文字数 2,572文字

 それからの書類不備を訂正するのは、なにも難しいことはなかった。たぶん、雰囲気に気持ちが圧倒されていたからなのかも……? ガルムとモルモーと話をしたあとは少しすっきりとした気持ちだった。見た目が怖い人も何人かいたけど、そこは怖気ないで書類の不備を伝えると恥ずかしそうに頭をかきながら書類を直してもらった。
 着実に減っていく訂正書類を見て、わたしはなんだか嬉しくなりついスキップをしながら城内を移動していた。調子ののっていたわたしは、風を切っているときに数枚の書類を落としてしまった。それに気が付き、すぐに拾っていると何やら訂正書類とは一味も二味も違う内容の濃い書類が紛れていた。これはさすがにまずいと思ったわたしは、見なかったことにしようと訂正書類の一番下に潜らせた。よし、わたしは何も見てない見てないと何度も言い聞かせながら次の目的地へと足早に向かった。

「え……もう終わったのですか? この大量の書類を……一人で……??」
 すべて訂正し終えた書類を持ってオルプネーさんのデスクに戻ると、オルプネーさんはまるで信じられないといったような表情でわたしを見つめていた。ちょっと道順を間違えちゃったけど、それでも時間がかかっちゃったかなと思っていたのに真逆だった。オルプネーさんに書類を手渡すと、どれも不備が直っていることに感激し肩を震わせながら泣き始めた。
「……こんなに早く書類訂正が終わったの……初めてなのです……すみません。お手伝いさせてしまって」
 わたしは、自分が望んでしたことですというと、涙で潤んだ瞳でわたしを見てまた更に泣き出した。よっぽど苦しい目にあってるんだなと内心思いながら、わたしはオルプネーさんに別れを告げようとしたとき、鼻をすすりながらオルプネーさんがすっくと立ちあがり何やら支度を始めた。
「あなたには、何度お礼を言っても足りない位です。なので、私もあなたのお手伝いをさせてください」
 そういうと、オルプネーさんは手を何度か叩くとちろちろと揺れるろうそくの明かりで照らされたオルプネーさんの背後から何かが蠢き現れた。まるで芋虫のような……でも、その色は闇よりも深く冥いものだった。ずずずと現れた芋虫はオルプネーさんを守るように巻き付くと、わたしに薄く笑いながら小さく頷いた。
「そんなに驚かなくても平気よ。この子はシャドウワーム。あなたには危害を加えないから安心して」
 そう言い、オルプネーさんはすたすたと歩き始めた。わたしはどこへ行くのか尋ねると、オルプネーさんは「あなたが行きたがっているところよ」と言い、また歩き出した。わたしは見失わないようすぐに追いかけ、オルプネーさんの横についた。そのときに見たオルプネーさんの顔は苦しそうな顔ではなく、どこか嬉しそうな顔をしていた。


 オルプネーさんと歩いてどの位経ったのかわかないけど、わたしの目的の人物に近付いているせいか段々と息苦しくなってきているのはわかった。なんというか、胸を圧迫されているに近い感じなのかもしれない。いや、大きく息を吸い込むことができなくて少し苦しいっていう表現が正しいのかな。浅めの呼吸しかできないことに苦しさを覚えつつも、わたしはなんとしてもこの試練に打ち勝たないとという気持ちで一歩また一歩と足を動かしていた。
 だけど、気持ちとは裏腹に足取りは段々と重くなる一方で、終いには足を止めて肩で息をしないと呼吸ができないくらいに弱っていた。
「大丈夫ですか? 少し休みましょう」
 オルプネーさんが手近な岩に腰を掛け、わたしはその岩にもたれながら呼吸を整えた。酸素の薄い山に来ているような感覚だった。吸っても吸っても頭に酸素がめぐっていないように感じて、目の前がぐるぐると回りだした。ついには吐き気まで覚え、座っていることでさえも苦しくなってきた。どうしたら楽な姿勢を取れるかを考えるのも億劫になり、わたしが突っ伏しているとオルプネーさんが優しく背中をさすってくれた。
「焦らないでいいんです。目的地はもうすぐそこです。なので、ゆっくり休んでください」
 オルプネーさんの手がわたしの背中をさすってくれる度、今まで溜まっていた不安や緊張がこみ上がってきた。そしてわたしは我慢ができなくなり、自分でも何を言いながらなのかわからない音を発しながら叫んだ。言葉にできない音は冥界の闇に吸い込まれ、ここにいるオルプネーさんにしか聞こえない音となって消えた。
 ひとしきり叫び終え、わたしの気持ちはさっきよりは落ち着きを取り戻していた。浅かった呼吸も少しずつ今までの呼吸のリズムを取り戻し、苦しさを感じることなく呼吸ができることに安堵した。
「これでも飲んでください」
 オルプネーさんは水の入った容器をわたしに差し出してくれた。嬉しくてすぐに口にしようとしたとき、カロンから言われていたあの言葉が一瞬、頭を過り手を止めた。オルプネーさんの好意を無下にするわけではないんだけど……どうしようかと迷っていると、オルプネーさんは首を横に振った。
「きっとあなたが思っている心配は、この水には含まれていません。どうぞ安心してください」
 どういう意味だろうと理解ができなかったけど、少しずつ言葉の意味を解釈していくと結論に至ることができ、わたしはオルプネーさんからの水を受け取りゆっくりと少しずつ飲んだ。冷たすぎないその水は、わたしの気持ちを落ち着かせてくれるには丁度いい温度だった。気が付いたら半分くらいを飲み終えていて、そのころにはわたしはすっかりいつもの調子を取り戻していた。顔に生気が宿ったことを確認したオルプネーさんも、どこか安心した様子で小さく息を漏らした。
「あなたがよければ、いつでも声をかけてくださいね」
 にこりと笑いながらわたしを気遣ってくれるオルプネーさんにお礼を言いながら、わたしはあと少しだけ休憩をしたら行こうと決めた。あまり長く休憩をしていても気持ちに変わりはないし、なによりオルプネーさんに迷惑をかけてしまいそうだったし……。わたしはよしといいながらすっくと立ちあがり改めてオルプネーさんにお礼をした。
「もう平気なのですか?」
 わたしがうんと頷くと、オルプネーさんもゆっくりと立ち上がりながら行きましょうかと言い
目の前にあるハデスの居城へと続く道を歩き出した。
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