――後日談。

文字数 5,647文字


 テレビのニュースでの出来事は、十年前と変わらずどころか、深刻さを増していた。
 わたしにとっては、教師になって、初めての二学期である。…不安は隠せなかった。
 学校以外の逃げ場所を見付けるという選択肢もあるけど…。
 わたしはやっぱり学校で、皆と元気に顔を合わせたい。そして、二学期の最初の登校日を迎えた。
 教室に入ると、そこには誰一人として欠席者はおらず、皆が元気な顔でそこにいた。
 教壇の上で、わたしは…涙を零していた。
「瑞希先生、どうしたのですか?」と、皆が騒いでいた。
「…ありがとう、皆。…元気に学校に来てくれたのですね」
「何も泣かなくても…。当たり前じゃないですか」と、皆が笑顔で言ってくれた。
「そ…そうだよね」と、わたしは涙を拭っているけど、なかなか止まらなかった。
 …その当たり前のことが、とても大切なことなのだよ。と、早坂先生は教えてくれた。
 まずは二学期を無事に迎えることができた。
 そして新たに、ケイトさんを、わたしたちのクラスに迎えることができた。
 ケイトさんのフルネームは、メリィ・ケイト・ベイカー。現在は、海里さんと同じ所に住んでいる。
 来年の春には、お父さんとお母さん(リンダさんのお姉さん)、そして、お婆ちゃん(リンダさんのお母さん)が、京都に越して来るそうだ。それにケイトさんは、十月の終わり頃から恭平君と、お付き合いを始めたようだ。
 ケイトさんは、八月二十四日の劇に、飛び入り参加をしたことをきっかけに、演劇部に入部した。そこで、恭平君との仲が深まったらしい。その頃、伊都子さんは、ケイトさんとの卓球の対決を楽しみにしており、密かに腕を磨いていた。今度、文化祭で演劇部は、再びTraditional of the sun 2015の劇を行うことになっている。その劇中の卓球の対戦で、リベンジを果たそうとしていた。そんな中、海斗君とのお付き合いも続いている。…以前にも増して充実していた。
 …と、その前に、九月五日の出来事があった。その日は未来君のお誕生日だ。
 海里さんと海斗君は、未来君に誘われて、生まれて初めてのお誕生日会を経験した。わたしも、その場に参加していた。お友達と一緒に誕生日を祝ったのは初めてのことで、この二人は大感激だった。でも、もう一人、大感激している人がいた。実は、鴇さんも初めての経験だったそうだ。今度は、来年の四月一日の海里さんと海斗君の合同のお誕生日会が待ち遠しいと言っていた。
 未来君と海里さんは、お兄ちゃんの勧めもあって、京都芸術大学院を目指していた。大学試験の猛勉強と、演劇部の活動と、この二人はいつも一緒に行動をしていた。このままいけば、学生結婚の道も大いに期待できることであろう。
 時の流れが速く感じられるようになった今日この頃…。
 文化祭を前日に控えた日、わたしは、海里さんに誘われて、早坂家を訪問した。
 リンダさんが、わたしにお話をしたいそうだ。
「お忙しいところ、すみませんでした。瑞希先生、実は折り言って、お話したいことがあります」
 そう言った時のリンダさんの表情は、初めて見るものだった。
「リンダさん、大丈夫ですよ。お気軽に話して下さい」
「瑞希先生のこと、主人から改めて詳しく聞きました。そこで、お願いがあります」
「…と、言いますと?」
「今度の新作ですが、是非、瑞希先生をモデルにしたいのです」
「えっ?わたしなんか…。モデルにするほどでもないと思いますが…」
「いいえ、どうしてもお願いしたいのです。今度の新作は、瑞希先生でないと駄目なのです」
 リンダさんの目は真剣だった。わたしの方が押されていた。
「…リンダさんが、そこまで言うのでしたら…」
「じゃあ、受けて頂けるのですね…?」
 更に、リンダさんは追い打ちをかけてきた。
「はい。わたしで良ければ、お役に立たせて頂きますよ」
「ありがとうございます。瑞希先生」
 リンダさんは笑顔になった。この時のリンダさんの迫力は、わたし以上だと思った。
 それから、リンダさんはメモを取りながら、わたしに色々なことを訪ねてきた。
 家族構成。生まれた場所。幼稚園・小学校・中学校・高校・大学での出来事。友人のこと。尊敬している人…。そして、お母さんのこと。実に、わたしのことを、すべて知ろうとしていた。そんな中で、リンダさんが、目の色を変えた出来事は、いじめを苦に自殺しようとした友達を、体を張って説得したことだった。もう一つは、お母さんと喧嘩したあの日の夜のことだった。…リンダさんが多くの人に伝えたいことは、きっと、わたしが思っていることと同じだろう。
 わたしと早坂先生が、大切な生徒を守りたいように、きっとリンダさんも、わたしたちと同じ思いなのだ。
 そして迎えた十一月十八日の文化祭…。
 リンダさんの思いを込めたTraditional of the sun 2015は、より深みを増して大成功に終わった。
 伊都子さんとケイトさんの卓球の勝敗は、ご想像にお任せします。
 そして、文化祭が終わった時に、演劇部の皆と一緒に決めたことがある。
 それは、演劇部のtime capsuleを作ろうということだった。…time capsuleの箱は、部室の机の上に用意されていた。
 先ず、この劇に使った脚本は、各自time capsuleに入れる決まりだった。それから、各自、個人のものを入れていく。
 恭平君は「愛用の帽子」
 伊都子さんとケイトさんは一緒に「卓球対決で使ったラケットと球」
 海斗君は「トランプ」
 孝夫君は「劇で使った船員の衣装を一式」
 未来君は「海里さんを救出した時に使ったタイヤ。丁寧に梱包されている」
 海里さんは「幼い頃から一緒に歩んできた太陽の伝説の二冊の本」を、このtime capsuleに入れた。
 そして、未来君は驚いた表情で、海里さんに聞いた。
「海里、それはお前の大切にしていたものだろ?」
「ううん、いいの…」と、海里さんは淋しそうな顔をしていた。…二冊の本に話しかけた。
「さようならは、言わないよ。また二〇三〇年に会いましょうね…。わたしの青春たち…」
 でも、わたしには、その時の海里さんの気持ちがわかるような気がしました。
 わたしも、同じだったと思います。
 わたしは「十年前の九月一日の新聞」を、このtime capsuleに入れた。
「瑞希先生、その新聞は…」と、早坂先生は聞いた。
「そう。あの日のことの新聞です。そして、わたしが先生になるきっかけになったものです」
 わたしは、あの日のことが、脳裏に蘇った。
 あの日…。そう。忘れもしない十年前の八月三十一日。わたしは、いじめを苦に自殺しようとした友達を、体を張って説得した。…そんなことは、この新聞には書かれていない。書かれていることは、真実とは全く異なるもので、夜の校舎の屋上で全裸の少女が大暴れ。私立大和高等学園は、そのことを隠蔽した…と、書かれているものだった。遠くからだったけど、写真まで掲載されていた。その写真によって、その少女は誰であるかは、わかってしまうだろう。それは当然、学校の問題にまで発展していたに違いない。間違いなく、教頭先生であるお母さんや他の先生方にも、多大な迷惑をかけたと思う。それに他の生徒が、わたしを咎めるに違いないと覚悟していた。
 でも、あの大人しかった妙子が、わたしを咎めた生徒に向かって、初めて取っ組み合いの喧嘩をした。
 山田は、授業と家にいる時以外は、トイレに至るまで、わたしにくっ付いて離れなかった。
 お母さんは、わたしのことを怒らなかった。他の先生たちや、マスコミから守ってくれていた。
 早坂先生はアメリカに行ってからも、わたしのことを気遣ってくれていた。
 そのことが、わたしの涙を誘った。
 そして、わたしのこの時の涙の意味を、早坂先生は知っていた。
「そうだったのか…。でも、良かったのかい?」
 わたしは涙を手で拭いながら答えた。
「はい。わたしには、もう一つきっかけになった人が、目の前にいますから…」
 すると、皆は、早坂先生の方を見た。
「早坂先生は、やっぱりただ者ではなかったですね」と、恭平君が言った。
「あの怒ると怖い瑞希先生にきっかけを作ったのは大変だったでしょう?」と、未来君が言った。
「あ、あの…未来君…」と、海里さんは、ガタガタ震えながら、未来君をトントンと叩いていた。
「未来君!一言多いのじゃないかな?」と、わたしは頭グリグリの刑の構えをした。
「あ、あの…ごめん。悪気はなかったよ。許してね」と、未来君は、後退りしていた。
 すると、わたしは急に吐き気を模様した。口を押さえて廊下に飛び出した。
「ひっ!」と、未来君は頭を手で押さえていた。でも、今はそれどころではなかった。
 廊下にある水道場。わたしは、そこで吐いていた。そこに妙子と山田が寄って来た。
「瑞希、どうした?具合でも悪いのか?」と、廊下から聞こえる山田の一声で皆が集まって来た。
「大丈夫ですか?瑞希先生」と、早坂先生は、わたしの背中を摩った。
「早坂先生、ありがとうございます。大丈夫です」
「瑞希、あなたまさか…」と、妙子は言った。
「…できちゃったみたい」
「そうなのか、瑞希さん。僕たちの子供なのだね」と、孝夫君は驚いていた。
「…うん。わたしたちの子供よ」
「瑞希さん、ありがとう」
 孝夫君が、喜びの涙を流している間、わたしは、早坂先生に言った。
「早坂先生、お願いがあります」
「何ですか?」
「わたしは、どうも妊娠したようです」と、少し間は置かれてから「来年から産休期間を取ることになりますので、その間、この子たちのこと…。そして、クラスの皆のことを宜しくお願いします」
「瑞希先生、僕はクラスやこの子たちだけでは、ありませんよ」
「早坂先生…?」
「以前にも言ったとは思いますが、僕は、縁する生徒すべてを守っていく覚悟です。瑞希先生が元気になって帰って来るのを待っていますよ。そして、また僕と一緒に生徒さんたちを守っていきましょうね」
「じゃあ、早坂先生は、ここにいてくれるのですね…?」
「もちろんですよ。この子たちのためにもね」と、早坂先生は、海里さんと海斗君の方に顔を向けた。
「パパ、恰好いい!」と、海里さんは、早坂先生の傍に寄った。
「早坂先生、ありがとうございます」と、わたしは、涙が零れているのを感じた。
「おい、瑞希、いいことじゃないか。…って、お前、何泣いてんだよ」と、山田は言った。
 海里さんは、じっと、わたしの顔を見ていた。
「どうしたの?海里さん」
「瑞希先生、だいぶ前に、さようならした先生ってパパのことなの?」
 わたしは、十年前に公園で会った女の子のことを思い出した。
「じゃあ、みーくんって子からプレゼントされたぬいぐるみを抱いていた女の子って、海里さんだったのね」
「うん、わたしだよ。それに、みーくんは、未来君のことだよ」
「…そうか。わたしたち、そんな前から会っていたのね。海里さんは、わたしのこと覚えていてくれたのね」
「うん」少し間が置かれて「瑞希先生、おめでとう。赤ちゃんできるのね」
「ありがとう海里さん」
「…瑞希先生、わたしにも赤ちゃんの作り方、教えてほしいの」
「あ、あの…海里さん…」と、わたしは一瞬、悩んだ。
「おい、海里、何ちゅう質問しているの」と、未来君は赤くなった。
「ねえ、パパ…。教えて」と、海里は甘えた声で聞いた。
「海里、それはね…」と、早坂先生は未来君の方に目を向けた。
 その視線に気が付いたのか、未来君は自分に指を指していた。
「そのことは、パパより未来君に聞いた方がいいと思うよ」
「ねえ、未来君…」と、海里さんは、上目使いをして未来君に聞いた。
「わあ、そんな目で俺を見るな。それに、まだ早いだろ」と、未来君は困っていた。
「こりゃ、傑作だ」と、山田の一声で、わたしたちは笑い出した。
 わたしたちは、笑いの中で、二〇一五年十一月十八日の幕を下ろすことができた。
 あれから…。
 ある日曜日の朝、わたしは学園の中庭にいた。
 そこには、わたしたちの思い出がある。
 この場所には、演劇部のtime capsuleが埋まっていた。
 すると、足音が、こちらの方に近付いて来た。
「瑞希先生、お腹が大きいのに無理しちゃ駄目ですよ」
「あっ、早坂先生、来られていたのですか」
「ああ。じっとしていられなくて、こちらに足が向いてしまったよ」
「うふふ…。わたしと一緒ですね」
「そう言えば瑞希先生は、まだ孝夫君と結婚していませんでしたね」
「そうですね。お腹の中の子が生まれたら、孝夫君と結婚式を挙げようと思います」
「じゃあ、その時は、瑞希先生は平田さんになるのですね」
「…まだ実感はありませんが、何か変な感じですね」
「まあ、そうだと思います。とは言っても、リンダが同じようなことを言っていたのを思い出しただけですが…」
「わたしも、お母さんか…」
「大丈夫ですよ。瑞希先生なら、お腹の子も憧れるようなお母さんになりますよ」
「じゃあ、早坂先生にお願いがあります」
「何だい?」
「わたしと孝夫君の結婚式の仲人になって頂けませんか?」
「僕を指名してくれるのだね。喜んでお受けするよ」
「早坂先生、ありがとうございます」
 そして、不揃いな足音が、こちらに近付いて来た。
「瑞希先生、それにパパ、未来君に、赤ちゃんの作り方を教えて貰ったよ」
「おいおい、海里、いきなりそれはないだろう」
「…って、海里、それに未来君、まさか…」
「大丈夫ですよ、早坂先生。海里には図書館で本をもとに勉強させました」
「海里、パパをあまり驚かさないでくれよ…」
「じゃあ、海里さん、赤ちゃんは、あなたが、ちゃんと結婚するまではお預けね」
「はい、瑞希先生!」
「未来君、海里さんのリードをしっかり頼みますね」
「任せとけって!」

 こうして、親子二代、また三十五年に渡った物語は、終わりを迎えました。

 そして、わたしたちは、
 ――これから新しい出発をします。

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