第2章 第7話

文字数 2,587文字

 …… 何怒ってんのコイツ。

 普通、喜ぶとこだろう、其処は。なのにムッとして口きかなくなるし。ま、黙々と肉焼いてくれるのは素直に嬉しいのだが。
 いやいやいや。絶対、普通に綺麗だってこの子。坊主頭なのに不思議に可愛く見える。怒りで耳まで真っ赤になってる怒り顔は更に可愛く思うぞ。
 
 まあ、ウチのみなみには遠く及ばないがな。スマホの待受のみなみを見ながらハーっと溜息をつく。あ。そー言えば、
「てか。スマホ持ってないのか?」
 表情が顔からスッと消える。感情が顔から消去される。
「ウチら、ビンボー人はスマホなんて持てないっす」
 それだけ言うと、焼けた上タンを無言で食べ始めた。

 貧乏。
 正直、俺の周囲に金に困っている友人や家庭環境が無かったせいで、イマイチピンと来ない。小学校から私立だったのでクラスメートの親は皆金持ち。リューさんとこみたく会社社長なんてザラ。なので、中学の時にはスマホを持っていないクラスメートは一人もいなかった。
 私服なんて、自分で買わなくてもシーズン毎に親がアホほど買ってくるのを適当に合わせていたなあ。野球部だった俺は殆ど着る用事も無かったのだが。
 卒業後、入社した今の会社の年収は600万円ちょい。それも実家から通っているので貯金残高は貯まる一方。
 夏にゴルフ始めたついでに車を購入したが、キャッシュ払い。貯金大分減ってしまったが。
 
 そしてー
 今、目の前にある真実にモノが言えない状態の俺である。
 目の前の少女はスマホを購入、維持できないと言う。
 外に来て行く服を買う金がないと言う。
 プロを目指しているのに、使用しているクラブは明らかに誰かのお古である。

 目の前の現実―
 経験、体験したことのない残酷な真実を前に俺は、彼女の肉を焼く動作をずっと見つめることしかできなかったー

 暫くして、俺の様子に気を遣ってくれ、
「あー、まあスマホなくてもそんな不便じゃねーし。それより、ほら、こっち焼けてるよ」
 トングで俺の皿に上手に焼いたタンを置いてくれる。
「でもさ。ゆーだいさんとかチャラ男とは、住む世界チゲーって思うよ。だってさ、今コロナで世の中大変じゃん。アタシの親友の子、四月から専門行ってんだけど、授業はみんなリモートでさ、友達も出来なくて半分病んじゃってるよ。そーかと思うと、ゆーだいさんの彼女さんとか妹さん、大学生なのにオシャレしてゴルフして。」

 みなみちゃんが呟くように吐き捨てる。俺らが考えたこともない、いや知ろうともしなかった現実世界を突きつけられた気がした。
「幸いさ、ゴルフ関係はコロナ禍で儲かってる方なんだってね。でもさ、アタシの周りにはそうじゃない人たちの方が多い気がする。高校の同級生の子達、ファッション関係に進んだ子はクビになったり自分から辞めたり散々だってさ。旅行関係に行った子達も同じだって。なんだかさ、このコロナ禍って社会のクラス分けテストみたいじゃね、って親友と話したんだ。アタシはD組かな。親友はE組だって。」

 上ハラミがやって来る。同時に特盛ライスも…
「モチロン、ゆーだいさんやチャラ男はA組。今、外車乗り回してゴルフやって、キレーな彼女とデートしてる人達。なんか雲の上の存在だよねーって、目の前にいるんすけど。ウケるー」
 瞬く間にライスが半分に減る。今俺に食欲は全く、無い。
「でも逆にね。A組とかB組の人達が今いっぱいお金使ってくれると、ウチら底辺組は少しは潤うんだよねって。だから彼らを羨むのは仕方ねーけど、恨むのは自分の首絞めることになっちまうなーって。だから、さ、」
 上ハラミが網上から消え去り、上カルビの出番となる。
「毎週、欠かさずゴルフしに来てね」
 
 思わず軽く吹き出す。そして、俯く。
 本当は顔も見たくないんだろうな。
 新車を乗り回し、偉そうに焼肉なんか馳走し。
 封筒に入れた万札を受け取ったこの子はどんな気分だったのか、今よく理解できた気がする。
其れでもー生活の為。こんな俺みたいなのと一緒にラウンドし一緒に食事をせねばならないー

 会計を済ませ、外に出るとみなみちゃんが一人星空を見上げている。俺も空を見上げてみる。東京では決してみることの出来ない星々の瞬き。千万の古より届いた小さな光りのイルミネーションにしばし時を忘れる。
 その星灯りにぼんやりと照らされた後ろ姿に、
「みなみちゃん。正直に言って欲しい」
 彼女が静かに振り返る。
「こんな事…したくないよな? 俺、無理言ってたよな? これでお終いにしようか?」
 … なんか別れ話を切り出してる感が凄いのだが。当の彼女もポカンとした顔で、
「へ? どーして?」
「さっき言ってたろ? A組とかE組とかって。本当は… その…」
「あー、はいはい」
 みなみちゃんは俺の車に向かって歩き出す。
「美香と話した時はさ。正直A組ムカつくーとか思ってたし、実際アンタの顔とか思い浮かんで今度会った時は後ろから打ち込んでやる!とか思ったかも」
 何故か運転席のドアにもたれながら、

「でもさ。クラス替えって、ある訳じゃん」

 暗がりで目が光るのを感じる。
「選考会勝ち残って、プロになって。そんで勝ちまくれば、こんくらいの車、アタシでも乗れる訳じゃん」
 闇の中で白い歯がぼんやりと浮かび上がる。
「来年の今頃。この車、買ってやる。そんで、ゆーだいさんに焼肉奢ってやる!」

 まさか。こんな年下のガサツな女子に、感動させられるとは。そう今俺は、猛烈に感動している。努力を惜しまず己の社会的階層を上げてみせる、と宣言するこの十代の女子に感動している。
これまで俺の周りにこんな女子は一人もいなかった。這い上がってやる、なんて発想を持った女子に会ったことが無かった。
 努力を惜しまない女子は主に体育会に多数存在していた。だがー 今いる環境を抜け出し少しでも上の世界へ飛び込んでやる、と宣言した子は一人もいなかった。

「だから。ゆーだいさんは気にしなくっていいって。それより、さっきも言ったけど、お金落としていってよ、アタシがそっちに行くまでの間。そしたら、アタシも周りも少しは潤うからさ」
 物凄く抱きしめたい衝動にかられた。のだが、それは犯罪である。ので、スッと手を差し伸べる。
 みなみちゃんは首を傾げつつも差し出した右手を強く握り返してくれる。その温もりがだいぶ冷えてきた秋の夜風を忘れさせてくれる。
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