第5章 第6話

文字数 2,638文字

「でも、また源さんと一緒にラウンドしたいなあ」
 小林社長がしみじみと呟く。地元でも有名なアマゴルファーだったらしい、みなみちゃんのおじいさん。一体どんなスイングでどんなプレーをするのか、俺も大変興味深い。それにーみなみちゃんのゴルフの師でもあるのだし。

 源さんは右膝をポンと叩き、
「なあ。コイツさえ、良くなってくれりゃあ、みなみともさ、一緒に回れるんだがなあ」
「ねえ源さん。僕の知り合いにね、膝専門のスポーツドクターがいるんですよ。一度診てもらいません? そうしましょう、いつにしますか? 来週は空いてますか?」
 仕事が出来る人は他人を巻き込むのが上手い。社長レベルになると、達人の域である。躊躇する源さんを宥めすかし、その専門医に直電しあっさり予約を取り、来週の水曜日に何故か俺が源さんを送り迎えする事になる。

「良かったわねえおじいちゃん。これでまたゴルフ出来るじゃない」
「そんなの、診てもらわねえと、わからねえや」
 と言いながらも、源さんは嬉しそうな顔を隠せない。
 当然、みなみちゃんも、
「マジ? じーちゃん、またゴルフ出来んの? マジで?」
 源さんはニヤリとし、
「あれ。お前、大多慶、辞めたんじゃ、ねーのか? 今日サボったってな。ゴルフ、やめたのかと、思ったわ」
 みなみちゃんは一瞬俺をチラッと見て、
「や、やめてねーし。きょ、今日は、アレだ、あれ、生理だったか…… ゲッ」
 すかさずお母さんの張り手がみなみちゃんの短髪の後頭部にヒットし、大爆笑となる。
「アンタ! 男の人の前でなんてことを… ゆーだいくーん、今のは忘れて頂戴。いい?」
 とウインクされる。

 いや、ホントにみなみちゃんのお母さん、ヤバい。
 俺に何の柵もなければ、本当にのめり込んでしまいそうな愛嬌、美しさ、妖艶さだ。小林社長もさっきから目をキラキラさせているし。

 トイレを借り、手を洗っていると、そのお母さんがスッと俺の横にやってくる。洗面所の鏡の中のお母さんが俺をじっと見つめ、
「ゆーだいくん。ゆーだいくんって…」
 鏡越しの視線ながら、俺は一気に緊張し、耳まで真っ赤になっている。まさかーさっき言ってた、お酒を飲みに来い、の具体的な相談なのでは…
「みなみのこと、どう思っているの?」

 そっちか。よく見ると、母親の顔で俺を真剣に見ている。人の表情は直接見るより鏡越しで見た方が本性を分かり易い、と何かのネット記事で見たことを思い出す。俺は包み隠さず、本音を言うことにする。

「好きです。でも、僕にはこの秋に結婚する婚約者がいます。」

 鏡に映るお母さんは軽く頷く。目の鋭さは直接見るよりもキレがある気がする。
「ですので。僕はこれからは、女子としてではなく、一人のプロゴルファーの卵として彼女を応援し助けていきたいと思っています。」
 二度、頷いてくれる。

「ただ… みなみちゃんがそれを迷惑に思うなら、遠くから見守ろうと思っています」
「それって、もう合わないってこと?」
「もし、彼女がそれを望むなら」
 お母さんはニヤリと笑い、俺の頭を叩く。妙に心地良い。
「うちの子は、そんなヤワじゃねーよ。惚れたオトコが婿に行くからもう会いたくない、なんて泣き言言う筈ねーよ」
「…ですか、ね?」
 
 頷きながら、表情が変わる。優しい母親の顔になり、
「だからね。みなみのこと、支えてやってくれないかな… もちろんできる範囲で良いから。あの子ね、秋からすっごく変わったんだ。自立したっていうか、本気で打ち込むものを見つけたっていうか。それまではね、あの子本気でプロを目指してなかったんだよ」
「そんな事はないと…」
「本人はそうだったかも知れないけど。側から見たら、単なる逃げにしか見えなかったの。大学にも行けず、まともに就職も出来ず。仕方ないからゴルフでもやるか、って気持ちがありありと見えてたの。だからこのままじゃとてもプロになんかなれないと思ってたわ」
「そ、そうなんですか?」
「それが。この秋。多分、あなたとみなみが出会った頃? から、ガラッと変わったわ。あの子、本気でプロになるって決めたみたい。それはね、お金のためかも知れないし、人に負けたくないからかも知れない。でも、私は違うと思う」
「… それは?」
「うん。それはね、貴方が側にいるから、だと思う。」
「えっ…?」
「あなたに見て欲しいから。あなたに見守って欲しいから。あなたの喜ぶ顔が見たいから。あなたの笑顔が見たいから」
 ま、まさか。そんな…

「あの子は根っからゴルフが好き。大好きなおじいちゃんと大好きな良太ちゃんに教わったから。その大好きなゴルフで生きていく様を大切に見守って欲しい、それがあの子の願い。そして、それを叶えてくれるのはこの世で、」
 鏡の中のお母さんが人差し指を俺に向けて、
「貴方だけ」
 鏡の中の俺が、硬直し動けなくなっているー

 みなみちゃんが今夜、寮に戻る事になって自分の部屋でその支度をしている。俺はそれをボーッと眺めている。
「今日は弟さん達、いないんだ?」
「そ。大次郎は友達と初詣、源次郎は受験勉強で友達と塾行ってるわ」
「そっか。いつか会ってみたいな。下の弟が野球やってんだよね?」
「そ。いつか教えてやって。ヘッタクソだから」

 未だ会ったことのない二人の弟に想いを馳せていると、
「まったく。突然来るからビビったよ。で、今日はどうだったん?」
「99。なんとか100は切れたわ」
「ほーん。じゃあ、年内にシングルなー」
「いやそれは… 難しいなあ」
「そっか、ケッコンの準備が忙しいからかあー」
「… まあ、それもあるかも」
 カバンに大体の荷物を詰め込み終えたようだ。

「一つ、聞いてもいい?」
 俺は軽く頷く。
「ケッコンしても、」
 みなみちゃんは俯きながらそっと呟く。
「ゆーだいさんの事、好きでいて、いい?」
 俺は洗面所でのお母さんとの話を思い返す。
(でも、俺、この先どうすれば…)
(えー、フツーに二股とか(笑)それはキミにはムリそうね(笑))
(お母さん…真剣に! 俺はどうすれば?)
(これまで通りに。一緒にゴルフして、食事して。試合があれば観に行って。それも、無理かしら?)
(いえ、それなら十分可能です)
(なら、そうして)
(わかりました)
(それとあと一つ)
(はいっ)
(お母さん、じゃなくて、美加って呼んで)
(はい?)

 俺は一人吹き出す。みなみちゃんのお母さんは最高だ。じゃなくて。美加さんはサイコーだ。
「いい、と思う。」

 みなみちゃんは懐かしい満面の笑みで大きく頷く。
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