文字数 3,313文字

 ナギールとデッキのことで話し合った夜はあっという間に更け、代わりに外では輝く太陽がぼくの瞼をちくちくと悪戯をする。その悪戯に負けてしまったぼくはゆっくりと瞼を開け、気持ちの良い太陽の恵みを受けながら体を起こした。まだ頭はぼーっとしていて、何度目かのあくびでようやく寝床から出ることができた。軽く体を動かして全身で目覚めようとしたとき、ぼくの部屋のポストに何かが入った音が聞こえた。何か薄い手紙のような軽量感のある音だったから、きっとギルドからの通達かなにかだろうと思って中を確認すると、この前足を運んだ図書博物館からのお知らせだった。
 前回、図書博物館に行ったとき図書館とは反対の美術館は入ることができなかったけど、このお知らせは美術館にも入ることができるようになったというお知らせだった。美術館……か。一体どういったものがあるのかなと思うと、さっきまで眠かった自分が嘘のようにぱっちりすっきりした気持ちになった。でも、その前に今日は何かギルド内で動きがないかを確認してからにしておかないと……。ぼくは早速、図書博物館からのお知らせを鞄に突っ込み、ギルドへと向かった。

 ギルドに到着すると、昨日まで何も張られていなかったコルクボードには数枚の通達が雑にピン止めされていた。一枚は討伐依頼、もう一枚は「初心者は必ず参加するように」と大きく書かれたものだった。内容は実地訓練だった。それも初心者同士の……。下の方へと読み進めていくとどうしてそれを行うかという理由が書かれていた。理由は簡潔に「そういった場合を想定して」とあった。まぁ、いつも魔物ばかりが相手ではないということを知っておいた方がいいというギルドからの

という考えれば参加した方が今後役立つかもしれないしね。開始時間は夕刻とあり、今から図書博物館に行って帰ってくれば訓練には間に合う計算だったから、ぼくはすぐに図書博物館へと小走りで向かった。

 図書博物館出入口。ゆっくりと扉を開けると、受付にはこの前対応してくれた女性が座っていた。静かに扉を閉めて、挨拶をすると女性は顔を上げて顔を輝かせながら迎えてくれた。
「あなたは……以前、図書館をご利用された方ですよね。ということは、通達を読んでいただいたということでしょうか?」
 ぼくは頷くと、女性はさらに嬉しそうに小さく飛び跳ねるとぼくの手を握りぶんぶんと振った。
「よかったぁ……誰も来なかったらどうしようかと思ってました……けど、あなたが来てくれて本当に嬉しいです!」
 うっすらと涙を浮かべながら口にしたその言葉は、心配で心配で辛かったという気持ちがぼくの胸に痛いほど伝わってきた。たぶん、ぼくはここを定期的に通うことになるかもしれない。
ぼくは早速、通達に書かれていることを尋ねると、女性はまた嬉しそうに頷き美術館側を向きながら案内をしてくれた。
「はい。こちらは一定の期間、展示を行っています。先日来ていただいたときは、ちょうど展示物の交換を行っていたので、ご案内ができなかったのですが……今日は、そちらをご案内させていただきますね。まず始めに言っておきますが……中に入っても驚かないでくださいね」
 最後、受付の人は真剣な顔をしつつもどこか笑いを堪えているようにも見えたけど……それは中に入ればわかるかな。ぼくは受付の人にお礼を言い、博物館の扉を開いた。

 きぃという木の軋む音と共に開いた扉の先は少し薄暗く、明かりは展示物を照らすものだけだった。静かに扉を閉めてゆっくりと展示物に近付いてみた。透き通るようなガラスの中には幾何学な模様が描かれた大きな壺が飾られていた。なんて書いてあるかまではわからないけど、ただその形を見た率直な感想は「きれい」の一言に尽きた。次に見たのは同じ壺だけどさっきよりも一回り小さく無地だった。注ぎ口から徐々に丸みを帯びているそれは実用性はもちろん、ただこうして眺めるだけでも美しい形をしていた。
 次の展示物を見ようと足を動かすと、つま先に何かにあたり同時に「いてっ」という声が聞こえた。ごめんなさいが出るよりも先に、ぼくは慌てて後退りし薄闇の中で蠢くそれを見ていた。
それは「やれやれ」と言いながら振り返った。大きな犬歯が覗く口、密林かのような体毛、がっしりとした体躯はまるで二足歩行が出来る大きな狼のような出立のそれは、蹴られた部分をさすりながらぼくをじっと見つめた。
「おや。お客様でしたか。これは失礼しました」
 その狼は襲うどころか、ぼくを見ると深々をお辞儀をした。鋭い目つきからは想像もできない位に穏やかな振る舞いに、ぼくはさっき思いっきり後退ったことを恥ずかしく思った。
「てっきり、受付の子がまたうっかりしたのかと思いましてね。いやはや……お恥ずかしい」
 ぼくがどうしようかと迷っていると、その狼ははっとした顔をしてまた深くお辞儀をしながら自己紹介を始めた。
「これは失礼。申し遅れました。わたしはこの博物館を担当させていただいています、マルバスと申します。縁がありここで働かせていただいております」
 マルバスと名乗った狼は、丁寧に展示物について説明をしてくれた。そして、一通り説明が終わったあと、ぼくは一つ疑問に思った。この展示が終わったら、ここに飾ってあるものはどうするのか……。それを尋ねると、マルバスは大きく頷いたあとに答えてくれた。
「この展示物は、わたしのコレクションなのです。わたしがあちこち巡っているときに出会えた宝物です。それを皆さんにも見てほしくて、このような形ではありますが展示をしています。元々、わたしは工芸品や美術品に興味がありまして色々集めていたら、これを一人でみるのではなくその素晴らしさを広めてくれませんかとお声をいただきました。それがきっかけでした」
 美術品を見ているマルバスの言葉は、まるで美術品を我が子のように愛でている親のような温かみがあった。それにしても……こんなにたくさんの美術品を片付けてをして、入れ替えてまた新しく展示をするのはさぞ大変なのだろうと思っていると、マルバスはまるでそれを読み取ったかのように笑いながら言葉を続けた。
「コレクションの回収は簡単なのですが、展示するときだけが頭を使いますね。回収はここに異空間を呼び出して入れるだけですから。ははは」
 異空間……そうか。マルバスって確か悪魔だったような。魔界と呼ばれる空間にコレクションを投げるだけで片付けも済んでしまうとは……ぼくはほんのちょっと、ほんのちょっとだけ羨ましいと思った。
「こうしてお客様とお話できたのも何か縁です。もし、よろしければこれをお受け取りください」
 マルバスがぼくに手を出すように言うと、ぼくの掌の上にはと小さな円状の物が現れた。それはマルバスの顔が描かれた駒だった。それも非常に強力な力を感じるほど……。
「お客様がお困りのときは、いつでもわたしをお呼び出し下さい。この美術品を楽しんでくれるお客様に仇なす者を……わたしは容赦しません」
 さっきまで穏やかに話していたマルバスの口調が一変し、その荒々しさにぼくは本気で驚いた。それほどまでにマルバスの気持ちというのは真っ直ぐなものなのだろう。今のぼくに扱えるかわからないけど……それでも、いつかマルバスの力を借りることがあったらそのときはよろしくお願いしますと伝えると、マルバスは恭しくお辞儀をして「お守りします」と短く答えた。

 ぼくはそろそろギルドに戻るため、マルバスに別れを告げた。「またぜひいらしてください」とマルバスが言いながら手を振り、ぼくを見送ってくれた。ぼくもそれに応えながら静かに扉を閉めて受付の人に一声かけてから外へと出ると、ギルド目指し走り出した。急いでる訳でも何かやらかしたわけでもない……ただ、気持ちが走りたいと訴えていたから。駆け抜けたかったから。気持ちに素直になり、息がきれるまで走って走って走った。耳元を通り抜ける風の音、自分の呼吸音、心が刻むリズム、すべてが重なりひとつの音楽になるとき、ぼくは一層スピードを出して走った。息が切れるのを忘れて、ただ真っ直ぐにひたすらに……。
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