第1章 第9話

文字数 3,119文字

「それにしてもさ、なんでみなみちゃんはここで研修生やってんだっけえー?」
「ったく。リューさん、それこないだ彼女が言ってたじゃん。確かお爺さんの紹介、なんだよね?」
「あー、そーだったそーだったあ、忘れてたわー」

 この人。コンピューターとの対話能力はピカイチなのだが、人とのコミュニケーションに難がある。それはこんな風に、ちょっと前に聞いた話を忘れてしまうという所である。突き詰めてしまうと、一見人懐っこくコミュ力高そうなのだが、基本的に他人に興味が無く、よって聞いた話も興味の無さ故すぐに忘却してしまうのだ。
 日向みなみの生い立ちは前に聞いた筈なのに、すっかりそれを忘れてしまっているようだ。

 さぞや呆れたことだろう、と彼女を伺うと。なんてことはない。目の前の特上牛タンに目が釘付けで人の話を聞いていなかった様だ。

 この二人…どちらも社会的にはとんでもない所作である。
 聞いた筈の過去の生い立ちをすっかり忘れてしまう所業。
 ご馳走してくれる人の話をほぼ聞いていない所業。
 …… なんで俺の周りは、社会不適格者ばかりなのだろう。
 この子にしても。所謂、お客さんのご馳走による食事会に同席するのに、ドレスとは言わないが襟付きシャツ程度は着用するのが常識だろう。なのにこの子… まさかのジャージ参加なのだ、しかもスポンサーのスポーツ用品メーカー提供のジャージなどではなく、胸に『大多慶商業』なんて刺繍されてる、所謂高校生時代に体育で着てたジャージなのである…
 勿論、一部のマニアの方なら大喜びかも知れないが、俺もリューさんもそんな趣味はない。俺は唖然としたのだが、リューさんは逆にその大胆不敵さに喜んでいる様なので、それ以上何も言わなかった。もし彼がいなかったら説教一時間コースであったろう。

 それにしても、この子…
 食べる、喰う、食べる、喰う……
 リューさんが一人芝居で色々話してる間に、一人で五人前は平げたのではないだろうか。俺は肉一人前でライス大盛り二杯はイケるのだが、彼女は米よりもひたすら肉、肉、肉!
 運ばれた皿が全て無くなると、リューさんに伺うこともせずに、
「おばちゃん、特上ハラミ二人前追加っ!」
「特上ロース、三人前ね!」
「キムチ盛り、お代わり!」
「カルビクッパと冷麺、追加ねー」

 おいおい、ちょっと待て、俺も大学時代は体育会、その勢いも止まらぬ食欲もよーくわかるのだが…
 ちょっと食い過ぎじゃね… 同名の我が妹のみなみの10倍、彼女の陽菜の12倍は食べているのに、更にまた…
「ライス特盛ももらっとこうかなー、カルビスープも追加でねー」
 … なんだか大食いタレントに奉仕している感が否めないのだが。

 当のスポンサーのリューさんは三杯目のビールジョッキを陽気に傾けながら、
「でっさー、みなみちゃんのクラブさあ、最新のに揃えた方がいーんじゃね? なんなら俺がプレゼントしてもいーし」
 アカン。こいつ、この子のこと完全にキャバ嬢扱いしてるわ…
 まあ、時々いるんだよな、若いアスリートを応援してるつもりが援交になっちゃってるオッサン。ウチの大学のちょっとイケてる女子部の子達がよくボヤいてたわ… あのハゲ、目的は私の優勝トロフィーじゃなく、胸と股間だって。

 まあでも、彼はこう見えて好色一代男では断じてない、むしろ草食一代王子なので、そっちの心配はしなくて大丈夫だろう。
 これまで付き合った彼女は両手両足で全く足らず。然れど最も長くて一月半。惚れっぽいけど飽きっぽい。深入りする前にサヨウナラ。殆どの女子は傷付くよりも先に呆れ果て、別れた後も彼を心配する子が続出。
 そんなリューさんは… ふむ。今回は特に狙っている様子じゃないわ。それもそうだ、自分よりデカい背丈で自分より重たい女子に興味は湧かないわな。

 改めて、コメを口いっぱいに頬張る目の前の餓娘をよく眺める。マスクを外すと、意外にスッと伸びた鼻、意外に上品な口元。意外にシャープな顎の線。
 実は、灯りの元でかつ遠赤外線に照らされよく眺めると、意外や意外、彼女は「美形」と言う言葉がピッタリであった。
 背丈もあり肩幅も広く背筋をピンと伸ばして堂々と歩くので、どうしても体全体に注意がいってしまうのだが。よーく顔を見ると、驚くほど美しい顔立ちなのであった。これも焼肉屋における七輪による遠赤外線効果の賜物なのかも知れない。

 もし彼女が帽子の跡のついた変な髪型でなく年相応の普通の髪型だったら
 もし彼女がせめてアディタスNEOのお洒落ジャージを着ていたら
 もし彼女がご飯は普通盛りで冷麺はもう入りません、と満足そうに笑ってくれたら
 もし彼女がまた一緒に回りたいですとお願いしてきたら
 もし彼女が今度ドライブに行きたいですと言ったら
 もし彼女が…
「おばちゃん、ライス特盛とキムチ盛り追加だよ、あと、締めの特上カルビ二人前ねー」
 俺は烏龍茶を啜りながら込み上げる笑いを堪えるのに苦労する。

 流石のリューさんも会計の時に顔が引き攣っていた。
 こんな片田舎の焼肉屋でこれだけ払わされるとは… しかも、え、俺と二人での割り勘?
「俺―、こんな食べる子はもーいーかも。見てるだけで食欲失せちゃったしー」
「ほーん。じゃあクラブセット買ってあげるのは?」
「無理無理。今日のでドライバー一本買えちゃったでしょお」
「じゃあ、もう正会員辞める?」
「うーん、どーしよーかなー」
 おい。人を誘っておいてそれはないだろ…
「ま、辞めるの面倒くさいから、いっかこのままでー これからは3サムか4サムで行こうよー」
 俺はクスッと笑いながらアクアラインを軽快に飛ばす。
 その内穏やかないびきが聞こえて来る。
 きっと明日になれば、
「雄大、来週末さあ、行こうよ大多慶、二人でさあ」
 なんて能天気なことを言うだろう。この天才さんはそんな男なのだ。嫌なことを忘れる天才でもあるのだ。

 規則正しい鼾をB G Mに車は海ほたるに差し掛かる。真っ暗な東京湾の真ん中で煌々と輝き孤高を誇る海ほたる。何故か俺は海ほたるに彼女を重ねる。
 これまで俺の周りに全く存在しなかったタイプの彼女に、俺は戸惑いを感じているのかも知れない。よく言えば天真爛漫、悪く言えば軽率短慮。その天真爛漫さが暗闇に一人光り輝く海ほたるを想起させたのかも知れない。
 やがて車は海ほたるを通過し東京湾を潜るトンネルに入る。薄灯のトンネルを進みやがて川崎が近づくにつれ、海ほたるが意識から徐々に薄れていく。

 その夜。
「ねえいつ連れてってくれるの? 大多慶」
 パター練習しながら陽菜の言葉に少し動揺する。
「あ、ああ、そーだったな。じゃあ今度の週末、どう?」
「うーん。いいけど」
「なんだその反応。行きたくないなら連れてかないぞ」
「なんでそんな意地悪言うの…ゆーだいくんの意地悪…」
 電話が切られる。
 軽く溜息を吐いた後、リューさんに週末陽菜とウチのみなみ連れて大多慶行こうよ、と誘いのラインを入れると即O Kのスタンプが送られ、次いで喜びのジャンプをするウサギのスタンプが送られてくる。
 
 電話がかかってくる。
「なんですぐ電話くれないの? ゆーだいくん酷いよ…」
 この子と、あとひと月持つであろうか… 今週中にみなみとカンファレンスを持つ必要があるな。
「え…お兄と、みなみんと、四人で? マジマジ? それチョー楽しそうやん!」
 車はゴルフバック4つ余裕でトランクに入る小林家に出してもらうか。運転は俺だけど。
「いくいくいく! みなみんと相談しなきゃだねー」
 電話が切れる。
 リューさんに車の件を伝えると秒速でO Kスタンプ。
 俺はスマホを机の上の充電台に載せる、大きな溜息とともに。
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