文字数 4,682文字

 光に包まれてしばらく。瞼をちくちくと刺激する感覚がなくなってきたのを確認し、ぼくはゆっくりと目を開けた。そこに広がるはただ白かった。ぼくという個体の色があるだけで、他は何もないただ白い虚無が広がっていた。白色と黒色を比べたとき、黒色はただ不安とか不気味とか恐怖とか闇とかそういったネガティブなイメージがつきもの。じゃあ白色はそういったネガティブなイメージがないかというとぼくはそうではないと、今それを肌で感じていた。
 白という一瞬、聞こえのいい音は今のこの空間においては黒色の持つイメージと同じで不気味に感じていた。白色だからポジティブという発想はここでは全くの役立たずで、ぼくはこの白色が怖いとさえ感じている。何もないという恐怖は黒色も白色もそう大差がなく、無音の騒音がぼくの耳で暴れだし、ぼくの生命の太鼓も段々と速さを増してきた。それは興奮というよりは緊張に近かった。一刻も早くこの場から脱したい。けど、この何もない空間に出口なんかがあるのか……ぼくはついにその場にうずくまってしまった。

 怖い 怖い 誰か助けて ぼくはこんなところで終わるわけにはいかないんだ……誰か……

 ぼくは今までに感じたことのない恐怖に苛まれ、涙した。足もがくがくと震えだし立っていることもできなくなっていた。自分の体を抱きしめるように小さくしていると、どこからともなく光の筋が見えた。それはこの白い空間の中でもはっきり見えるくらいの真っすぐで神聖な光を纏った筋だった。その筋は七色に輝く星屑を零しながら流れていく様はまるで流れ星だとも思ったけど、こんな空間に星なんて見えるはずがないと否定をしたけど、その筋は確かに白い空を駆ける流れ星に見えたことに驚いた。
 夢を見ているのかな。そうか夢か。だったらその流れ星の出発点らしき場所に行けば、もっときれいな流れ星が見えたりするのかな。ぼくはそんなことを考えながら流れ星の出発点を目指して歩き始めた。

 流れ星の出発点に到着したとき、さっきまでの白い空間はきれいになくなり代わりに瑞々しい草原の真ん中に立っていた。柔らかい風がぼくの頬を撫で、色とりどりの花びらがまるで意思があるかのように舞い踊っていた。
「うふふ。神の世界へようこそ。ニンゲン」
「え? これがニンゲンっていうの? あたし初めて見た!」
「ねぇねぇ。一緒に遊びましょう? ちょっとくらいいいでしょ??」
「そうよ。遊びましょ。ずっとずーーーっと……ね?」
 ぼくの目の前で小さなつむじ風が起きた。そしてその中から小さな妖精が現れてぼくを物珍しそうに見ていた。そのうちの一匹がぼくの袖を引っ張り、ほかの二匹がぼくの背中をぐいぐいと押してどこかへと連れて行こうとしていた。あ、ぼ、ぼくは……行くところがあるんだけど。
「え? 行くところ? そんなのはあとででいいじゃない」
「そうよそうよ。今は遊ぶのが先よね」
 どうやってこの場を抜けようかと考えていると、ぼくの足元に何かが突き刺さった。妖精たちがそれに気づき悲鳴を上げながら散り散りになっていく様子を見ながら、ぼくは足元に突き刺さったものをじっと見ていた。これ……まだ光ってる……もしかして。
「……行ったか」
 ぼくの背後から低く落ち着いた声が聞こえた。振り返ると、自分の身長と同じくらい……いや、それ以上に大きな弓を構えた男性が立っていた。浅黒い肌とは対照的な眩しいくらいの銀色の髪、常に獲物を狙っているかのような鋭い目つきにぼくは一瞬怒っているのかなと思ったけど、そうではないみたい。
「どこの誰だか知らないが、シルフのいうことに耳を貸してはダメだ。わかったらとっととここを去るがいい」
 警戒を解きながらぼくに忠告をしてくれる男性。だけど、ぼくはこの場所でやることがあることをその男性に伝えると、小さく息を漏らした。
「……お前にも使命があるというのか。ならば止めるわけにはいかないな。それで、目的地の見当はついているのか」
 と聞かれ、僕は首を横に振った。するとその男性はさっきよりも深いため息を吐いて、やれやれと言った様子でぼくの目を真っすぐ見ながら口を開いた。
「……ウルだ。オレの知っている限りそうだろうと思う場所へ案内してやる」
 ウルと名乗った男性は「こっちだ」といい、草原の中をずんずんと進み始めた。ぼくは遅れないよう、ウルのあとをついて歩きだした。

 いつの間にか草原を抜けていた。いつの間にか……そう感じていたのはきっと、ウルが歩きながら吹いていた横笛の音色だったのかも。その笛の音色はぼくだけでなく、草原の中で眠っていた小動物たちをも連れてきていた。ウルの肩や頭などにはたくさんの小動物たちが集まり、楽しくおしゃべりをしていた。その様子を見ていると、柔らかかった土から今度は乾いた音のするものへと足音が変化した。草原を抜けた先にあったのは、まるでおとぎ話に出てくるような大きな宮殿だった。しかもその宮殿は雲の上に浮かんでいて、ぼくは何度も自分の目を疑った。そういえば、あちこちに雲の上に円柱があったり、噴水広場のようなものがあったりしていたけど……一体どういう原理で浮かんでいられるのだろう……。ちょっと不思議な感覚だった。
 ぼくが目指している宮殿の入り口には女神を模した彫像が来客をもてなすようにずらりと並んでいた。今にも動き出しそうな躍動感に驚きながら、その女神たちの間を通っていくと宮殿の入り口から赤と青二つの光が現れ、ぼくの目の前でくるりと舞った。
「おや。どうやら来客のようだね」
「そうだね。お客さんがきたようだね」
 青と赤の光をちかちかとさせ、やがてその光から黄金に輝く髪をした双子が現れた。青色は少年、赤色は少女の姿をしていて背中についた羽を自由に動かしながらぼくの周りを楽しそうに泳いだ。
「ねぇねぇ。どこから来たの?」
「ねぇねぇ。色々教えてよ」
 双子が自己紹介をする前に、ウルはその少年と少女の名前をフギンとムニンと教えてくれた。なんでも、フギンとムニンはワタリガラスの神様でウルの主神であるオーディンの使いでもあるという。まさかとは思っていたけど、本当に神様の国にきたんだなぁと改めて思った。双子は指をくるくると回すと宮殿へと繋がる虹の足場を作り出した。落っこちないように慎重に虹の橋を渡り宮殿の入り口まで二人の質問攻めにあいながら、ぼくは宮殿を眺めているとするとウルは「オレはここまでだ。達者でな」といい、来た道を帰っていった。ぼくはここまで案内をしてくれたウルにお礼を言い終わる前に、フギンとムニンに袖をぐいぐいと引っ張られながら半ば強引に宮殿の中へと入っていった。

「ようこそ。神様が住まう宮殿へ」
「いらっしゃいませ。終わらぬ宴の会場へ」
 双子がそれぞれ違った挨拶でぼくを迎え入れてくれた。玄関入ってすぐ、真っ直ぐに伸びる廊下に真っ赤な絨毯。等間隔で置かれた装飾が美しい美術品の数々。……これ、マルバスが見たら喜ぶのかななんて思っていると、フギンはぼくの右腕、ムギンはぼくの左腕を引っ張り互いに「案内をするからこっちから」と言い合っていた。この様子、どうやら来客は久しぶりなようでフギンもムニンもぼくの袖を中々離そうとしなかった。右側は画廊のようになっていて、ぼくの世界では見られないような幻想的な絵画が並んでいた。一方、左側は博物館のようになっていて壺やこの世界にしかない植物のサンプルなどが並んでいるようだ。ぼくは引きの強い右(フギン)から見て回ることを選ぶと、フギンは手を挙げて喜んでいるがムニンは面白くなさそうに頬をぷっくり膨らませていた。あとでムニンの案内も見せてほしいなとお願いをすると、ムニンは膨らませていた頬をしぼませ、うんと笑った。この双子、笑顔がとっても似合うな。そう思っていると、ぼくのポケットから何かが落ちた。拾わないとと思い屈んだとき、落ちたものから見知った顔が現れた。
「おー。すっごくきれいなところ」
「アズ! わがまま言うなってあれほど……って、あれ? ここ、どこ??」
 ポケットから落ちたのは駒だったみたい。それもアズリエルの。アズリエルは知らない場所でも相変わらずマイペースで、辺りをきょろきょろと見渡していた。骨三郎はなんだか落ち着かない様子でアズリエルの周りをぐるぐるしていた。
「あぁ! 骨が浮いてるね!」
「ほんと! 頭がぷかぷかしてるねぇ!」
「ちょっ! お前たち、なんだって……ぶわぁあ! ちょ、ま! 目に指を入れないでぇええ!」
「すごい! 動いてるね!」
「素敵! どういう原理かしら」
 双子がいいおもちゃを見つけたようにはしゃいでいると、アズリエルは無言で骨三郎をかっさらうとぷくっとむくれた。
「……いじめないで」
 さっきまで双子の手の中にあった骨三郎は、あっという間にアズリエルの手の中へと移ると双子は顔を見合わせてうんと頷き声を合わせて「ごめんなさい」と謝罪をした。
「ごめんなさい。よかったら一緒に宮殿を見ていかない?」
 フギンの提案に、アズリエルが首を傾げると今度はムニンが「きっと楽しい時間になるよ」と付け加える。それでもアズリエルはまだよくわかっていないのか、んーと唸りながら首を横に振った。それにはさすがの双子も残念と言い、ぼくを画廊へと引っ張っていった。ぼくはアズリエルにここで待っててと言うと、アズリエルはうんと言いながら骨三郎を抱きかかていた。

「それでこの絵画は~」
 フギンが絵画について説明をしながら進めてくれるのはとても嬉しいことなんだけど……ぼくはどうしてもアズリエルのことが心配だった。もう何枚目かわからない絵画の説明に入ろうとするフギンに一言謝り、ぼくはさっきアズリエルと分かれた場所まで走った。
「え。どうしたの? まだ絵画はあるのに……なにかあったの?」
「もしかして、ムニンの方が気になりだしたとか??」
 ぼくは乱れる呼吸の合間にそれを否定をし、簡単に戻っている理由を説明した。自分で言っていて中々要点を入れていないようにも思えた内容でも、フギンとムニンは事情を把握してくれた。
「アズリエルってさっきいた女の子のことかな?」
「とっても大人しそうな女の子だったね」
 嬉しそうに声を弾ませる双子に反し、ぼくはなんだか嫌な予感がした。それも、アズリエルの身に何か起こってしまいそうな……。そんな嫌な予感ほど、当たるものはない。ぼくが駆け付けたときには、さっきまでいたはずのアズリエルと骨三郎はどこかへ行ってしまった。こんな大きな宮殿の中のどこかにいるとはいえ、どうやって探せばいいのか……ぼくは唇を強く噛みしめ、アズリエルを一人にしてしまったことを強く後悔した。
「ねぇねぇお兄さん。その、アズリエルって子を探せばいいんだよね」
「さっきの大人しそうな女の子を探せばいいんだよね?」
 双子は声の調子を少しも崩さずぼくに聞いてきた。ぼくは力なく頷くと、双子は「よーし」と声を合わせながらくるくると回りながら空を舞った。
「そういうことなら、ぼくたちにお任せ!」
「探し物とあれば、わたしたちにお任せ!」
 双子はぼくににこっと笑いかけてから、すぐに宮殿内を物凄い速度で飛んで行った。さっきまでゆったりふわふわ羽ばたいていたのがウソのよう、ぼくが瞬きをしている間に双子はこの宮殿のどこかへ行ってしまった。
 双子が探してくれるからといって、ぼくが何もしないわけにはいかない。ぼくも絵画とは反対方向を徹底的に探すことに意識を集中し、赤い絨毯の上を静かに歩き出した。
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