三章六節 I have pride my honest emotions(二)

文字数 2,520文字

「はぁー、無事作業終わったよー! まさか最後に、駅前まで駆け出す羽目になるなんて……」
 疲れ切った表情で、ソファに寝そべる恭介さんに、「お疲れさま」と誠さんがアイスキャンディーを手渡す。
「ごめんね。年に一度のパレードを、途中抜けしてもらって……このご恩は、いつか必ず返させていただきます」
 神妙な表情を浮かべる女姿の博人さんに対し「ひあひあー、へんへんよー」と彼らは全く気にするでもなく、アイスキャンディーを頬張る。
「あけびちゃんも、準備お疲れ様ねー。あれ、いつの間に着替えたの? 一足早い、初夏の装いじゃん」
「はい、さすがに陽が落ちたぐらいから、肌寒く、厚手のカーディガンも持ってきて正解でした。初めて着る服装ですが、似合っていますでしょうか?」
「うん、似合ってる、似合ってる! ってか、あけびちゃん、意外と胸大きいよねぇ。こんなんで、誘惑すれば、そこらの男なんてイチコロじゃん。ねぇ?」
 由紀菜さんの同意を求める声に、瑞希さんは、「四月にノースリーブなんて、えらく浮かれすぎでしょ」と小さく毒を吐く。
「こらこらー! あんたも、少し前、春先にブラウス一枚でお出かけしたことあったでしょー! あの後、すぐに体調崩して、看護に大変だったんだからね!」
「ちが! あれは由紀菜が、ブラウス女子は問答無用で可愛いなんて言うからさ……だったら、着るしかないって――」
 幸せそうに突っつき合う二人の姿に、私はそっと持ち場へと戻る。開店して三〇分弱、通事の常連は湯に浸かりにきているものの、その手の人々はまだ来店してきていない。
「それじゃあ僕は、ばあちゃんの夕飯作りに一度家戻るからさ。また二一時になったら、こっちに――」
「おいっすー、恭ちゃん! 言われた通り、顔出しに来たぞー! いやぁ、銭湯とか、何年ぶりだよ」
 博人さんと、引継ぎの会話を始めたところで、ひと際陽気な声が外から聞こえた。思わず視線を向けると、ややガタイの良いオールバックのお兄さんを筆頭に、数名の虹色のタオルを肩にかけた人々が、高揚した顔で、下足所へとたむろしていた。
「翔さん! 来てくれたんですね! すいません、今日は途中抜けしてしまって……あの後パレードは無事、ゴールまで辿り着けましたか」
「あったりまえよぉ! おう、今年は例年より、参加者もひっきりなしに増えてた印象だったな。パートナーシップ制度の拡充もそうだし、LGBTの社会への理解度も、年々深まっているように感じる――」
「ひろちゃんっ、久しぶりー! なんだかんだ最近、全く浜田湯に来られなくてごめんよー! ふふっ、相変わらず、可愛いね。普段から、その恰好なんだっけ?」
「康行、ご無沙汰。ううん、ヤスが仕事で多忙にしてるのは、Twitterを通して、十分理解してるから。服装はねぇ、基本はユニセックスのパーカーやスウェットとかなんだ。ところでヤスこそ、翔とはうまくやってるの?」
「もちろん、お互い相思相愛に決まってるでしょ! でもねぇ、それとは違うんだけど、この前翔がね、盲腸で救急搬送された時――」
 翔さんと呼ばれた一行は、既に博人さんたちと知り合いなのか、方々で楽しそうに近況を語り合っている。番台にて私はそれを微笑ましく眺めながら、ふと自分だけ疎外感の、胸の切なさを感じた。
「それじゃ、久々にゆっくり湯に浸か……って、あれ千恵さんは? 後、こんな可愛い娘、前にいたっけ?」
「やっちゃん、この娘はねぇ。小川あけびちゃんって言って、音大のピアノ科に通ってる子なんだ。〝シスのノンケ〟さんなんだけど、たまたま千恵さんを手助けしたことが縁で、今ではこの浜田湯でお手伝いしてくれてるんだ」
 恭介さんが、なぜか自慢げに紹介すると、康行さんは「へぇー、ピアノ科……僕も趣味程度だけど、音楽活動してるんだ。よろしく!」と破顔一笑で応じた。
「にしても、博人が〝純女〟を手元に置くなんて、初めてのことじゃね? そもそも、高校時代の男子学生を最後に、誰とも付き合って無いんだっけ?」
 同じくタオルセットを受け取りに来た翔さんが意外そうに呟くと、「小川さんは、そういうのじゃないから。いいから二人とも、早く風呂に入ってこい」と煩わし気に引き戸を指差す。
「ねぇねぇ、あけびちゃん! 今日って、バイト二一時までなんだよね。終わったらさ、駅前まで四人で飲みに行こうよ!」
 気まずい空気になりかけたタイミングで、由紀菜さんがニコニコとこちらへ駆けてくる。四人? 私が怪訝な顔で、彼女がいた方角に視線を向けると、いつしか瑞希さんと楽し気に談笑している、色白の横髪を短く垂らした女学生の姿があった。
「あ、是非、ご一緒させていただきたいです! 後、今日は本当にお手伝いいただき、ありがとうございました。もしよろしければ、皆さんでお風呂入っていきませんか?」
 私が何の気なしに、タオルセットの準備をしかかると、彼女は「本当は、ひとっ風呂浴びたかったんだけどねぇ。今日はともちゃんがいるからさ」と声をひそめ、そっと後ろを見やる。
「番頭さん。今日は随分若い子たちで、賑わっているのねぇ。またなんか、イベントでもやっているのかい?」
「下田の叔母さん、こんばんは! そうなんですよ、今日は虹の湯イベントなんです! お風呂入ったら、結構びっくりすると思いますよ」
 番台に来た常連さんの驚嘆に応じると、由紀菜さんは「それじゃ私たち、ともちゃんの買い物に行ってくるからさ。時間になったら、また連絡するね」と満足そうに一つ頷き、そのまま踵を返した。
「あ、はーい。みずきさんも、今日は、ありがとうございました! また後ほど、よろしくお願いします!」
 いつしかスマホをいじり合っている二人の方にも声をかけると、彼女は面倒そうに一つ頷き、再びスマホへと視線を戻した。
「またね、あけびちゃん。番頭、頑張って!」
 三人が出口へと去りかけた時、セーラー服姿のともちゃんが、ペコンとこちらに頭を下げた。絹のように艶めいた長髪。はたしてこの子も、レズビアンなんだろうか? 「フルーツ牛乳ひとーつ!」体から湯気を上げた、常連のおじいさんのだみ声に、私は慌てて通事のそれへと気持ちを切り替えた。
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