踊り場

文字数 2,530文字

 気が付くと、ぼくはまたあの世界にいた。だけど、さっき見た世界と今見ている世界ではだいぶ違っていた。悪い意味で。
「えへへへへ。ねぇね、もっとあそんでよ。もっともっと」
「ぬぅ……ここまでとは。致し方ない」
 破壊を単なる遊びと思っている少女の突進が、ゼウスの腹に直撃しその勢いのまま巨大な岩山に衝突した。辺りに土煙を起こし、視界が悪いなかゼウスは息も絶え絶えになりながら耳に手を当ててなにやら話し始めた。
 話し終えたゼウスはケラウノスを構え直し、再び少女と対峙すると少女は嬉しそうに空中でくるくる回った。どんな攻撃が来るかわからないという緊張感に包まれているのか、神の世界であったあの茶目っ気たっぷりのゼウスの面影は微塵も感じられなかった。
 しばらく少女とゼウスの硬直状態が続いていると、ゼウスから少し離れた場所に黒い渦が現れた。そしてその渦からぬるりとした影のようなものが上へと伸びやがて人の形へとなった。刃物のような視線に、長身痩躯。触れれば吸い込まれてしまいそうな存在そのものが深い闇を纏った冥界の王─ハデスが現れた。ハデスは少女の攻撃を受けたゼウスを見てふんと鼻で笑うと、何があったと腹の奥に響く声で問いかけた。ゼウスはかいつまんで事情を話すと、ハデスは小さく頷き空中で一人遊んでいる少女をぎろりと睨んだ。その視線に気が付いた少女はまた一段と嬉しそうな声を上げて喜ぶと無邪気に手を振った。
「あぁ! あたらしいおともだち? わぁい! あそんであそんでー」
「……気をつけろ。あやつの攻撃はどれも凄まじい」
「……ふん。貴様に言われるまでもないわ」
 ゼウスの前に一歩前へと出たハデスは対象物である少女を視界に入れ、手を広げた。するとノイズ交じりに黒い小さな穴のようなものが表れ、時間経過と共に大きくなっていった。ある程度の大きさになった穴を今度はぐっと握り、再び少女に向けて手を広げた。
「ヴォイド」
 ハデスが魔術を展開すると、さっきまでハデスの手の中にあった黒い穴は少女の背後に移り、少女を飲み込もうとその口を開いた。ノイズ音はさっきよりも大きく、耳を塞いでいないと鼓膜が破れそうな不快な音を発した。
「なにこれなにこれー! なんだかすいこまれるー」
「そのまま飲まれろ」
 ハデスが広げた手を力強く握ると、今度は黒い穴は一瞬で少女を飲み込み辺りは静かになった。なんだこの程度とばかりにハデスは首を横に振り、自分の世界へと帰ろうとしたときだった。さっきまで少女がいた個所からばりばりと何かを破くような音が聞こえた。次第にその音が大きくなり、空に亀裂が走った。亀裂が走ってから事態が変わるまではそう時間かからなかった。ゼウスとハデスが驚いた様子で空を見上げている間に、亀裂の間からあの少女が勢いよく飛び出してきた。少女はびっくりしたといいながらも無傷で現れると、ハデスを見てきゃっきゃと喜んだ。
「さっきのやつ、とってもおもしろかったー! ねぇねぇ、もっとおもしろいのがみたーい!」
「……調子に乗るなよ」
 ハデスは自身の魔力を増幅させるため、意識を集中させた。集まってきた魔力はハデスの周りで渦巻いていた。その魔力は瘴気にも似ているのか、ハデスの足元にあった草や花はその魔力に触れると生気を吸い取られたかのようにしぼんでいった。
「くろいものがぐるぐるしてるー! こんどはなにをみせてくれるのー??」
「これが冥府の流儀だ」
 空中で喜んでいた少女はもう待ちきれないのか、魔力を集めているハデスに向かって突進をしてきた。ゼウスは「危ない!」と言うのとハデスが魔術を展開するのはほぼ同時だった。集めた魔力を少女に向けると、まるで意思をもっているかのように続々と少女へと伸びていきあっという間に少女を包み込んだ。腹を空かせた猛獣の如く空を走る魔力を見たゼウスは体をぶるりと震わせ額から大粒の汗を垂らした。
「あれ。なんだろう。げんきが……なくなって……いく……みた……い」
 少女の生気を吸い取った魔力は「ご馳走様」の代わりにごぷりと音を出しながら消えていくと、目を閉じた少女がそのまますとんと空から落ちてきた。
「……やったのか」
「わからん。一時的もあいつの戦力を削いだに過ぎん」
 やや速足で少女が落ちた地点へと向かうハデスの後を追うゼウス。まだ傷が痛むのか、歩く度に表情が時々ぐにゃりと歪む。ハデスはお構いなしに進み、少女が落ちた地点へと到着し確認をした。少女は確かに落ちていて、気絶しているようだった。遅れてゼウスもその様子を確認すると、少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「……おいゼウス。これはどういうことだ」
「……さっき話した通りだ。それ以上でもそれ以下でもないわい」
 ハデスはゼウスの首をぐっと握りながら怒気に塗れた声を発した。ゼウスはそれに臆することなく淡々と答えると、ハデスは首に込めていた力を緩め小さく舌打ちをした。ゼウスはふうと息を吐き、近くにあった木の幹に背中を預けると、穴が開いた空を眺めて呟いた。
「……この子は一体なんなんじゃろな」
 その呟きには今まで聞いたことがないどこか悲哀な部分が含まれていると感じたのか、ハデスはゼウスを見た。その表情はまるで子供を案じている親の顔をしていたのだった。
「……ふん。事が済めばそんなことなどどうでもいい」
「そうもいかんじゃろ。ここまで暴れたんじゃ。そうなるにはきっと何か理由があるはずじゃ」
「父親面するのもいい加減にしろ」
「……そうかもな」
 ゼウスの思わぬ反応に困ってしまったハデスは気まずそうに頭をがりがりとかいた。それはさておき……ハデスは空を見て思った。その思いはきっとゼウスと同じで、ぽっかりと開いた空を戻すにはどうしたらいいのかと。腕を組みながら考えていると、ハデスの背筋にぞわりと悪寒が走った。それも今までに感じたことのない猛烈な悪寒が……。思わず歯を食いしばりながらその悪寒に耐えていると、空に向かって何かが動いた。
「ま……まさか……」
「ぬぅ……」
 その何かとは、他ならぬさっきまで気絶をしていたあの少女だった。その少女がまた高らかに笑っているのを見たぼくは、また意識が飛んで行った。なんで……こんな……ことに……。
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