文字数 5,180文字

 いくつもの美術品、何人ものメイドさんを通り過ぎたどり着いたのは、金色に輝く大きな扉だった。重量感たっぷりな扉から「ここには重役がいます」という思いすら伝わってきそうだった。ぼくは全体重を扉にかけてゆっくりと開くと、そこには大きな椅子に腰をかけて自身の髭を悠然と撫でている人物がいた。汚れがひとつもない白い生地の服、そしてそれを固定する役割を持っているかのようなバックル。紐を調節することである程度大きさを変えることができる靴、そして手には雷を形にしたような物を持っていた。間違いない。きっとあの人物こそがギリシャ神話の最高神─ゼウスだ。
「おんや。また客人かな」
 緊張感の欠けるややのんびりした口調でぼくと目が合うと、ふぅむと唸りながらまた髭をいじりはじめた。いじった後の視線はというと……何か見えない鎖にでも繋がれて身動きがとれない少女と魔力が込められた鳥籠に入れられた頭蓋骨─アズリエルと骨三郎だった。
「わしは今、プリンちゃんとのお話に忙しいんじゃ。後にしてくれんかの」
 プリンちゃん……ゼウスはアズリエルのことをそう呼んだ。そうと分かったぼくは一気に頭に血が上り、カバンから板を取り出そうとしていた。あともう少しで板がカバンから出るところで双子がそれを制し、まずはお話をしてからだと助言をくれた。荒れる呼吸を何とか鎮め、ぼくはゼウスに話しかけた。

 すみませんが、お話を聞いていただけませんか。

 するとゼウスはアズリエルを見ながら「後にせい」とだけ言い、頬を緩ませていた。まだだ。ぼくはもう一回ゼウスに向かって話しかけた。

 すみません。お話を聞いていただけませんか。

「……しつこい奴じゃのう。あんまりわしを怒らせない方が身のためじゃぞ」
 明らかに怒りが込められた言葉にびっくりするけど、ぼくは自分を落ち着かせ話を聞いてくださいとお願いをした。
「……今はプリンちゃんと話がしたいと言うてるのに……さてはお主、何か企んでおるのか」
 もう一段階低い声でぼくに聞いてくるその様子は、さっきまで頬を緩ませながらまるで孫を可愛がるおじいちゃんとは違い、いつでも実力行使が可能な暴力的な雰囲気へと一変した。それに、ゼウスの言う企みって一体何のことだろう? 興奮するゼウスに何のことか尋ねても「白を切るつもりか」とぴしゃりと言われ、もう成す術がなかった。
「そうか……そういうことなら仕方ないのう。ここで黒焦げになる覚悟はできておるな?」
 そういうと、ゼウスは怒気に染まった視線をぼくに向けながら手を高く上げた。その手には巨大な槌が握られていて、時折紫色の火花が散って見えた。もうこうなったら戦うしかないのか……ぼくは双子の制止を振り切り、板を取り出した。やらなきゃ……やられる!!
「ケラウノス!」
 ゼウスが槌を掲げると、ぼくの足元近くに黒い金属製のトゲが現れた。そのトゲからはゼウスが持っている槌から発せられている紫色の光が散っていた。これがどんな効果があるのかがわからないけど、用心しておいた方がよさそうだ。ぼくは駒を一枚掴み、展開させた。現れたのは星屑が零れそうな天球儀を持った少女─ミアクレルだった。
「まずは様子を見ましょう」
 警戒したミアクレルは天球儀をじっと見つめ、何やら詠唱を行っていた。その間、ぼくはさっきの黒いトゲに警戒をした。
「ケラウノス! お前の怒りをこやつにぶつけるのだ」
 そういったゼウスはまた黒いトゲをあちこちにばら撒いてきた。それも大量に。床に刺さった黒いトゲはぱちぱち、ばちばちと音をたてるとぼくに向かって稲光が走ってきた。まるで体に雷が当たったかのような強い衝撃だった。あの黒いトゲ……放っておいたら危ない。何とかしないと……けど、どうすれば……。
「お待たせしました。星屑のヴェールを展開します!」
 ミアクレルが天球儀を高く掲げると、夜空を彩る銀河がぼくの周り覆った。
「一回だけですけど、あなたを守ることができます。けれど、あのさっきの雷は防ぐことができませんので……ごめんなさい」
 ミアクレルがぼくにバリアを張ってくれたようだ。さっきの攻撃はこわいけど、ぼくも応戦しないと。今度は長い黒髪が美しい白い衣装に身を包んだ女性─ダーシェが現れた。ダーシェは軽く体を動かしたあと、ゼウスに向かって鋭い蹴りを放った。その蹴りの勢いは空気をも切り裂き、ゼウスに防御をさせないくらい速かった。
「カムイ無双流! 天弦!!」
 女性とは思えない強烈な蹴りにゼウスは耐え切れず、吹っ飛んでいった。その大きな体は壁にめり込みあたり一帯を震わせた。黒いトゲとは違うびりびり感に震えていると、ダーシェは不満げに「これしきの蹴りで吹き飛ぶとは。お前、修行不足だな」と声を張った。いやいやいやいや。普通吹き飛びますってと突っ込みを入れる暇なく、土埃の中からあの稲光が見えてとっさにぼくは自分を守るように体を強張らせた。
「させん!!」
 突然、背後から聞いたことのある声が聞こえた。遅れてぼくの頭の上を七色に輝く矢のようなものが飛んでいき、土埃の中へと吸い込まれていった。
「ぐぅっ!」
ゼウスのくぐもった声と共に稲光は消え、あの攻撃は来なかった。ぼくはほっとしてから上を見上げると、大きな弓を構え、土埃の中にいるであろうゼウスを睨みつけている少年─ウルが立っていた。
「間に合ったようだな」
 新しく弓を番えながらうっすらと微笑むウル。ぼくはどうしてと呟くと、ぼくと別れたあと森の動物たちがとても落ち着きがなかったんだとか。その異常なまでの騒ぎにウルはもしかしてと思い、ぼくの後を静かに付いてきていたらしい。経緯を説明をしてくれて納得したのも束の間、何かを察したウルは直ぐに矢を引き絞りいつでも発射できる体制に入っていた。
「おー。いたたた。やりおるな。若いの。こうなったら、ゼウスちゃん、本気出しちゃうぞー」
 ふざけたことを言いながらゼウスは手を叩くと、ダーシェ、ウル、そしてぼくは床に突っ伏していた。なんだろう……重力がぼくたちだけにかかっているような……動けない。
「ほっほっほ。さぁて、ゼウスちゃん頑張っちゃいまーす」
 さっきまでの怒りはどこへ、今は能天気な声を上げながらひらひらと踊っていた。その間にもゼウスの傷はみるみるうちに癒えていき、ダーシェの蹴りとウルの放った矢のダメージがなくなろうとしていた。
「ふっふっふーん! もうちょっとでわしは元気になっちゃうぞー」
 嬉しそうにくるくると踊るのをただ見ているだけのぼくたち。動け……ぼくの腕……動け!
ゆっくりとではあるけど、ぼくはカバンに手を入れて駒を握ることができた。もうなんでもいい。この状況をどうにかして打ち破って!! そんな思いを込めて握った駒から現れたのはこれまでに見てきた金色よりも美しい金色の髪、優し気な眼差し。けど、鍛え上げられた肉体はその優しい表情からは想像もできないくらい逞しかった。
「お……お前は……ヒュプノス!!?」
「安らかな眠りを与えよう。夜更かしのしすぎはおすすめしないな」
「ぐっ……お前……このわしを……」
 ヒュプノスがただ視線をゼウスに向けただけで、ゼウスは膝を落としてその場に崩れ落ちた。崩れ落ちるのと同時に体中を覆っていた重力のようなものは消え去り、自由に動けるようになった。
「助かった。礼を言おう。どうだ。わたしの弟子にならないか。お前のような肉体なら、きっとカムイ無双流を使いこなすことができるだろう」
「ボクにはそういった暴力は興味ないな。ただ、自分の身を守るくらいの力だけがあればいい」
「つまらん男だ。だが、わたしは諦めないからな。またスカウトするから覚悟しておけ」
「ははは。覚えておくよ」
 眠りを司る神─ヒュプノスのおかげでこの場を切り抜けることができた。それはよかったんだけど……ぼくはヒュプノスのゼウスはあとどのくらいで目が覚めるを聞いてみた。すると、もうすぐだよと言いいびきをかいて寝ているゼウスを指さした。すると勢いよく起きて「あーーよく寝た!」と大きな声を発した。その声でまたぼくの体はびりびりと痺れて少しの間、動くことができなかった。
 痺れが消えたところで、ぼくは改めてゼウスに話を聞いてほしいと伝えると、あんなに渋っていたのに二つ返事をして聞いてくれた。ぼくは神の証を探しているんだけど心当たりはないか、それとアズリエルと骨三郎を解放してほしいと伝えると「ほいほい。これじゃの」とゼウスは自分の胸元あたりをごそごそとしてから、ぼくに神の証を渡してくれた。それから、アズリエルと骨三郎と言いかけると、ゼウスはすぐに指を鳴らして二人を解放してくれた。
「……たすかった」
「はぁ、一時はどうなるかと思ったぜぇ」
 アズリエルはぼくを見つけるや否や、猛ダッシュで駆け寄ってきた。そして勢いそのままぼくに突っ込んでくると「とつげきー」と言い文字通り突撃された。受け止めることに失敗し、勢いに負けて後ろに倒れると、アズリエルの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……こわかった」
 普段、こんな表情を見せないアズリエルは本当に怖い思いをしたのだろう。しばらくぼくをぎゅっとして離れなかった。骨三郎も解放されてほっとしたのか、アズリエルの肩あたりで大きな溜息を吐いていた。ぼくはアズリエルの頭を撫でながらゼウスに抗議の視線を向けた。するとそれをわかったのか、ゼウスは急に申し訳なさそうに縮こまり「すまん。てっきり何か侵略を企てているのではないかと勘違いをしてしまっての……本当にすまんかった」と何度も頭を下げて謝ってくれた。それを見ていたアズリエルは小さく「……きらい」と呟いた。その言葉がショックだったのか、ゼウスは頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべていた。
「ほ……本当にすまなかった。謝って済む問題じゃないのはわかっておる。お詫びにお前の力を引き出してやろう」
 ゼウスは骨三郎に槌を振り下ろした。その衝撃で骨三郎は一瞬、意識が飛んだのか静かに床に落ちた。
「骨三郎……?」
 アズリエルが心配し拾い上げようとしたとき、突然骨三郎の目が赤く光り炎を纏いながら叫んだ。
「我は気高き竜の魂を持つもの。戦いを欲する精神、正々堂々我と勝負するがいい!!」
「……骨三郎。打ち所がわるかったのかな」
 叫ぶ骨三郎にまたもや槌を振り下ろすゼウス。次に意識を取り戻した骨三郎の目は今までにみたことがないくらい純粋で、澄み切った光に満ちていた。
「無益な戦いは止めるのです。争ってはなりません。わたしたちは

で繋がる必要があるのです」
「骨三郎が……こわれた」
「うむ。成功じゃ。これで力を引き出せた」
 ころころと変わる骨三郎の性格に戸惑いを隠せないアズリエルだが、骨三郎の戻し方について聞いていた。そのときのアズリエルは嫌っている様子はなく、ただ普通に接していたのを見てぼくはほっとした。
「なぁに。頭を叩けば大丈夫。まぁ、何回か叩けば元通りになるから安心じゃよ」
「わかった」
 そういってアズリエルは骨三郎の頭を何回か叩くと、いつもの骨三郎に戻った。戻った骨三郎に喜んでいると、横でゼウスが一言「ちょっとだけ注意がある」と口を出した。
「一個の力を出しているとき、ほかの力への変更はできないからな。戦いが終わって初めて元通りになるから。忘れんように」
「わかった」
 骨三郎の扱い方を理解したアズリエルは、力を引き出してくれたゼウスにお礼を言うとゼウスは何度も頭を下げて「申し訳なかったの」と謝っていた。そして、ゼウスはふと気になったことがあるのか、今度はぼくの顔を見ながら聞いてきた。
「ところでお主。これが必要ということはなにかあったのかね」
 ぼくが住んでいる世界に突然、白い建物ができたことを話すとゼウスは驚きあわあわとしだした。なんであわあわしているのかわからず、理由を尋ねるとゼウスは悲哀の色を含ませながら「なんで早く言わなかったのじゃ」と声を荒げた。ぼくは話そうとしたけど、ゼウスが一方的に話を聞いてくれなかったからと

抗議すると、またしぼみながら「すまんかった」といい頭を下げた。
「むぅ……これは大事になりそうな予感がするの……」
 するとゼウスは何かを思い出したように、手を叩くとぼくに手を差し出せと言い出した。言われるがまま手を差し出すと、そこにはゼウスの顔が描かれた駒が現れた。続いて、さっき力を貸してくれたウル、それと双子の駒が現れ駒箱の中へと吸い込まれていった。
「きっと役に立つじゃろうて。それと……お詫びも込めてな」
 ゼウスたちの駒を手に入れ、ぼくは最後に気になっていたことを尋ねた。あの白い建物についてだ。あれにはどんな秘密があるのかを尋ねると、しばらく迷った挙句重い口を開いて説明をしてくれた。
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