四〇

文字数 4,995文字


 演劇部は七月九日より新出発をした。八月二十四日に行われるふるさと祭りを目標としている。
 たとえ誰かに青春ドラマの見すぎだと笑われたとしても、わたしたち演劇部はこの夏をまっしぐらに進んで行く。
 恭平君が考えたプランに基づいて日々の活動をしている。実は孝夫君は劇団山越仲良座の稽古もあり、あまり時間が取れないため、活動前半の発声練習と基礎体力作りの指導を担当して貰っている。活動後半は各担当に分かれる。伊都子さんと海斗君。そこに恭平君も入り三人で大道具の制作を行っており、未来君と海里さんは図書室に移動して脚本の制作を行っている。脚本の手順は、まず劇の骨格となる太陽の伝説の二冊の本から劇の時間帯に合わせて抜粋をする。その本は英文で書かれてあるために翻訳をする。ここまでが海里さんの役割で、その翻訳されたものを日本文に編集しながら脚本の形式にしていくことが未来君の役割になっている。後はわたしが、それを添削していく。海里さんの提案により脚本の作業はすべてパソコンで行う。作業の効率を考えてのことだった。現在はこの流れで行っている。
 そして演出は早川先生と出門先生が協力しての吹奏楽部による生演奏ということになった。演劇部に合わせて吹奏楽部も練習を行っている。その中には三年生のメンバーもいて高校生活の最後を飾りたいとこの劇にかけていた。
 当初は不安もあった。特に重要な役目をしている海里さんに負担がかからないかと思っていたが、誰もが真剣で、それでいて負担を感じさせず、楽しいといった良い流れになっている。順調に事は進んでいた。
 そんな日々の中、ある一本の電話(携帯に掛ってきた)で事態は変わった。それは七月十四日の夕方の出来事だった。
「…未来君?どうしたの」
「み…瑞希先生。ごめん…海里を連れて行かれた…」と、未来君の声が遠くなっていく。
「すぐに行くから、未来君、今何処にいるの?」
「お、俺の家…清川屋台荘…」と、ゴトッという音が聞こえた。
 わたしは清川屋台荘に向けて自転車で走り出した。その瞬間、誰かに見られているような気がしたが、今はそれどころではない。未来君の安否がとても心配で無我夢中で自転車を漕いでいた。そして清川屋台荘に到着した。
 すると、二〇三号室のドアに寄り掛かって座っている未来君がいた。彼は暴力を受けて怪我をしているようだった。
「未来君!」
「…あっ、瑞希先生。あいつら強いよ…海里が連れて行かれた上に、俺もこの様だ…」
「未来君、あいつらって?」
「海里を守れなくて…。俺、悔しいよ…」と、未来君は涙を零していた。そして、わたしに手紙を渡した。
 手紙の内容は、左にある通りだ。
 ―北川瑞希、お前の生徒は預かっている。こいつに大怪我させたくなかったら、あたしたちの言う通りにしな。以前、あたしらが使っていた大和運輸の倉庫に来い。来なかったら、こいつがどうなっても知らないからな―。
 わたしは、その手紙の人物が誰かは知っていた。実のところ、わたしは荒れていた時期があった。その頃のわたしはその手紙の人物と一緒にレディース(暴走族の女性版)でグループを組んでいた。それは他のグループとの縄張り争いで喧嘩に明け暮れる毎日だった。そんな中、ある事件が起きた。その手紙の人物によって、わたしは敵対しているグループに売られた。そのグループを潰して何とか危機を回避したわたしは、その手紙の人物たち五人にヤキをいれた。しかし、それは誤解だったと後で解り、罪を感じたわたしはけじめをつけるために元総長にヤキを入れて貰った。それをきっかけに、わたしはレディースを引退した。(…解決していたと思っていたのに、どうして今頃…。なんで、わたしの生徒にまで手を出すのよ)と、わたしは悲しみと怒りに震えていた。
「山田の奴、覚悟しとけよ!」と、気が付けば、わたしは我を忘れて叫んでいた。
「瑞希先生、その山田って奴の他に仲間が四人いるんだ…瑞希先生は俺が止めても行くんだろ?」
「ああ、当たり前だ。必ず、海里さんを無事に連れて帰るよ」
「じゃあ、俺も連れて行って下さい」
「駄目です!これはわたしの問題よ。これ以上、君に何かあったら…」
「俺は、たとえ瑞希先生が駄目と言っても行きますよ。俺は海里に守ってやるって約束したんだ」
 未来君の瞳は物語っていた。…わたしが止められることではないと…。
「…君には負けたわ。一緒に行きましょう。でも、わたしに何があっても絶対に無茶はしないって約束してほしいの」
 言葉は出さなかったが、未来君は頷いた。
「未来君、バイクのキー貸して。わたしが運転するよ」
「瑞希先生、バイク運転できるんですか?」
「言ったでしょ、元レディースだって…。わたし、今日は荒れているから、未来君、しっかり掴まっているのよ」
 そして、わたしたちはバイクで走り出した。清川屋台荘を出た時、一台の黒の車に気が付いたが無視をした。
 ヘッドライトの河が流れる中、走らせているバイクは車の間を縫って行った。(俺がいることを忘れているのではないか)と、未来君はわたしにしがみつきながら思っていることだろう。そうしているうちに倉庫に着いた。
「来たか。あの時の落とし前を着けさせて貰おうじゃないか」と、山田と他の四人が姿を現した。
「その前に、うちの生徒は無事なのでしょうね?」
「ああ、会わしてやるよ。まあ、少し可愛がってやったけどな」
「瑞希先生!」と、海里さんの姿が見えた。しかし、彼女は縄で両手首を後ろに回されて縛られている上に、左右の頬は赤く腫れていて、服は汚れていた。どうやら腹部辺りを蹴られたらしい。
「お前ら、うちの生徒に手を出しやがって、これの何処が無事なんだ?」
「瑞希、それを言うなら、お前はどうなんだ?あたしら五人を、お前の勝手な誤解で、えげつないヤキを入れやがって」
「確かに誤解したことは悪かったと思っている。だから、わたしは、自分にけじめをつけるために元総長にヤキを入れて貰ったよ。でも、生徒には関係ないことだ。やるなら、わたしだけにしてくれよ」
「それじゃ、あたしたちの腹の虫が収まらねえんだよ。お前の大切にしているものを潰しながら、お前の苦痛に歪む顔を拝んでやるのさ。それがわたしたちのお前に対する制裁さ」
「その結果、関係ない人にも傷跡は残る。わたしは、今でも、あの時の傷跡が残っている」
 わたしは腹部にある刃物による傷跡を見せた。…一生、消えることのない傷跡だと思う。
「これを見る度、思うの。わたしたちは、沢山の人を自分の馬鹿さ加減で傷付けていたってことを…」
「自分だけいい子ぶろうって、そうは問屋が卸さないよ」と言った山田は、煙草の火を海里の顔に近付けた。
「やめろ!」と、未来君は叫んだ。
「瑞希先生があれだけ言ってくれているのに、まだわからないのですか、山田さん?」と、海里さんは穏やかに言った。
「何だと?そんな口聞いたら本当にするぞ」
「山田さん、もし、その煙草の火をわたしの顔に押し当てたら、わたしはその傷跡を見る度に、あなたたちのことを忘れないでしょう。そして同じく、わたしの頬を手の平で二回。拳骨で一回、頭を殴ったことや、腹部を二回蹴られたこと。更にお尻に一回。それに手首を縛られたことが、痛くて仕方がないってことも、忘れられなくなります。それに何よりも、未来君にひどいことをしたことは忘れられないどころか、絶対に許せない…」
「こいつ黙れ!」と、山田は海里さんの顔に煙草の火は押し当てなかったが、腹部を思い切り蹴った。
「い、痛いよ…」と、海里さんは、その場でうずくまった。
「山田!」と、わたしは拳を握って怒り任せに彼女に殴りかかった。すると、海里さんが彼女の前に現れたから、わたしは海里さんの頬を殴ってしまった。海里さんは殴られた勢いで地面を転がって行った。
「海里さん、どうして?」と、慌ててわたしは彼女に駆け寄った。
「瑞希先生、痛すぎるよ…」と、海里さんは、口を切っていた。血が地面に零れた。涙も一緒に…。
「海里さん…ごめんね」と、わたしは慌てて彼女の口元をハンカチで拭った。
「瑞希先生、わたしは瑞希先生に先生でいてほしいの。…だから、手首の縄を解いて下さい」
 わたしは、海里さんの言っている意味がわからなかったが、彼女に言われた通りに手首の縄を解いた。
「山田さん、あと瑞希先生をいじめましたね。わたしはあなたたちを許さないでしょう」と、海里さんは立ち上がった。
「お譲ちゃん、許さなかったらどうなるって言うんだい?」と、山田が海里さんに襲いかかった。
 すると、海里さんは山田に一本背負いを決めた。山田は地面に背中を叩きつけられていた。
「…こうなります。あなたたちは完全にわたしを怒らせました。痛い目にあって貰いますよ」
 そう言った海里さんはその場から逃げようとしている他の四人にも柔道技を掛けに行った。
 そして、山田を始め、他の四人も「痛いよ」と言いながら、地面を転がっていた。
 わたしは海里さんの傍に近付いて彼女の左の頬を手の平で叩いた。
「瑞希先生…?」と、海里さんは叩かれた左の頬に手を当てた。
「海里さん、何であんな無茶したの。わたしのせいで君にこれ以上、傷を負わせたら…」
「だって…だって、瑞希先生が…」と、海里さんは泣き出した。
 わたしは海里さんを優しく抱きしめた。彼女の身体は震えていた。よほど怖かったのだろう。
「…さっきは痛かったでしょ、ごめんね。…でも、もう二度とあんな無茶しないでね」
「うん…」
「海里…俺、何もできなかったな。ごめん…」と、未来君は言った。
「ううん。未来君は怪我をしていても、わたしのために来てくれたもの。嬉しかったよ」
 海里さんは、わたしの胸の中で未来君にそう言った。
 そこに一台の黒の車が到着した。その車はわたしたちが清川屋台荘を出る時に見かけた車だ。
 すると、その車からお母さんが降りて来た。続けて早坂先生も車から降りた。
「瑞希!」と、お母さんはわたしの傍に寄って来た。
 そして、大きな音が響いた。お母さんはわたしの左の頬を思い切り叩いた。
「瑞希、大切な生徒さんたちを危険な目に合わせた上に、その生徒さんを叩くなんて、あなたそれでも教師ですか!」
「…ごめんなさい。お母さん」と、わたしは叩かれた頬を手の平で押えて涙ぐんでいた。
「瑞希先生のお母さん、瑞希先生のことを怒らないで下さい。わたしが瑞希先生に心配かけたから怒られたの。瑞希先生はわたしと未来君を守ってくれたの。瑞希先生は悪くないの…」と、海里さんは、また泣き出してしまった。
「そうだったの。あなたは先生思いのいい生徒さんだね。わかったよ」と、お母さんは、海里さんの頭を優しく撫でた。
「海里…」と、未来君は少し間を置いてから「僕からもお願いします。瑞希先生を、僕らの先生でいさせて下さい」
「海里さん、未来君。あなたたち…」
「それ以上は言わないで下さい。瑞希先生」
「早坂先生…」
「この子たちが一番よくわかっていますよ。瑞希先生がいい先生だって。教師の僕も同じです」と、早坂先生は言った。
「瑞希、いい生徒さんたちを持ったね。それにいい仲間も…」
「お母さん…」
「今回の件は、この子たちや早坂先生のために、校長にはあたしから処理するようにお願いします」と、少し間を置いてから続けて「早坂先生、明日はこの子たちを休ませてあげて下さい。それと、瑞希のこと守ってあげて下さい」
「わかりました」と、早坂先生は言った。
「瑞希、お母さん、あなたのことが心配だったのよ。瑞希が海里さんを心配していたように…」
「ごめんね、お母さん…」と、わたしは溢れる涙をどうすることもできなかった。
「ほらほら、泣かないの。この子たち、また心配するからね」
「瑞希先生…」と、未来君と海里さんは、わたしのことを見ていた。
「ほら、君たち帰りましょうか」と、わたしは泣き笑いをしていた。
「はい、瑞希先生」と、未来君と海里さんは笑顔になった。
 そして、わたしは山田たちのために救急車を呼んで、彼女たちが搬送されたことを見届けてから、この場を去った。
 未来君と海里さんは、明日は休ませることになったが、おとなしくしているだろうか。怪我の治療のため、病院には行って貰うことになっている。二人で仲良く行ってほしい。そう思いながら、今日の日は閉め括るとしよう。



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