三七

文字数 1,983文字


 夕陽の空になった頃、わたしと海里さんはメゾンタウンに辿り着いた。後は九棟の二〇一号室に向かうだけである。
 すると、海里さんはマンデーパークと呼ばれる公園の前で立ち止まっていた。その視線は遠くを見ていた。
「海里さん、どうしたの?」
「ううん、何でもないです」と、海里さんはわたしの傍に駆け寄って来た。
 そして二〇一号室のドアの前、海里さんはチャイムを鳴らすとドアを開けた。
「ママ、瑞希先生が来られたよ!」と、海里さんが元気よく玄関からお母さんを呼んでいた。
「あっ、すみません。お待たせしました」と、お母さんは玄関まで駆け寄って来た。
「北川瑞希です。お世話になっています。突然お伺いして申し訳ありません。少しお時間よろしいですか?」
「瑞希先生ですね。いつも主人からあなたのことを聞いています。いつも海里がお世話になっています。申し遅れましたが、私はリンダと言います。どうぞ、おあがり下さい」
 リンダさんはわたしをリビングまでご案内してくれた。海里さんはお茶を運んで来た。
「海里、ありがとう。ママは瑞希先生とお話があるから、自分の部屋に行っといで」
「はい」と、海里はその場を離れて自分の部屋に行った。
「あっ、瑞希先生。お掛け下さい」
「すみません。失礼します」
「瑞希先生、海里はご迷惑かけてないでしょうか?」
「いいえ、迷惑だなんてとんでもない。海里さんのおかげでクラスは明るくなりました。それに先日、海里さんと海斗君は私が担当している演劇部に入部しました。その中で海里さんは演劇部で脚本をしたいと志願していました」
「あの子が、そんなことを…」
「はい。どうしてもという感じでした。そこで海里さんの脚本をもとに八月二十四日のふるさと祭りで劇をすることにしました。前半は私の兄が座長をしている劇団山越仲良座の寸劇と後半は演劇部による劇になります。そこで、リンダさんをお誘いしたく声をかけさせて頂きました」
「瑞希先生、もちろんお伺いさせて頂きます。ところで、その劇のタイトルはもう決まっているのでしょうか?」
「はい、決まっています。その前に聞いて頂きたいのですが、私が脚本のことについて海里さんに聞いた時、彼女は二冊の本を私に見せてくれました。そして彼女は、六歳の時にお母さんがプレゼントしてくれたものだと言っていました。その本は友達以上に大切なものだとも言っており、一時も離さずにずっと持ち歩いていたそうです」
「…その本のタイトルはTraditional of the sun太陽の伝説ですか?」
「そうです」
「…そうでしたか。瑞希先生にはお話しておかなければならなかったことですが、実は私たち家族は、主人が臨時の先生で声をかけられることが多くて、これまで引っ越しが絶えませんでした。海里が六歳の頃、急な引っ越しで初めてできた仲の良い友達と別れることになったのです。あの子、ずっと泣き続けていました。そのことは、今でも忘れることができません。そこで、私はあの子に二冊の本をプレゼントしたのです。今回、ここに引っ越してきた時に、海里や海斗に、せめて私の母校では、楽しかった思い出を作ってあげたいと思いました」
「リンダさん、それは大丈夫ですよ。早坂先生は私と一緒にこの学校にいて貰います。私にとってはとても必要な先生ですよ」
「瑞希先生、ありがとうございます。これからも色々とお世話になりますが宜しくお願いします」
「私の母の北川初子も、リンダさんに宜しく言っていましたよ」
「瑞希先生、私も今度、北川先生に会いに行きますので、またその時は宜しくお願いします」
「リンダさん、ありがとうございます。母も喜ぶと思いますよ。また母と一緒にお待ちしています」
 そして、わたしはリンダさんに送られて玄関に来た。
「海里、瑞希先生が帰られるよ」と、リンダさんは玄関から海里さんに声をかけた。
「はい。ママ」と、海里さんは部屋から出てきた。
「あっ、リンダさん。海里さんは冗談がうまいことはママ譲りだよと言っていましたよ」
「まあ、この子ったら」
「だって本当なのだもん。ママも冗談うまいから…わたし泣けてきちゃうわよ」と、言った海里は両手で顔を覆った。
 そして、肩を震わしながら、その場にしゃがみ込んだ。
「ちょっと、海里。どうしたの?」
「海里さん、それって新しいパターンの冗談よね」
 少し間を置いてから…。
「…なあんてね。嘘ぴょん!」と、海里は覆っていた両手を外してバアと舌を出しながら顔を出した。
 そして立ち上がった。…でも、何故か目尻が涙で濡れているような感じだった。
「もう、この子ったら…。今風のギャグを取り入れているのね」
「海里さん、ナイス冗談。嘘の嘘は嘘じゃないってか」
「ははは…オチがわかりましたか。ちゃん、ちゃん!」
 こうしてわたしたち三人は大爆笑の渦に巻き込まれた。笑いの中で七月三日は幕を閉じた。



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