第74話

文字数 435文字

 しかし自分たちの置き所のない困惑より娘の身を案じるが先で、身重の娘に声を掛け掛け、昼も夜もずっと見舞い、産婦人科に連れ出そうともするが、

 彼らの娘で僕の母は一向に動こうとせず、

 さらに悪いことに祖母が用意してくれた食事にまったく手をつけないで幾日も黙して床に伏したまま無為(むい)なるが住み慣れた天井の濃いと淡い染みを何重にも数え分けた。

 その時の母の声は僕にさえほとんど何も聞こえなかった。

 母の衰弱は甚だしく僕にも時を待たずして遷る。

 僕が僕の入れ物を大きくしてゆけばゆくほど、息苦しさや母と同じ鬱鬱(うつうつ)とした気分を分かち合うことは胎児である以上仕方がないのだが、

 母が床に伏している間、僕の入れ物の成長は止まっていた。

 母からの栄養が途絶え母からの苦悩だけが届いていたからだ。

 こうなると胎児の壮齢期に差し掛かる僕にも人間性なるものを隠しきれず自分の命を守ることを考えるようになった。

 生まれることがここにあっては僕の優先的生業(なりわい)だからだ。

 それは母の命ためでもあるわけだし。
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