第3章 第6話

文字数 3,943文字

 勿論、プロの試合を生で見たことはない。プロのプレーを間近で見るのも初めてである。

 開いた口が塞がらない、なんて言う表現では飽きたらない。それ程彼らのプレーは初心者の俺にとって青天の霹靂なのである。

 まず、スイングの音が全然違う。俺やリューさんのが「ビュッ」なのに対し、彼らのは「ビュンンンンー」である。まるでその音がそばで見ている俺を殴りつけるかの様な音色なのだ。

 アドレスに入った瞬間の表情。今回は半分遊びみたいなラウンドにも関わらず、彼らはアドレスに入るや否や、目の色が変わり獣の目付きとなる。
 20名弱の会員さんのギャラリーを引き連れながらなので、ショットの合間には気さくに会話をしてくれたり、ニコニコ笑っているのだが。アドレスに入るとその表情が一変し、ハンターかスナイパーと化すのだ。

 ショットの精度。トイショーなんて、コンスタントに300ヤード超えのドライバーショットなのに、まあフェアウエーを外さない。二度ほど林に入ったが、完全完璧なリカバリーショットでスコアには全く影響無し。俺には全く信じ難い光景である。

 そしてー俺らアマチュアとの決定的な差がー パッティングである。俺たちアマは5メートルを超えたらまずカップインは考えず、如何にピンに近くまで寄せれるかを考えてしまう。なのに彼らは普通に、狙う。そして何回かに一度は、沈める。
 4〜5メートル以内なら半分は沈める。3メートルなら殆ど沈める。
 その様子はギャラリーの会員諸氏も同感のようで、
「俺、パター替えようかな…」
「この後、ちょっと転がしてこうかな…」
 なんて呟きが漏れる程である。

 だが。何と言っても、一番の最大の想定外の驚きー
 ショット、パットを含めた全てにおいて、みなみちゃんが三人と全く引けを取っていないのである!
 1番は緊張からか力みからか、ドライバーを左に引っ掛けて林に入れてしまい、ボギーを叩いたのだが、2番以降は三人にピッタリと並んでパーをとり続け、5番のパー4、8番のパー5でバーディーパットを捩じ込み、現在1アンダーなのである!
 如何に毎日回っているゴルフ場とは言え、ギャラリーがいるわ、今をときめく男女ツアープロに古の賞金王とラウンドしているわで、スコアが乱れてもおかしくない、いや乱れるのが普通であろう。

 だが側で観る限り、彼女は「勝負」に没頭しているようにしか見えない。これ程集中してラウンドしているみなみちゃんを俺は初めて見るのだ。
「あのデカいねーちゃん、なかなかやるじゃねーか」
「あの僕たちに態度悪い、研修生ね。まさかこんなに凄い子だったとは…」
「まだ高校出たばっかだろ? こりゃ大物だわ。これから応援してやっか」
「あの仏頂面でキャディーやってる子が、まさかこんなに上手なんて… 今度教えてもらおうかしら」

 9番パー4。みなみちゃんは残り4メートルのバーディートライだ。だがカップの上につけてしまい、かなりの下りのパッティングだ。弱く打てば曲がるし、普通に打ったらオーバーしてしまう。
 俺ならパー狙いで弱めに打つだろう、しかし彼女はー
 打った瞬間、トイショーが「ああー」と軽く悲鳴を上げる程、強くタップしたボールは、まるで吸い込まれるようにカップに転がり込んだ!
 ギャラリーの歓声と大きな拍手が9番グリーン上に響き渡る。

 10番ホールに向かう途中。
 この前半、市木プロとの会話が弾んでいた。それこそ互いの素性や現在の状況。市木さんは茨城生まれで高校卒業後に研修生でこの大多慶G Cに入り、プロテストを経てツアープロとして活躍したそうだ。俺が子供の頃に賞金王になり、そのお金で奥さんと結婚し、近所に家を建てたそうだ。
 二人のお嬢さんがいて、こんなど田舎から早く東京に引っ越したいと煩いらしい。歳を聞いたらまだ小学三年生と一年生だとか…おい。
 俺の経歴を話すと、
「そっか、野球で甲子園か! それでそのガタイ。ドライバー飛ばすんだろうねえ」
 最後の笑いは元球児ゴルファーあるある、なのだろうか。

 そんな互いの素性を分かり合った頃。10番ホールへの道すがら、
「あの子、変わったの。君のお陰の様だね」
 そう言って、半分嬉しそうに、半分寂しそうに呟く。
 元キャッチャーな俺は、人の顔色を読むことに長けている。自分の愛弟子の心情の変化に驚きと戸惑いを隠せない師匠なのであろう。
「あの子ね、技術は申し分ないよ。小さい頃から僕と源さんでみっちり仕込んだからね」
「源さん?」
「あの子のお爺さん。この辺りでは知らない人がいない程の、トップアマ。アマチュアで日本選手権で入賞しちゃう位、凄い人。」

 それは… 聞いた事がなかった。みなみちゃんは家族や友人のことは俺に一切話さないから。
「美加ちゃんと、みなみのお母さんね、美加ちゃんの亡くなった旦那はゴルフ一切しなかったから。源さん、みなみのことそれはそれは可愛がっててね。あ、源さんはこの土地の酒造の杜氏やってるの。気難しい職人気質の人なんだ。でも、みなみちゃんにだけは甘くて蕩けてるよ今でも」

 10番パー4のティーグランドが見えてくる。まだ日は十分に高く、冬の始まりの暖かな日差しが嬉しそうに語る市木さんの頬を明るく照らす。
「ゴルフをさ。三歳位から教えてたのよ。小学生になってからは僕も教え始めてさ。とにかく運動神経の良い子で。勉強はあんまり出来なかったけどね。僕や源さんが教える事をさ、一聞いたら五出来ちゃう子だったんだ。でも、ね…」
 市木さんが俯くと帽子のひさで顔が日陰となり表情が見えなくなる。

「あの頃からずっとね、強情で自己中だったんだよ。あ、でもね、この性格は実はトッププロには必須の性格なんだけどね」
 それはまるで、自分がトッププロになれなかったのが性格の為である、と告白しているようにも取れる。
「源さんとおんなじ。その性格は。ただ、その性格が今まであの子に好影響だったとは、言い難いんだ。寧ろあの性格のせいで、随分損をしてきてるんだ。」
「それは、高校時代の事とか、ですか?」
「それもそうだし。でも一番障害だったのがね。あの強情で自己中の裏にあった、『弱さ』だったんだよ。あの子の『弱さ』は、ここぞと言うときに出てしまう。例えばね、さっきのパッティング。下り4メートル、今までのあの子はもっと弱いタッチで打っていたんだ」
「それは… 大オーバーするのを恐れて?」
「と言うよりも。その一つ先の、『返し』を外すことを恐れて。」

 返しとは、カップをオーバーし、反対側から再度打つ事。
 即ちこれまでのみなみちゃんは、今目の前にある失敗ではなくその先の失敗を恐れていたと言うのだろうか?
「そんな奴。そんな臆病なヤツ、絶対プロになれない。目の前の失敗に向き合うどころか、その先を心配し恐れて目の前のプレーに弱気になってしまう様では。これって、野球もそうなんじゃない?」
 確かに。パスボールを恐れて低めのボールやフォークボールのサインを出せないのと一緒かも知れない。それでは強打者を抑えることは不可能だ。
「でも。突然あの子は、変わった。」
 本当に寂しそうに、市木さんが呟きながら俺が手渡すドライバーを握りしめティーグランドに登っていく。

 10番ホールをパーキープした市木さんがパターを俺に渡しながら、
「なんでも。みなみに、弱さを乗り越えた強さを持て、って言ったんだってね?」
「ああ。あの子、弱さを必死で隠して強がっていたじゃないですか。ですので、それは本当の強さではない、本当の強さとは自分の弱さを認めることだよ、って。言いました、先週かな」
 ほーーー、と市木さんが感心した様に、
「宮崎くんって、その若さで、よく…」
「ああ。これは大学の野球部の監督に年がら年中言われてたんです。俺も二年の時に肩やっちゃって選手降ろされた時にちょっと荒れてて。肩を痛めて野球が出来ないという事実と向き合える強さを持ちなさい、って何度も言われて。」

 俺はまだ暮れそうもない柔らかな太陽に顔を向け、
「弱さと向き合う。弱さを認識する。そして弱さと共に生きていく。それが出来るようになったら、あまり動揺したりテンパらなくなりましたね、実際。」
 先週の陽菜の求婚には正直頭真っ白になったが。

「それだよ!」
 急に市木さんが大声を張り上げるものだから、パット名手のまゆゆんがショートパットを見事に外しちゃった。あーあ。
「酷―い、市木さあーん。まゆ、外しちゃったよおー」
 ギャラリーの半分が市木さんに罵声を浴びせる。何なら落ちていた木の枝を投げつける。
「ごめーん、ごめん! 今夜奢るから許してえー」
「えー、特上カルビですかあ?」
 流石、ギャラリー慣れしたツアープロ。不穏な空気を瞬間浄化してしまう。いや別に不穏でもなかったか…

 咳払いをしてから市木さんは、殊更小声で、
「それだよ、あの子に必要だったことは。失敗しても向き合える勇気。その勇気を持てる強さ。9番のパットは、まさにそれだったよね?」
 俺は深く頷く。俺には絶対打てないな、なんて思いながら。
「今のあの子なら、間違いなく一発合格出来る。僕は今日のこのラウンドでそれを確信した。それはあの子がプロとして、いやトッププロとしてやっていける強さを持ち始めた事がわかったから。」

 11番ホールに歩きながら、
「宮崎君。本当に、ありがとう」
 一瞬立ち止まり、俺に軽く頭を下げる。
「本当は僕がそこまでしてやりたかったけど… 出来なかったんだ。どうしても…」
 市木さんはゆっくりと歩き出し、半分落葉した広葉樹を見上げる。
「暫くの間。みなみの事、よろしくお願いします。」
 また立ち止まり、さっきより深目に頭を下げる。

 その姿に何事かとギャラリーは首を傾げる。
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