文字数 2,620文字

「あの……アズさん。そろそろ離してもらえると嬉しいのですが……」
「あ……ごめん」
 あたしが腕の力を抜くと、ふわりと宙を漂いながら「やれやれ」と呟いた。あたしより高い場所から骨三郎は何かを嗅ぎ取ったのか。自分の頭蓋骨が緩むくらい良い匂いを感じたらしく、声がだらしなくなっていた。
「お……おお。なんかいい匂いがするぜ。くんくん……くんくん……こっちだ!」
 骨三郎がこっちと言ったのは、あの人が行ったところの反対側だった。
「……でも、あの人はここで待っててって……」
「そんなん、すぐに戻ってくれば大丈夫だって。ほら、こっちだ!」
「……そうかな」
 骨三郎に道案内されるのはちょっと……だけど、この匂いはどこからなのかを知るだけでもいいよね。ちょっとだけ……ちょっとだけ……。あたしは好奇心が抑えられず、骨三郎が言う「良い匂い」がするという方向へと歩き出した。

「くんくん……くんくん……ここだ! ここからいい匂いがするぜ!」
 骨三郎がここだと言って振り返る。あたしもくんくんと匂いを嗅ぐと、確かにいい匂いがするのがわかった。なんだろう……ちょっぴり酸っぱい匂いもするけど、とっても美味しそうな匂いがする。あたしは好奇心のまま、その扉をゆっくりと開いた。中には鼻歌を歌いながら何かを作っている女の人がいた。何かを焼いているじゅうじゅうという音、何かを煮ているぐつぐつという音、お湯を沸かしているしゅんしゅんという音。まるでそれらが奏でる音楽会場みたいにとってもうきうきする場所だった。
「なんだここ……キッチンか?」
 骨三郎がお構いなしに声を上げると、その声に気が付いた女の人がこっちを向いた。イチゴのような赤い髪色がとってもきれいな女の人で、ゆったりした服装の上には可愛いアップリケがついたエプロンを着けていた。その女の人はあたしを見て「あら」と言って屈んであたしと同じ目線で話してくれた。
「ここでは見ない子ね。迷子かしら? それともお腹が空いているのかしら?」
 柔らかいその笑顔は、あたしだけでなく骨三郎の気持ちまで優しく解してくれた。あたしは首を横に振ってお腹が空いていないと伝えるも、お腹から「ぐぅ」と自己主張をした。それに続いて骨三郎のどこからか「ぐぅ」と音を出した。その音を聞いた女の人は小さく笑うと、あたしを椅子に座らせて「もうすぐご飯ができますよ」といい、首に女の人は違うエプロンをかけてくれた。
「わたしはこの宮殿でご飯担当をしているヘスティアーよ。たぁっくさん食べてね」
 ヘスティアーと言った女の人は歌いかけの鼻歌を再開させながら、とんとん、かちかち、ふーふーと色々な音を出しながら楽しそうに調理をしていた。あたしはその間、キッチンの中をぐるりと見渡した。壁に取り付けられている棚には何が入っているかが一目でわかるようにラベルが張られた瓶が、どれもたっぷり入った状態で綺麗に並べられていた。そのすぐ下にはよく使うものが大きさ順で並んでいたりととても使い勝手がよさそうに見えた。所々にある植物も、木材を中心にした家財と合っていて温もりを感じた。
「おぉい、アズ。いいのか?」
「……なにが?」
「何がってお前……見ず知らずの人からご馳走になってもってことだよ」
「……うーん」
 あたしにはよくわからなかったけど、骨三郎は何かを心配しているようにも見えた。骨三郎がはぁと溜息を吐いたのと同時、ヘスティアーさんが大きなお皿をどんとあたしの目の前に置いた。黄色い焼き物の上に赤い液体で彩られた食べ物。見たことがなく、あたしはヘスティアーさんに何かと尋ねると「それはオムライスよ」と教えてくれた。おむらいす……初めて聞く食べ物にあたしはどきどき、わくわくしていた。
「これを使って食べた方がいいわよ」
 そう言い、ヘスティアーさんはあたしにスプーンを渡してくれた。ぐっと握るようにスプーンを持ち、黄色い焼き物の中へと入れると中から黄色い焼き物の上にかかっているものと同じ色をしたものが出てきた。それと黄色い焼き物をうまくスプーンの上にのせて、あたしは口の中へと入れた。
「……!!!」
「おい、アズ。ど、どうしたんだ??」
「……おいひい」
「そう! よかったぁ! まだたぁっくさんあるからどんどん食べてね」
 黄色い焼き物と赤い色をしたものが、口の中で混ざってとっても美味しかった。あまりの美味しさにあたしはスプーンを止めることができなくなっていた。
「おいおい! そんなに慌てて食べることないだろ! ほらぁ、ほっぺたにケチャップついてる! って、言ってるそばからぽろぽろこぼすなー!!!」
「うふふっ。あなた、とっても面白いわね」
「え? あ、オレ?」
「そう。まるでこの子の保護者みたい。あなたのお名前はなんていうのかしら?」
「オレ? オレはスカルデ……」
「骨三郎」
「おい! オレが聞かれてるんだからいいじゃねぇかよ!」
「骨三郎……うるさい」
「いってー! 暴力はんたーい!!!」
「うふふふ! あなたたち、仲がいいのね。見ていてなんだか楽しくなってきちゃくらい」
「そ、そうか? それならいいんだけどよ……って、もうアズさん完食ですか!?」
「ん……おかわり」
 骨三郎とヘスティアーさんが話している間に、おむらいすっていう料理を食べ終わったあたしは作ってくれてありがとうとお礼を言うと、ヘスティアーさんは目を輝かせながら「いいのよ」と言った。そしてそのまま新しいおむらいすを用意してくれて、あたしはすぐに食べ始めた。今度、あの人もこれと同じようなものを作ってもらえないか話してみようかな。

「ごちそうさまでした。けぷ」
「アズさん……三皿完食って……お腹空いてないって言ったのはうそだったのかよ」
「……おいしくて、つい」
 てへへと笑うと、ヘスティアーさんは慈愛に満ちた顔で「お粗末様でした」といい、あたしが食べた食器をきれいに洗い始めた。あたしは少しだけぽっこりしたお腹をさすりながら、天井を見た。そのとき、あたしは小さく声を出した。

 きっと、あの人捜してる……。

 あたしはゆっくり椅子から降りて、ヘスティアーさんに再度お礼を言って、キッチンを出ようと扉を開けた。すると、そこにはもじゃもじゃの白い髭をした人が立っていた。そして目が合ったとき、あたしの目の前は真っ暗になった。骨三郎が何かを言っているようにも感じたけど、次第にそれすらも聞こえないくらい深い深い闇へと落ちていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み