三章八節 I have pride my honest emotions(四)

文字数 2,556文字

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 お店に着くと、GW真っ只中だけあって、店内は随分賑わっていた。「あけびちゃん、こっち、こっち!」由紀菜さんの手招きする方へ向かうと、丁度卓に置かれた鳥鍋が、もうもうと熱く湯気を立てていた。
「すいません、遅くなってしまって……お疲れ様です。あの、皆さん、ご注文は?」
「お疲れ―! うん、私たちはもう、先に注文済ませちゃってるから。あけびちゃん、好きなの頼みなよー。ちなみにここの鳥鍋、凄く美味しくってさぁ」
 ほろ酔い気分で、すっかりご機嫌な彼女の目の前では、烏龍茶を手にしたともちゃんが、瑞希さん相手に真剣に悩みを打ち明けていた。
「それで私、戸籍変更することに決めました。智彦の名は捨てて、高橋朋として今後は生きていこうかと」
「そっか。けど、ともちゃん、まだ一七歳だよね、申請するにはもう三年待たないと。後、性別適合手術の条件、事前にクリアしてんだっけ?」
 瑞希さんの優しく諭すような言い方に、ともちゃんは小さく唇を噛み締める。そこでようやく彼女はこちらに視線を向けると「お疲れ様」と表情を和らげ、そのまま手元の電子タバコをくゆらせた。
「まぁ、あけびちゃんも来たし、この話題は一旦置いておこうか。ともちゃんも、熱いうちに鍋食べなー」
「やったー、いただき……あ、小川あけびさん、でしたっけ? はじめまして、高橋智彦と言います。トランスジェンダーMtF、周知かと思いますが、ともちゃんって呼んでください!」
 彼女の一言に、私は開いた口が塞がらなかった。「え……てっきり、女の子だとばっかり――」そんな衝撃を打ち砕くように、「ちゃんと、〝まだ〟いちもつは持っていますよ」と彼女は冗談めいて微笑む。
「それにしても、今回の『虹の湯』イベントも大盛況だったねー。あけびちゃんも、すっかり番頭として様になってきているし、今回はそのお祝いだよ。ねぇ、いくら薄給とはいえ、少しは足しになっているの?」
 しれっと鳥鍋をよそう彼女に、私は「おかげさまで」と礼を述べながら、届いたばかりのレモンサワーを流し込む。
「さっき由紀菜さんから聞きましたー。小川さん、普段は音大でピアノを学ばれているのですよね! 私、楽譜はおしなべて、オタマジャクシに見えてしまって。ピアノが弾ける人は、無条件で尊敬してしまいます――」
「そんなことないですよ……むしろ私の方こそ、自分らしく生きているお三方に、本当勇気を貰っています」
 目を輝かせるともちゃんの眼差しを避けるように、私はよそわれた鶏肉を頬張る。プリップリの弾力に満ちたそれは、出汁のきいたつゆと合わさり、納得のいく味だった。
「ちなみに小川さんは、今後もピアノを生業にして生きていくの? なんとなくだけど私、音大まで行く人って、ほとんどがそのままプロになっていくイメージで――」
 瑞希さんの問いかけに、私は間髪入れず「プロにはなれませんよ」とはっきり告げる。忽ち生成されるアンニュイな空気感。私は慌てて、「いや、正直卒業後も、ピアノに携わっていきたいところですが、それはもう趣味の一環程度になってしまうんじゃないかなぁ」と出来るだけ明るい声で、かぶりを振る。
「そっかー。でも、将来のことは、まだ分かんないよね。だって、あけびちゃん、まだ大学二年生でしょ。音大と一般大の違いはよくわかんないけど、私も当時は、プロのイラストレーターになる未来しか、考えてなかったし」
 結局その夢は、その頃出会ったパートナーが成就したわけだから、人生わかんないよね。少し声を落としながら、それでも満足そうにビールを煽る彼女に、「皆さん、やりたいことがあって素晴らしいです。それでいえば、私はこれといった、打ち込むものが無くって」と、ともちゃんが羨まし気に、両手を合わせる。
「まぁ、やりたいことなんて、後からいくらでもついてくるから。それまで、若いうちはなんでも経験しておきな!」
 その後、ともちゃんの女性として生きていくことへの経緯、また由紀菜さん瑞希さんの馴れ初めを聞いていたら、あっという間に、終電ギリギリの時間帯となってしまった。「それじゃあ、そろそろお開きにしますかぁ。あ、私ちょっとトイレ行って来るね!」少しふらつき加減で、由紀菜さんが席を外した瞬間であった。タイミングを見計らったかのように、後ろの卓にて、やや酩酊気味の二人のスーツを着た社会人が、「すいません、小耳に挟んでしまったんですが、皆さん、レズビアン、トランスなんちゃらの人たちなんですか?」と、物珍しそうに、ずけずけと尋ねる。
「……はい、そうですが、私たち――」瑞希さんが面倒そうに応じるのも気にせず、彼らは「うわっ、それは凄いですね!」「先日、うちの企業で、丁度LGBT研修があったんですよ。良ければ後学のために、色々と話を聞かせてください」とさりげなく、空いてしまった隣のスペースへと腰を据える。
「すいませんが、私たち、もう帰り支度なんです。彼女が戻ってきたらすぐに――」
「ねぇ、前から一つ気になっていたこと、教えてくださいよー。レズビアンの人でも、体の関係ってあるんですよね。あれって、子供を宿すわけでもないのに、やっぱ〝普通〟のカップルと一緒で、純粋に気持ちよくなりたいから?」
 ニヤニヤと、ともちゃんに笑みを振り撒く二人に、何かが弾ける。「おい……あんたら、いい加減に――」瑞希さんが声色を変えた刹那、私は衝動的に立ち上がり、
「あの、〝あなた様方〟大変失礼じゃないですか!? そういうのって、レズビアン、LGBTも関係なく、開口一番に聞くべき質問じゃないと思います!」
 本能的に声を荒げるや否や、周りの不審な視線が突き刺さるように感じた。「どったの」折しも由紀菜さんが、すっかり酔いが醒めた顔で、卓へと戻ってくるや、彼女は全てを理解したとばかりに、
「……すいませーん、どういった経緯か分からないですが、私たち普通の男性には全く興味ないんで。お待たせ、ほら、終電前に、とっとと帰るよ」
 すっかり帰り支度を済ませていた私たちは、彼女の号令を機に颯爽と腰を上げる。背後では、
「んだよ……やっぱ、こいつら異常じゃねぇか。偏った愛を、さも正統かのように、社会に押し付けんな」
 と露骨に吐き捨て元の席へと戻る、二人のぼやきが声高に響いた。
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