第60話

文字数 826文字

 ようやっと僕の性別が確定した。

 その頃の僕はもう大方人間らしい姿、形になっていた。

 母は五度目に訪れた竹内産婦人科で、

「ああ(性器)あるね。男の子、だね」と云われた時、

「やっぱり」と呟いた。

 予想はしていたがそれが確かになった時はやはり嬉しかったようである。

 直ぐに父に伝言を送った。

 だけどそれは妊娠が確定したあの時のような喜びを爆発させた感情とは違って、はじめから淡白なものだった。

「男の子だよ」

 二人の間に少しだけ冷めたものが介在することを僕は感じ取っている。

 しかし男の子と決まったことで二人が次の共同作業を得たことはよかったはずだ。

 これをきっかけに再び仲睦まじい夫婦になってくれることを僕は願っている。

 その日の晩、父が大学図書館から借りてきた『赤ちゃんの名前辞典』を間に二人は額を突き合わせた。

 出版されたのが三十二年前と随分昔のものだ。

 表紙は折れ曲がりくたくたで背表紙の題字は消えかかっている。

 どれだけの人がこの辞典から自分の子の名前を引っ張ってきたのだろうか。

 辞典を開き父は字数の組み合わせを考えている。

 それがこの子の幸福に関わると信じ、字数からまず候補を絞り込み、そこから相応(ふさわ)しい名前を決めようとした。

 ところが母は父の主張に耳をかさず文字の意味や聴こえにこだわった。

 出発点の違う二人の交叉する名前はひとつとしてなかった。

 母は云った。

凛太郎(りんたろう)がいいわ。りりしくていい響きだと思わない?」

 父は自分のたなごころに母が示した漢字を指で書いている。

「15か、15はだめだよ。最初は12か9でないと」

 母はため息をついた。

「なら、あなたはどんなのがいいと思うの?」

「これによると9+11が最もいいらしい」

 父は名前辞典を指して云うが、母は既に見ていない。

「だから?」

「この組み合わせだったら、

、と、

、がいいと思う」

 父は傍らにあった新聞広告を引き寄せてその裏に、飛、と、彩、を力強く書いた。

「な、

って読めるだろ」

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