第4章 第7話

文字数 3,194文字

「ゆーだいさん、あったよおー 木の根元だわー アンプレだねー」

 流石みなみちゃん、あっさり林に入った俺の第一打を見つけてくれる。

 それにしても、酷い。確かにこの一ヶ月間、究極的に仕事が忙しく、ゴルフの練習は殆ど出来なかった。それにしてももう少し真面に回れる、打てると思ったのだが。
 特にみなみちゃんに貸していたドライバーショットが全くダメだ。さっきから真面に当たる事はなく必ず林かO Bだ。

 よし、明日からはドライバー主体の練習だ。そう決意し、木の根元の球を拾おうと…
 同時にみなみちゃんが屈んでくる。
 肩と肩が触れる。真横に顔がある。みなみちゃんの爽やかな匂いが鼻腔に入ってくる。
 時間が止まる。あれ、なんだろう、この懐かしさ…この愛おしさ…
 ボールに手を伸ばす、みなみちゃんの手も伸びてくる。
 無意識のうちに、その手を握ってしまう。みなみちゃんはビクッと肩を震わす、が、俺に握られた手はそのままだ。
 
 静謐に包まれた林の中で、二人。
 顔を少しだけみなみちゃんの方に向ける。耳まで真っ赤になった彼女の横顔に愛おしさが湧いてやまない。
 
 そのまま目を閉じてみる。
 鳥の鳴き声ひとつ聞こえてこない。風もなく、木に残る枯葉の擦れる音さえ聞こえない。ただ木漏れ日が差し込む辺りの地面の、なんとも言い難い温もりが立ち上がる音が耳に届く。
 それと。彼女の怯えた様な、それでいて何かに期待するような浅い呼吸が聞こえてくる。
 握った手を更にギュッと握ってみる。触れた肩の重みが増す。浅い吐息が更にハッキリと聞こえてくる。
 
 ゆっくりと目を開く。
 彼女の恥じらう様なつぶらな瞳がすぐそこにある。
 愛おしい。
 抱きしめたい。
 
 そんな欲望が頭を支配する。その欲望に従おうと、ゆっくり握った手を離し彼女の背中に回しかけた時、
「見つかったあー?」
 枯葉を踏む音と共に、リューさんの何かを咎める様な声音が背中から聞こえ、回しかけた手の行方に戸惑う。

 パーパットを狙うリューさんをぼんやりと眺めながら、俺はどうしてこれほどまでにゴルフにのめり込んでいるのかをふと考える。
 初めはこの人の挑発に乗っかった。止まったボールを打つだけなのに、それが満足に出来ない自分に苛立ち、それを容易にこなすリューさんを乗り越えるべくゴルフにのめり込んだ。
 練習を重ねる内に少しずつ打てる様になり、ラウンドを重ねる内に人並みに回れる様になった。

 そしてー
 彼女に出会った。
 彼女のショットに、パッティングに魅了され、気が付くと自分のゴルフではなく彼女のするゴルフ、に嵌まっていた。
 そこまでは実感しており自己認知済みであった。

 だがー
 先程の林の中にて。

 俺はハッキリと気付いた。
 俺は、彼女のするゴルフ以上に、
 彼女自身に魅了されている事に。
 好きだとか、抱いてみたいとか、普通女子に対し抱く感覚ではない。
 それはもっと心の奥底に蠢く欲望、いや願望。この子と一緒にいたい。この子をずっと見ていたい。この子をずっと見守りたい。そして、壊れるほど抱きしめたい。
 離したくない、離れられない。ずっと繋がっていたい。

 25年生きてきた経験上、この感情を『恋』と呼ぶのに吝かでない。ない、のだが。『恋』とは違う気がする。
 この子を好きだ、と言うのとは違う気がする。
 ではその感情をなんと呼ぶ?
 女子に対してこんな感情を持った事のない俺は、クリスマスの聖なる日差しを全身に受けつつ、一人身を焦がす。
 その問いを求めるべく彼女を見る。彼女が見返しニッコリと微笑む。

 ああ… また愛しさで胸も頭もいっぱいに充たされる…

 これ程時が経つのが早いラウンドは初めてだ。気が付くと最終ホールを終え、クラブハウスに向かっている。
 嘗てない程ご機嫌のリューさんは、
「マジ楽しかったあ、チョー楽しかったあー、まゆゆんサイコー、ウエーい」
 などとはしゃぎまくっていて気持ち悪いし気味悪い。

 俺は今日はスコアが全く気にならず、クリスマスなのに除夜の鐘を聞いても(108叩いても)あまり気にならなかった。
 俺とリューさんはシャワーを浴び、広々とした風呂にゆっくり浸かる。
「ゆーだい、サンキューなー。まさかマジでまゆゆんとラウンドできるとは思わなかったわ〜、仕事メチャ頑張ってよかったー」
「だろ。ちゃんとご褒美あったろ?」
「うん。ゆーだい、マジ神! 来年も頑張ろーな」
 ハーと小さく溜息を吐く。きっと俺は定年までこの人の尻を引っ叩き蹴っ飛ばす人生なのかも知れないな。

「そーれーよーりー 今夜、俺、まゆゆんと消えちゃうからさー 応援、ヨロヨロなー」
 嬉しそうにいやらしそうにリューさんがほざく。
「あのねー。あの、まゆゆんがリューさん如きに靡くわけねーだろ?」
「えーー、そんなー、でも、そっかなあー 結構ラウンド中、いい感じになったんだけどなあー」
「あの、まゆゆんだぞ。30前のホワイトアスパラガスみてえなオッサンに、振り向くわけねーだろ。ま、遊びでちょいと付き合ってくれる、かもだけど」
「えーー、遊びじゃいやだあ、ちゃんとお付き合いしてえよおー ゆーだい、助けてよお、なんとか手伝ってよおー」

 あああ… 俺はこの人のコレに、どれ程悩まされてきた事だろう。勉強、合コン、仕事…
 社長お墨付きの俺のサポートのお陰で、この人はこれまで留年した事はなかったし、気になる女子との接近率は80%以上。仕事に至ってはかくの如きである。
 でもなあ、流石にあのまゆゆんは無理だろうなあ…

「この後さあ、川崎でチョー焼肉パーティーしよーぜー、まゆゆん空いてるってえー」
 へー。空いてんだ。意外。
「いやそれ、二人で行けよ」
「ムリー、ゆーだい一緒に、頼むよおー」
「俺はみなみちゃんと二人でいつものとこ行くから。」
「ええー、いーじゃん、四人で一緒に行こうよおー そんでさ、その後、横浜にホテル取ってあんだわー、部屋でシャンパン飲んでさー、ゲームしてさー、」

 はーー いつの間にそんな手筈を… その段取り、仕事でも活かせやコラ!
「そんでー、俺が合図したらあー、みなみちゃん送って帰ってくんね? これで、朝までまゆゆんと〜 うわー、マジキンチョー」
 はいはい。勝手に夢見てなさい。どうせ
「あ、じゃあ私も帰りまーす」
 ってパターンじゃね?

 聖夜の結末を残酷に思い浮かべる俺は、
「まあ、いーけど。ただし、条件。」
 リューさんはお湯で顔を洗いながら
「なーに?」
「この事、陽菜には言わない事。リューさん、なんでもペラペラ陽菜に話しちゃうから。もしそれが出来ないなら、俺らは今夜は別々。わかった?」
 リューさんはドヤ顔で、
「あったりまえっしょー。オトコとオトコの約束? 陽菜には内緒にしとくからー、頼むぜ、ゆーだいちゃーん」

 五歳年上とは思えないこのはしゃぎっぷりに、溜め息しか出ない。しかし、クリスマスをみなみちゃんと二人っきりで過ごすのはやや意味深で、お互い勘違いしてしまう可能性を鑑みると、四人ではっちゃける方がいいかも知れない。
 風呂から上がると、予約しておいたいつもの高級焼き肉屋にキャンセルの電話を入れ、ついでにみなみちゃんに四人で焼肉の旨、伝える。のんびり女子二人で風呂に浸かっているのか、なかなか既読はつかなかった。

 会計を済ませ、リューさんとラウンジでコーヒーを飲んでいるとようやく既読が付き、
『あのー、まゆの奴がチャラ男狙ってんすけど〜(絵文字)大丈夫っすかねえ(スタンプ)』
 マジか?
『まあなんとかなんじゃないかな。生暖かく見守るとしますか(笑)』
 と送ると、りょーかい、の大きなスタンプが送られてくる。

 なんだかちょっと羨ましいのと嫉ましいので、その旨はリューさんには黙っておこっと。そして、朝まで永眠してもらうために、今夜はメチャ飲ませてやる。

 そう心に誓い、コーヒーを一気に飲み干した。
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