第5章 第4話

文字数 3,899文字

「明けましておめでとうございます、今年も、いやこれからもよろしくね、雄大君」
 小林社長は既に赤ら顔で上機嫌である。

 正月、俺とみなみは広尾の小林家に呼ばれ、新年を祝うことになった。昼過ぎにお邪魔すると、宴の支度はすっかり出来上がっており、持参したお年賀を奥様に渡し、大多慶G Cの7番グリーンほどもあるリビングで歓談している。

 リューさんも既に真っ赤な顔で、
「さー、今日は飲めよお、ゆーだい。運転はみなみちゃんに任せてさあ」
 年末、みなみが普通自動車運転教習生活を無事卒業し、晴れてドライバーとなったのだ。
 ドライバー…
 みなみちゃんは、どうしているだろう…

 あれから何度連絡しても、返事が返ってこない。ほぼ既読スルー状態である。
 理由はわかっている。
 俺が陽菜との婚約を話したからだろう。
 非常に真面目な子なので、彼女持ちならギリだが、婚約者持ちの男性とはこれ以上接しない事にしたに違いない。
 ドライバー… 調子はどうなのだろう。アイアンは? 三月の予選会に向けて、調子は?

「おい、ゆーだい。初打ちはいつにするよ? パパも一緒に行こーよ」
 キッチンから陽菜が出てきて、
「もー。あんまゆーだいくん誘わないでよ、お兄。式の事とかいっぱい決める事あるんだからー」
 膨れっ面ながら、嬉しそうに陽菜がリューさんを窘める。

 年末。陽菜や両親、みなみと話し合い、今年の秋頃、コロナ禍が落ち着くであろう頃、俺と陽菜は式をあげる事に決まった。
 陽菜は(みなみもだが)今年大学四年生、学生結婚となってしまうのだが、
「どーせ学校行かないし。全部リモートだし。それなら奥さんしながらでもいいよね?」
 リモート授業の合間が夫婦生活なのかよ…

 まあ、これも人生なのかも知れない、なんて変な諦めに苦笑いしながら、俺は陽菜の話に同意した。
 新居は小林家が用意してくれた代官山のマンションと決まる。資産運用で賃貸に出していたのだが、入居者が四月から葉山に戸建てに住む事にしたらしく、内装工事を入れて秋には入居できるようにしてくれると言う。
「絶対、遊びに行くからねお兄ちゃん! うわ、夢の代官山ライフだよー」
 珍しくみなみが興奮している。兄と幼馴染みが暮らし始めるのが嬉しくて堪らない様子だ。

 それにしても、陽菜は本当に変わった。
 髪は地毛に戻し、服装もフツーに、そして口調もフツーに戻って久しい。その変化を一番喜んでいるのが小林社長夫妻だ。

「雄大君は琉生だけでなく、陽菜も変えてくれた。なんてお礼を言えばいいか…」
 うわ… 社長が涙ぐんでる… I T業界でその冷静沈着さで一目置かれている、あの小林社長が…
「ホント。ウチには勿体ないくらいよね、陽菜ちゃんのこと、よろしく頼んだわ」
I  T業界では美魔女として名を馳せている細君が蕩けるような表情で言う。うん。魔女だ。
「それにしても… りゅうちゃんは雄大君くらいしっかりして欲しいわ。もう三十なんだし。そろそろ自立して欲しいわあ。そうそう、高橋さんのところの美奈ちゃん、今年大学卒業なのよ、ちょっと一度会ってみなさいよ」
 はははは…あのリューさんの顔。ウケる。ウケ…

 みなみちゃん、どうしているだろう…
 俺は頭を振る。
 婚約者の家で他の女子のことを考えるなんて…
 席を立ち、小林家の庭に出てスマホを開く。メッセージは無い。
 青く晴れ上がった空を見上げる。雲一つない、新年に相応しい快晴だ。この空をみなみちゃんも大多慶で見上げているだろうか。
 それとも予選会に向けて正月から練習しているのだろうか。

 会いたい。会って話したい。会って励ましたい。会って応援したい。
 これからも俺の出来ることをしてやりたい。ずっとそばで見守っていたい。
 そして、
 またあの夜景を、一緒に眺めたい…
「おーいゆーだい、こっち居てくれよお、ママがうるせーんだよお、助けてくれよおー」
 軽く溜息を吐く。まずはこっちを助け、応援すっかな。

 今年の打ち初めは三日と決まり、俺、リューさん、小林社長の三人で回る事になる。
 二日の日。みなみを連れて練習場でドライバーを握る。一ヶ月間、みなみちゃんが使った、俺の425。そう思うとつい力が入り、球はスライス回転で右に大きく曲がっていく。
 明日、みなみちゃんに会えるだろうか。年末行った時には顔を見ることも叶わなかったが。
「お兄ちゃん、どうしたのボーッとして」
 みなみが不審げな顔で後ろから声を掛ける。俺は苦笑いしながら、
「曲がりが止まらねえんだわ。明日どーなることやら…」
 みなみは首を傾げ、ふーん、そうなんだ、と呟く。生まれてからずっと俺の妹をやってきたみなみには、俺の心情が手にとるように分かるのかもしれない。こいつに変な心配させたくない、そう思い目の前のボールに集中する。
 力を抜け。音を消せ。
 無心で打った一打は、真っ直ぐ飛んで行き、250ヤードの看板を超えてネットに突き刺さる。

 この二日間、いや大晦日から三日間、この二人は飲み続けたのだろう、車の中は妙に酒臭い。それにしてもリューさんはまゆゆんとどうなったのだろう、聞いてみたいが流石に社長であり父である人の前では聞くことが出来ないので、市原鶴舞I Cを降りてすぐのコンビニで買い物をした時に、
「で? まゆゆんとは、あれから?」
 リューさんは苦笑いしながら、
「まあ、その、なんだ、アレだわ。てへ」
 … よく分からん。小林夫妻を心配させるような事にならなければいいのだが。

「あの後の話はしたよなあ、朝まで二人爆睡して、起きてから昼飯に中華街行って、車呼んで家まで送ってってー あれからまだ会ってないわー 今月は何だか忙しくて会えないみたい〜 ねーねー、ゆーだいー、どーしよー」
 知るか。勝手に弄ばれて、死ね。
 やはりこの人と長く付き合える地球の女性はいないのではないだろうか、と言う確信にも似た答えを告げるのは流石に可哀想なので、肩を二回ポンポンと叩き、
「さ。大多慶行こうぜ」
 リューさんは不満げな表情で俺の後をテクテクついてくる。

「ちょっと、ゆーちゃん、ちょっと…」
 マスター室長の串間さんが俺をそっと呼ぶ。
「あのね、みなみちゃんが来てないの。仕事サボってるの。何か知らない?」
 持っていたグローブを下に落としてしまう… 何だって? 出てきていない?
「年末から様子が変でね、ちょっとみんなで心配してたのよ。年明けは今日が初出勤なんだけど、さっきお母さんから電話あって、具合悪くて来れないって…」
 いつもの語尾の「いひ」が無いほど真剣な口調だ。
「ゆーちゃんと、年末なんかあったのかなって。ねえ、誰にも言わないから教えてくれない?」

 俺は落ちたグローブを拾い上げ、
「クリスマスの夜、俺が彼女と婚約したこと、話したんですよ。」
 串間さんがハッとした顔になる。
「それから俺もみなみちゃんと連絡取れなくって。全部既読スルーされて。」
「そう… だったの… そっか、あの娘…」
 串間さんは曇り空を見上げ、白い息を大きく吐いた後、
「今日ね、ラウンド終わったら、あの子の家に行ってみてくれないかしら。様子を見てきて欲しいの。ね、お願い…」
「そんな… 俺が行っても…」
「貴方じゃなきゃ、ダメだと思う」
 キッパリとした口調で告げられる。
「大丈夫。貴方が行けば、何とかなると思う。それに、あの子のおじいちゃんの源さんと小林社長、昔馴染みじゃない、ちょっと行ってくれないかしら…」
 串間さんの目がこんなに鋭いのを初めてみる。それはまるで、
(アンタのせいでみなみちゃんがこうなったのよ。ちゃんと責任取りなさい)
 と言われているようで、胸が苦しくなる。そして更に、俺が婚約を告げたせいでみなみちゃんが引きこもってしまったのならー俺はみなみちゃんにとんでもないことをした事になる。

 予選会まであと三ヶ月。仕事も練習もせず、家に引き篭ってしまった。
 間違いなく。これは俺の責任だ。俺が何とかしなくてはならない。
「わかりました。ラウンド終えたら、社長に話して、彼女の実家に行ってきます」
 串間さんは俺の手を握り、
「お願いよ、ゆーちゃん。あの子、あとちょっとなの。あとちょっとで、あの子は自分の足で歩けるようになるの。お願い、助けてあげて!」
 俺は深く頷き、小林社長の元に歩き出した。

「まさか源さんと会える事になるとは。感謝します、雄大君。実に20年ぶりですよ、お元気でいらっしゃるかなあ」
 簡単に事情を話すと、社長は快諾してくれた。
今年初のラウンドを終え、因みにスコアは99。ギリの100切りに胸を撫で下ろす。三人で風呂に浸かり、渋るリューさんを宥めすかして脅し、みなみちゃんの実家に車を向ける。
 大多慶G Cからは車で10分ほどの山の中腹、緑に囲まれた古い日本家屋が見えてくる。クリスマスの夜遅くに送った時は真っ暗だったので、へえ、こんな感じだったんだと初めて来た気分になる。

「いちいち会いに行かなくたって。ゴルフ場で会えばいーじゃん。あーめんどくさ」
「源さんは身体を悪くされて、最近はクラブを握ってないそうだ。因みに、源さんの作った日本酒は本当に美味しいんだぞ、琉生」
「マジ? ポン酒かあ、俺あんま飲まないんだよなあ、なんか甘ったるくてさあ」

 リューさんがブツブツ言っている間に、みなみちゃんの実家に到着する。串間さんが連絡しておいてくれたので、俺たちの来訪は伝わっている筈。
 俺は久しぶりに緊張する。もし、みなみちゃんが俺と会うのを拒んだら… それは近い将来の日本女子ゴルフ界の大きな損失になるかもしれない…

 俺は震える指で呼び鈴を鳴らす。
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