第6章 第1話

文字数 3,162文字

 社長の肝煎りでの送迎なので、これも立派な業務扱いになった。
 … 大丈夫か、この会社… 社長の私的な交友関係の範疇の要件が社の業務として認められるとは… でも、お陰でみなみちゃんの元気な顔が見られた。素直に嬉しい。次いでにお母さ… 美加さんの元気な様子も伺えた。まあ、嬉しい。

 それにしても、源さん。寡黙だ。先日はあれ程話していたのだが、今日は車に乗ってから、一言も話さない。俺が話しかけても、ああとかうんとしか返事が無い。
 ひょっとして、俺、嫌われている? 大事な孫娘を誑かした極悪非道の若造と思われて?
 いや、違う。もしそうなら、俺の送迎をキッパリと断るはずだ。嫌な物には決して巻かれない、そんな頑固一徹な職人気質を彼には感じる。
 となるとーやはり、診察の結果を心配しているのだろう。俺は膝に関しては余り造詣が深くない、と言うのも野球経験で膝の故障は周囲に余り存在しなかったから。肩や肘はほぼ全員が問題を抱えていたものだが。
 事前にちょっと調べたのだが、膝の痛みに多いのが変形性膝関節症、関節リウマチ、痛風などらしい。どんな症状か聞いていないので源さんの病名は推測出来ないのだが…

「どんな症状なんですか?」
 試しに聞いてみる。
「四年前、くらいからよお、」
 ボソボソと話し始めるが、マスクをしているせいもあり、イマイチ良く聞き取れない。だが何とか聞き取りを終える頃には、膝の痛みに一番多い変形性膝関節症なのではないか、と考える。

 小林社長の友人のクリニックは江戸川区に西葛西にあり、大多慶からだと京葉道路を使って一之江I Cからすぐである。
 車が東京都に差し掛かる頃には源さんも大分話してくれるようになり、
「おらあ、病院なんて、殆どかかった事、ねえんだわ。だからよお、ちょっと怖えんだよ」
「心配ありませんよ。その先生、膝に関しては日本でも有数の名医なんですって。安心してくださいよ」
 事前調査によれば、アメリカの大学にも留学経験のある若手、と言っても40代だが、の名医である。患者には多くの有名スポーツ選手が名を連ねており、寧ろこんなすぐに診察を受けれる事自体、珍しいことの様だ。

 クリニックは思ったよりも大きく、ちょっとしたビル全体にリハビリ施設や入院施設も入っているらしい。
 待合室にはコロナ禍にもかかわらず大勢の患者がおり、源さんは一人体を硬くしてじっと呼び出しを待っている。
 予約時間を20分ほど過ぎた頃、名前を呼ばれ俺と源さんは診察室に入る。

「初めまして、院長の高千穂です。小林さんの紹介、と言うことですね。膝を悪くしたと聞きました、早速拝見させていただきますね」
 高千穂院長は大変物腰の柔らかい眼鏡をかけた先生で、経歴から推測される多くの治療経験に基づいた自信を感じさせる、見るからに名医である。
 その後院内のレントゲン、M R I検査を経て、先生は
「変形性膝関節症に間違いないと思います。日向さんの画像を見ますと、ほら、ここ。膝の関節の一部が欠けてしまっていて、そのカケラが痛みを誘発しているんです。簡単な手術でこのカケラを除去すれば、痛みはビックリするほど無くなると思います」
 手術、と聞いて源さんの身体が硬直する。

「あはは、心配しないでください。内視鏡入れてサッと取るだけですから。三日後には退院できますよ」
「えっ、本当に?」
「はい。ひと月は松葉杖の生活になりますけど、それからは普通の生活に戻れますから」
「あの、ゴルフとか、出来るでしょうか?」
「ゴルフお好きなんですか? 勿論、好きなだけ回れますよ」
 源さんの目はみるみるうちに涙が込み上げ、鼻を啜る音が診察室に静かに響く。

「この方、日本アマ選手権で入賞するほどのゴルファーだったんです。」
 急に先生が源さんに向き直り、
「えっ まさか、日向源さんって… あの、『大多慶の魔術師』と言われた、あの日向さんなんですかあ!」
 え… そうなの… てか、先生、そんなにゴルフお好きなんですか…
「小林さんとは、ロンドン留学していた頃のゴルフ仲間だったんですよ、あの人が東京三葉銀行のロンドン支店長で、当時大変お世話になったんです。ああ、そう言えばあの頃言ってたわ、凄いアマゴルファーが友人だって… あれが日向さんだったんだ、そうかそうか…」
 よく見ると、先生の机の卓上カレンダーは海外の有名なゴルフ場の写真だ。
「これは是非、私にお任せください日向さん! そして完璧に治しますから、私にゴルフをご教授願いますよ、お願いします」
 あらビックリ。日本の名医が源さんに頭を垂れる図。源さんもすっかり緊張と不安が解け、
「ワシでよければ。いつでも大多慶にいらしてくださいよ、先生」
「そうですか。ではいつにしますかな。私、3月は学会があって、4月のこの週なら…」
 … 小林社長と同類だ。出来る人間は、計画が早く行動も早い。己より優秀な相手に頭を下げることを全く厭わない。必要ならば己のプライドを簡単に着脱してみせる。
 今日は思わぬ形で、ビジネスの勉強になったわ。サンキュ、源さん。

「と言うことで、入院は来週の月曜日、手術は火曜日、様子見て水曜か木曜に退院。だそうです。手術も全身麻酔ですが、至って簡単な術式だそうです」
「早っ そんな急に言われてもねえ、私も仕事あるんだし…」
「でも、早く治せば源さん早く仕事にも復帰出来ますし。善は急げ、ですよ美加さん」
「うふ。そうね、善は急げ、よね、ゆーちゃん。うん、わかった。社長に私から言っておくわ」
 ゆーちゃんって…

「それと、大体幾らくらいかかるって?」
「概算で、十万円程度だそうです」
「十マンかあ… 厳しー」
「あの、もしよければ、俺が立て替え…」
「バーカ。娘の面倒見てもらってんのに父親の面倒まで見させられるかっつーの。みなみにゴルフセット買ってあげたの、ゆーちゃんでしょ。」
「ええ、まあ…」
「ありがと。ホント優しい。こんな人、私の周りにいなかったよ…」
 声がメチャ色っぽくなり、胸がドキドキしてくる…

「もし、どうしても困った時は、お願いするね、ゆーちゃん。それよりね、お金のことよりね、その手術の日、立ち会って欲しいな、私一人じゃ心配で心配で…」
 ゴクリと唾を飲み込む。
「でもゆーちゃんが一緒にいてくれたら、美加頑張れるかも…」
 鼻呼吸しか出来なくなる。どうした俺? どうしてこうなる?
「ダメ、かな?」
 GODIVAのチョコより甘い声に、自然と首が縦に振られる…
「やった! 嬉しいな、手術の間は二人っきりだね、ゆーty… っ痛っテーなコラ、何すんだみなみ!」
 …… 家庭内暴力が発生したらしい。直ちに現場に向かわねば…

「ったく。じーちゃん、信じられる? この人、ゆーだいさんの事、メチャ誘惑してんだよ! 何考えてんだよ、クソババア!」
 いや、みなみちゃん… 間違ってもババアには見えないぞ。寧ろ…
「バーカ。冗談に決まってんでしょ。今までアンタの大事なもの、取ったことある?」
「「有る」」
 父親と娘がハモる。ええ? 何取っちゃたの、美加さん… まさかみなみちゃんの彼氏を?
「昨日の夜。アタシのアイス、食べられた!」
「ワシの酒、飲まれた」
 それ、ダメでしょ美加さん…

 併しながら、美加さんのテヘペロに心乱れる俺って…
「アンタからもゆーちゃんによーくお礼言いなさいよ。来週も付き添ってくれるんだから」
「ハアー、なんでこーなるかなあ… 大丈夫? ゆーだいさん…」
「全然。これ、社長命令でもあるからさ。それに俺も早く源さんとラウンドして貰いたいし」
「あは。じゃあさ、じーちゃん復帰第一線はさ、アタシと、じーちゃんと、ゆーだいさんと、良太さんで回ろーよ」
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 俺と源さんは目を合わせてニヤリと笑う。今日から俺と源さんは、戦友となった。
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