第6章 第5話

文字数 3,216文字

「おお、ラッキーだね雄大くん。ど真ん中じゃん」
 市木さんが笑いながら俺の肩を叩く。
「力が入りすぎだって、みなみにも言われてるだろうが!」
 源さんが呆れ顔で呟く。

 ハアー。冬になってから、ドライバーは全部これ。全然まっすぐ飛ばない。どうしても左に引っ掛けてしまう。わかっていても、どうしても力が入ってしまう。
 困り顔でみなみちゃんを見ると、何故か呆然とした顔で俺のボールを凝視している。
「みなみ先生―、全然キープ出来ないんですけど…」
 無視される。俺の話が耳に入らない様子だ。
 俺はみなみちゃんの顔を覗き込みながら、
「ねえ、どうすれば引っ掛け直るかなあ」
「うわっ ビビったー! な、何?」
「いや… だから、どうすれば引っ掛けずに打てるかと…」
 みなみちゃんはプイッとソッポを向いて、
「知るか! てか、どっちなんだかハッキリしろい!」
「はあ?」
「あーーーーーーーーーー もーいー。」
 何故か逆ギレされてしまう。

 源さんのゴルフ。これまで見てきたプロゴルファーとは全く異なる。スイングの音も飛距離も小林社長と同じ程度である。
 だが。
 この人の打つ球は、命を持っている! かと錯覚する程、源さんは自在にボールを操る!
 まるでシャフトと腕が同一化したかのようなクラブ捌きにまず驚嘆する。そして放たれたボールが源さんの思いのままに曲がり止まるのに更に驚愕する。
『大多慶の魔術師』
 との二つ名があるそうだが、全くもってその通りのプレーぶりである。

「ね、雄大君。ゴルフは飛距離じゃないでしょ?」
 市木さんがニヤリと笑いながら俺に言うのを深く何度も頷き返す。
「凄いです。市木さん達とは別の意味で、本当に凄いです。何であんなに軽く振ってるのにバックスピンがあれ程…」
「僕の小技は全部源さん仕込みなんだ。あの人の技は僕とみなみちゃんの技。日本のトップを取れる技。さーて、みなみちゃんさっきは世界を取るなんて言ってくれてたけど」
 市木さんは大きく伸びをしながらグリーンを眩しそうに眺める。雲一つない快晴の元のポカポカ陽気に、グリーンが薄らと陽炎を思わせるように揺れて見える。それは遥か遠くにも見え、思ったより近くにも見える。
「どう思う? 雄大くんは、みなみちゃんは世界を取れると、思う?」
 俺はグリーン上の前のグループの歓声を聞きながら、ボソッと応える。
「取れる。と、信じてます。」
 市木さんは軽く頷き、俺ももうちょっと頑張るか、と独り言を言いながら自分の二打目の地点に歩いて行く。

 今日は朝から大忙しだった。コンペの幹事なんて初めてだったので、二週間前から雑誌、ネットで調べに調べ、大多慶の日南支配人と何度もやり取りをし、小林社長に色々教わり、ようやく今日に漕ぎつけた。
 従って最終組でスタートする頃には心身ともにヘトヘトだったが、源さんのゴルフが見られること、そして何より。みなみちゃんと回れることで俺は元気を巻き戻し、今のところ2ホールを残して89と中々のスコアで来れている。

 この辺りから、既にホールアウトした参加者が見学に戻ってきており、ちょっとしたツアーの雰囲気に俺は知らずスイングに力が入ってしまう。
 17番パー4。市木さんのショットにギャラリーは
「おおお!」
 源さんのショットに
「わああ!」
 みなみちゃんのショットに
「おおおおお!」
 そして。俺のショット。
「ワハハハハ」
 打球は左の林に入り、杉の木に当たり、更にカート道でバウンドして結局左ラフの280ヤード地点に収まる。

「幹事、馬鹿力だなあ、杉の木壊すなよー」
「まだ新人メンバーだからな。カート道の正しい使い方、源さん教えてあげなよぉ」
「さすが甲子園球児、斬新な攻め方をするなぁ」
 …… 先に上がったリューさんなんて腹抱えて大笑いしていやがるし。

 最終ホールには俺たち四人以外の全参加者がギャラリーとして見守っている。誰もが一目源さんの元気な復帰姿を見たい、そんな思いがひしひしと伝わってくる。
 いいなあ。このクラブ。皆、暖かく優しく。
 この人たちに見守られ、みなみちゃんはここまで育ったんだ。そしてこの人たちの後押しを受け、ここから旅立つんだ。
 ギャラリー一人一人の顔を眺めると、誰もが市木さんへの畏敬、源さんへの敬愛、そしてみなみちゃんへの慈愛の表情だ。
 何人かのメンバーと目が合う。彼らは皆、愛憐?仁慈?の眼差しで俺を労ってくれる。俺は軽く彼らに口角を上げ、このクラブのレジェンド二人とホープの後を歩き始める。

 グリーンに近づくにつれ、ギャラリーにはクラブのスタッフも加わり、本当にちょっとしたトーナメントの最終ホールの様相を呈している。
 最終18番パー5。市木さんとみなみちゃんは流石の2オン。俺は相変わらず左の林に飛んだ1打目、リカバリーの2打目、3打目はグリーンに届かず、なんとか4オン。
 源さんはまるで測ったような3オンでピン側2メートル。大歓声が18番グリーンに木霊する。市木さん、みなみちゃんが難なく2パットで沈め、バーディーフィニッシュ。
 俺はこれ程大勢に見守られてゴルフをするのが初めてで、パターを握る手の震えが止まらず、まさかの4パット。4オン4パット、トリプルボギーでフィニッシュ。
 神宮、甲子園で大歓声には慣れている筈なのだが…

「ナイス、トリ!」
「いいぞお、よく頑張った!」
 何故か盛大な拍手を受けてしまい、顔がニヤケてしまう。

 そして。2メートルの源さんのバーディーパット。グリーン上、いやゴルフ場全体が静寂に包まれる。誰かの唾を飲み込む音さえ聞こえそうな雰囲気だ。
 その静寂を楽しむかのように源さんは穏やかな笑みのまま、ゆっくりとアドレスに入る。源さん愛用のパターは俺が見たことのないタイプのもので、いかにも古そうなモノ。聞いてみると、ウィルソンの8813というモデルだそうだ。俺なんかは絶対に扱えない代物だが、源さんの手にかかるとボールは命を吹き込まれ、打ち手の思うがままに球は転がり、転がり…

「「「「「うおーーーーーーーーー」」」」」

 未だかつて聞いたことのない大歓声が18番グリーン上に響き渡る。
 源さんは満面の笑みでボールをカップから拾い上げ、それを涙ぐみながら観戦していた日南支配人にポイっと放った。

 源さんと風呂に浸かりながら、俺は今日一日の心労をゆっくりと解きほぐしている。体の疲れは全くなく、寧ろあと1ラウンド回ろうと思えば風呂から全裸で飛び出しても構わない程だ。だが、これ程の規模のコンペの幹事は、さすがに疲れた。
「おう雄大。今日はホントに、ありがとな」
 それを察するかのように、源さんが顔を湯で洗いながらボソッと呟いてくれる。
「みなみとよ、またこうして、回れる日が、くるとは思わな、かった」
 内に籠った悦びを噛み締めるように、一言一言ゆっくりと源さんは続ける。
「あいつは、プロでも、やっていける。間違え、ねえ」
「ですか、ねえ」
 俺もつられてゆっくりと問いかける。
「あいつに、負けたの、初めて、だぜ」
 市木さんが体を洗い終え、源さんの横にそっと入ってくる。
「ハハハ、僕はちょいちょい負けてますよ」
 
 源さんは顔を綻ばせ、そして大きな掌いっぱいに湯を掬い、気持ちよさそうに顔にかけた。それを何度か繰り返す様は、愛する孫娘への様々な思いを洗い流す儀式の如く思えた。
「それにしてもさ、雄大くん、もう少し上手にならないと。今日スコアいくつだっけ?」
「えっと… 102でした…」
「そうかそうか。ようし、みなみがプロになって忙しくなったらさ、俺が教えてあげるよ。レッスン代はすこーしまけてあげるからさぁ」
「ふん、やめとけ。俺が、ただで、教えてやるさ」
「ちょ、源さん、人の営業邪魔しないの! ドライバー新調して百合にブツブツ言われてんだからさあ」
「オメエより、雄大の方が、飛ぶじゃねえか」
「んぐう… それ、痛いわー」
10球に1球、だけですが… 痛いわー
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