かしい頃に浸りたいと思いましたもので…。自由にさせてあげたいと思いました」
「そうかい。あの子には苦労をかけたからね…」
「大丈夫ですよ、お母さん。あの人はあんないい友達がいて、いい青春を送っていたと思いますよ」
「それならいいのだけど…」
 君子は夜空を見上げながら(あなたって幸せものですね。あんないい友達がいるもの)と胸中で呟いた。
 君子の足元にあるサッカーボールは、まさしく鴇と一緒に青春を歩んでいることを物語っていた。
 その頃、鴇はサンデーパークで貢とリンダに会い、夜の街を歩いて行った。それは賑やかな夜の出来事だった。



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