文字数 3,198文字

 おれたちは開催日時ぎりぎりまで特訓をしていた。おれはもちろん、ウィルやエルケスとも特訓を重ねある程度の自信をつけることができた。特にウィルは最初に出会ったときはと顔つきが少し凛々しくなったというか、男前になったというかそんな顔になっていた。ぼろぼろになりながら村へと戻り簡単に食事をしてから会場へ向かうと、既にたくさんの人だかりができていた。そこには竜人はもちろん、サラマンダーのような四足歩行をする竜を引っ張りながら待っている人や、おれのような人間も多数いた。今か今かと待っていると、闘技場内部から突然花火のような破裂音が聞こえた。その音に驚いていると、闘技場の中から黒い点がこちらへと向かってくるのが見えた。その点は段々大きくなり、やがてそれはこの闘技場の持ち主であることがわかった。そうとわかるとウィルはおれの背後に隠れるようにしてやりすごしていた。というか、まだウィルの父さんは名乗ってないし!! 嫌だというウィルから無理やり聞くわけにもいかないし……まぁ、仕方ないか。
「ええ、ええ。お集まりの皆様。大変長らくお待たせしました。まもなく、闘技場を開放いたします。闘技場の中に入るには事前に渡した許可証が必要となりますので、ご準備してお待ちください」
 あぁ……また始まったな。いかにも嬉しいという気持ちが溢れていると思わせるような偽りの笑顔。歯の浮くのような嘘を平気で吐きそうなその口。贅を尽くしましたと見ればわかるまんまるとした腹部。歩くたびに汗を拭いながら参加するであろう人たちに挨拶をして回っていた。そしてその人物はおれの顔を見ると、今までに見た嘘の笑顔よりももっと上の笑顔で挨拶をしてきた。
「まぁまぁナギール様とエルケス様。本日はご参加頂きありがとうございます!」
「あ……ああ」
 主催者の圧に圧されたエルケスがたどたどしく返事をした。おれは特に何も返さずに無言を貫いていると、主催者はおれの背後にいる人物を見つけると、汚らしくにたりと笑った。
「おんやぁあ?? こぉんなところにウィル君がいるじゃあないですかぁあ??」
 おれが見ていたあの偽りの笑顔がばりばりと剥がれ、今は醜く歪んだ顔でウィルを文字通り嘗め回すように見ていた。
「お前如きがぁ、この闘技場で戦えるとは思えないけどなぁあ?? んん??」
「……っ!」
 そもそも、この父さんとやらはウィルをこの闘技場に出したかったのではないか。なのに、それをこんな風に言うということは……もしかして。
「まぁあ? 精々戦って戦って、這いつくばってくるといいさぁ?? はぁっはぁっはぁあ!」
 歪んだ顔からあふれ出る粘性のある言葉は、ウィルをじわじわと締め付けていた。ウィルはただただその言葉に耳を貸さないよう、今ここで騒ぎを起こさないように必死に耐えていた。……本当はおれがこいつをぶん殴れればいいんだけど……そんなことをしたらウィルの我慢が無駄になってしまう。おれは唇を強く噛みしめなんとか正気を保った。やがて満足したのか、ウィルの父さんは下卑た笑いをしながらどこかへと行ってしまった。
 完全にいなくなったことを確認し、ウィルに声をかけようと振り返ると顔は青ざめ足はがくがくと震えていた。とりあえず近くの椅子に座らせ落ち着くまで傍を離れなかった。エルケスは「水貰ってくる」といい、近くの民家から水を分けてもらうため走った。
「ごめん……なさい……ごめんな……さい」
 ウィルの怯え方は尋常ではなかった。最初は足だけだったのだが、やがて全身震えだし止まらなかった。おれは何度もウィルの背中をさすりながら大丈夫と言い続けた。
「水貰ってきたよ!」
 エルケスが持つコップの中には並々と水が注がれており、こぼさないようウィルに手渡すとウィルは少しずつ水を含んだ。本当に少しずつではあるが、震えも止まり気分も落ち着いてきているようだった。呼吸の乱れもなくなり、今はコップの中に残っている水をじっと見つめていた。
「あの……すいませんでした。取り乱してしまって……」
「気にすんな! オレたちがついてるって」
 エルケスは自分の胸をどんと叩きながら言うと、それを見たウィルは小さく笑った。ふと周りをみると、あれほど闘技場入り口に集まっていた人だかりは中へ入っていったのかどこかへ行ってしまったのかわからないが、おれたちだけになっていた。それを見て焦ったウィルがまた焦って水を飲み干そうとするのをおれが制し、別に残っていても構うもんかとウィルに言った。
「なんか……焦っちゃうんですよね。。自分も早くいかなきゃって思うと……」
「? 思わなきゃいいなじゃいか?」
「え?」
 ウィルの疑念に対し、エルケスは純粋な答えを口にすると思いもしなかった回答にウィルの顔は一瞬、硬直した。
「だってそうじゃないか? 別に焦って取り組むことでもないし、それぞれ流れってものがあるわけだし……な? 兄ちゃん」
 急におれに振るなって突っ込もうとしたけど、今はそうだなとだけ言いウィルの焦っている気持ちを少しでも和らげることに努めた。たぶん、ウィルはあの父さんから圧をかけられているから、その期待に応えなきゃって焦っているのかもしれない。それにウィルは気弱な性格だから相手はいくらでも言うことができるし、口答えしないことも知っているから更につけあがる。それが重ね重なって今の状況となっているわけだ。そして、ウィルの父さんはそんな弱ったウィルを闘技場に無理やり参加させ、無残に負ける姿を見て笑うことが目的のようにも思えた。さっき、ウィルの父さんがそれっぽい発言をしていたからな。
 だけど、今ここにいるウィルは少し前までのウィルとは違う。まだ少し力不足だと思う部分はあるにせよ、今ではずいぶんと剣の腕も上がっている。それにエルケスもいるんだ。一人よりも二人で戦っているときのウィルの顔はなんだか嬉しそうにも見えたし、その点はおれも少し安心した部分でもあった。
「なぁウィル。あいつに今までのウィルじゃないってのを見せつけるチャンスだ!」
「え……ぼ、ぼくが?」
「うん。オレ、エルケスと稽古したとき強くなったなった思ったもん!」
「そ……そうかな。実感はないんだけど……」
「ホントだって。だからさ、今までの自分とさよならするつもりで一発やってみよう!」
「……えっと……」
 おろおろとするウィルはおれの目を見て答えを求めていた。けど、おれは敢えて何も言わないでウィルがどうしたいかを口にするまで黙っていた。しばらくしてウィルは何かを決めたようで、おれの目を真っすぐ見ながら口を動かした。
「ぼく、今までお父様にあまりいい目で見られたことがなかったんだです。さっきもあんな風に言われたのも、きっと自分が気持ちよくなりたいだけ。お父様はまだぼくを弱い者だと決めつけています。エルケスさんの言う通り、ここはお父様にあっと驚かせるチャンスなのかもしれません。ぼくはまだまだ力不足だし実地経験も乏しいのもわかっています。だけど……だけど……」
 終盤、言葉が濁りだしおれはウィルの顔を覗き込むと、その目には涙を浮かべていた。辛かったことや苦しかったことが一気に溢れ出したのだろう。時折鼻をすすりながら言葉を紡いでいた。
「ぼく……だって……くや……いんです……だか……ねがい……す。ぼくに……からを……貸して……ださい……」
 涙を拭っては溢れ、また拭ってを繰り返しながらも自分の意志をおれたちに伝えてくれたウィル。おれとエルケスは二人頷き、もちろん力を貸すことを約束した。闘技場で戦うことはもちろん、ウィルをここまで苦しめたアイツをこてんぱんにすることも約束し、涙を浮かべながら笑うウィル、にぃっと歯を見せて笑うエルケスとハイタッチをしながらおれたちは闘技場の中に入った。待ってろよ……いつまでも笑っていられると思うなよ……。
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