第3章 第2話

文字数 2,795文字

「そのフックラインがさあ、スライスに見えて… って、聞いてる?」

 今日のこの子の様子は明白に変だ。

 いや。今週のこの子、に訂正しよう。

 まず、メールの量がべらぼうに増えた。先週まで一日おきだったのが、今週は一日最低5往復… 昨日なぞ10往復は交わした筈だ。
 それに、昨日のあの一文には度肝を抜かれたー
『早く会いたいデス』

 読んだ瞬間、固まった。これってまさか…

 昼休み中、この一文の真意を考え抜いたのだが、午後になっても理解不能だったので、まあ、何となく、ノリで
『俺も』
 と返したらそれっきり連絡無し。

 俺も数多くの女性とコミュニケーションをとってきたが、この子ほど難解な相手は初めてだ。この一文を普通に考えれば俺に好意有り、なのだろう。だが、俺の返答に以後全く返信が無いと言うことは、別に俺に好意を持っている訳ではなく、俺と『早く会いたい』らしい。
 そう考えると解は唯一つ。先週約束した「スマホ」に、早く会いたいのだろう。

 俺はそう結論付け、ようやく金曜日の午後の仕事に取りかかれた。取り掛かりに時間を要してしまった故、仕事終了は9時を過ぎてしまい、行く筈だった練習にもスマホの手続きにも行けず、仕方なく今日の朝イチで手続きを済ませてきた為、約束の時間に30分ほど遅れてしまった。
 途中で連絡しようかと思ったが、車の流れは早く、これなら車を止めてメールしなくてもいいかって思いゴルフ場に着くと、まさかの彼女が入り口で仁王立ちしているではないか…

 そんなに、スマホが待ち遠しかったのか。それならもっと早く、水曜日辺りに郵送してやればよかったか、と思いきや。スマホを渡してもそれほど喜んでおらず、寧ろ俺が事故ってたのではないか、と心配してくれていたようだ。無事に来てくれて良かった、と嬉しそうに微笑む彼女に、俺はまた理解不能となる…

 何でもスマホにどんなアプリ入れるか徹夜で考えたとかで、寝不足で歩いて回る元気がないとの事なので、カートで回る事になる、しかもキャディーマスターの串間さんの好意でフェアウエーの乗り入れを許可してもらった、これは素直に嬉しい。
 完徹でゴルフなんて俺には不可能だ。まともにボールにクラブを当てる自信が無い。だがこの子は信じられない事に、これまでよりも遥かに凄いスコアでホールアウトしたのだ!
 8アンダー、即ち64で回ったのだ!

 開いた口が塞がらなかった… ドライバーのフェアウエーキープ、100%。グリーン上では3メートル以内は全て沈め、二回チープインを見せてもらった。
 俺もそんなペースに乗っかって、18ホールを上がってみたら、なんと94だった!

 何とも、呆気ないものだった。あれ程100切りを切望していたのだが、こんなにもあっさり簡単に切ってしまうとは。

 スコアカードを写メし、リューさんに送ると即レスでお祝いのスタンプが俺のスマホを埋め尽くす。それを見た時にやっと100切りの実感が湧き、脳天を突き抜ける喜びに身を震わせる。
 ゴルフを始めて四ヶ月。ようやく初心者脱却である。次の目標は80台を出すことだ。
 明日からの練習が待ち遠しい。

 スコアカードを提出し、ロッカーで着替え、クラブを受け取りクラブハウスのエントランスに車を回し、クラブを詰め込む。
 みなみちゃんを待つ間、妹のみなみに100切り報告をしていると陽菜から、
『明日はシーだよ。忘れてないよね』
 100切りの興奮と喜びが一気に冷え込む。俺のこの喜びを共有できないこの子と、どうして俺は付き合っているのだろう。

 目を瞑る。すると蜘蛛の糸に絡め取られた俺の姿がありありと浮かんで来る。
 目を開き、何度も首を振る。
 ふと見ると、坊主頭を隠すかのように帽子を被ったみなみちゃんが、首を傾げ車を覗き込んでいた。

 今日は焼肉じゃなくて、トンカツな気分、との事なので、スマホで調べて町一番のトンカツ屋に車を停める。
 まさか二人前、頼まないよな、と思いきや。
 上ヒレカツ定食と海老フライ定食をオーダーした時は俺の分かと思っちまったわー
 俺は普通に上ロース定食。だがよく考えてみると、焼肉屋よりも遥かにずっとコスパが良いではないか。まさか彼女が気を遣って?
「いや。だってゆーだいさん、初の100切りでしょ? おめでたい時にはトンカツじゃん」
 というこの町のローカルルールに則った模様。

「みなみちゃんはゴルフ始めて100切ったのどれ位かかった?」
「うーん… 覚えて無いけど…」
「え? 覚えてないの?」
「うん。じゃあさ、ゆーだいさん学校のテストで初めて100点とった日、覚えてる?」
 うん、確かに覚えてない。
「うーん、あ! そーだった、そーだった。私、初めてコース出て、96だったわ。覚えてるよ、初めてコースをじーちゃんと良太さんと一緒に回った日のこと」

 俺は箸を落とす… 何この子。やっぱ天才じゃん…
「この辺で開かれたジュニアの大会で、予選落ちって経験無いわー。小5までは優勝しかしたことなかったし」
 … そ、そんな、なんだ…
「中学入ってからは周りが上手くなってきたからあんま勝てなくなってきたっけ。大会にもあんま出なくなったし。そんで、高校は良太さんのススメで大多慶商業入って」
「ゴルフ部、全国レベルだっけ?」
「そ。だけど一年の夏前で辞めて、ゴルフもやめちゃった」

 これまでの断片的な会話で何となく知っていたが。
「部でなんかあったの?」
「夏の全国大会の出場選手の選考会でさ、アタシが代表に入ったんだけど。色々揉めちゃって、代表から降ろされちゃって。そんでアホらしくなって、やめた」
 上ロースを口に咥えながら、
「何を揉めたの?」
 上ヒレと海老を咥えながら、
「要は、ぽっと出の一年生が代表に入ったのが気に食わんと。態度も悪いしマナーも良くない。名門大多慶の代表に相応しくない、って。」
「何それ、上級生が言ったの?」
「そ。最後の夏になる三年生。そん中でも特に、延岡まゆって女が。」

 耳を疑う。延岡まゆって、YouTubeの『まゆちゃんねる』の延岡まゆなのか? 俺のアプローチの師匠である、まゆゆんの事なのか?
「ああ… あれな。観た時吹いたわ。可愛こぶってあのクソ女。マジウケるわ」
 え、そうなの? あの子のアレ、根じゃないの?
「チゲーチゲー。先生や先輩、オトコにはあんなだけど。私ら後輩には鬼だったわ。」
 嘘だろ… まさかまゆゆんが…
「あのクソ女が贔屓してた二年生が調子崩して選考漏れて、代わりに私が代表になったのが全力で気に食わなかったんだわ。そんで私の態度、マナーを捲し立ててさ。あん時はあの女がエースだったから顧問も先輩もまゆがそう言うなら、って流れになってさ。やってらんねーわって。その日のうちに退部届出して。あー、今でも思い出すだけで、血管切れそーだわ」
 
 と言いながら、ライスのお替りを頼むみなみちゃんである。
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