第7章 第7話

文字数 2,540文字

 ゆーだいさんとの電話を終え、そーだ試しに温泉入りに行ってみよう、と思い立つ。バスタオルを抱えて、ホテルの近くの公衆温泉に行ってみる。
 時間が遅いせいか、人はあまりいなくって、ほぼお一人様状態の内湯に浸かってみる。アチい。すぐに飛び出す。露天風呂があるんで、そっちに行ってみる。婆さんが一人入っている。

「あんた、予選会の人かい?」
 そろりと足だけ入れてみる。外が寒いので体が冷えて凍える。
「いい身体してんねえ、さすがプロ目指してるだけあるわにゃあ」
 思い切って肩まで一気に湯に浸かる。あれ、なんか気持ち良い。
「で、明日はいけそうなのかい?」
「まーね。何とかなるっしょ」
 婆さんはニヤリと笑い、
「油断大敵、悪いもんここで洗い流して行きんしゃいな」

 婆さんの教えに従って、アタシにしてはのんびり浸かることにする。露天の空を見上げると、昼間かかっていた雲が晴れ、星空がキレイに見えている。
「ここも、星がキレーだね、婆さん」
「あんたどっから来たん?」
「千葉。大多慶ってとこ。知ってる?」
「知らんなあ。いいとこなのかい?」
「なんかここにちょっと似てるよ。温泉はないけどさ」
「ほーかほーか。そんなら、のんびりしてきんしゃいな」

 婆さんはそう言ってシワクチャの体から湯を滴らせながら出ていった。
 シンとなった露天風呂に一人。もう一度空を見上げてみる。いいじゃん、温泉。なんか心があったまったわ。アタシは立ち上がり寒空に向かって大きく伸びをしてみる。うん、メチャ気持ちいい。
 もしここにゆーだいさんが居たら。一緒に露天風呂入れたら…
 いい事を思い付く。二次予選を無事突破したら、こんな露天風呂のある温泉に連れてってもらって、一緒に入る。よーし。明日、お願いしてみよっと。

 寝る前にちょろっとアドレスの確認したくなったんで、フロントに預けているゴルフバッグを取りに行く。
「少々お待ちください、日向さま」
 さま、なんて言われて… へへ、なんか小っ恥ずかしいわ。待ってる間スマホをちょいちょいいじっていると、
「あの、日向さま? 本日はゴルフバッグ、お預かりしていないようですが…」
 おっと… そーだったそーだった! ホテル着いてあまりに腹減ってたんで、レストランの横に置いたまんまにしたんだった。やべ、取りに行かねえと… まさか無くなったりしてねーよな…

 …ねえ。置いた場所に、バッグがねえ。

 慌ててフロントに戻り、
「レストランの横にゴルフバッグ置いといたんすけど、知りませんか?」
「ちょっとお待ちください」
 いや、まさか。あんなん持ってく奴、いねーだろ…
「日向さま、こちらには届いておりません。何時位に置かれました?」
「えっと…六時過ぎかと…」
「少々お待ちください」
 それから十分ほどして、
「日向さま、ちょっとこちらに…」
 フロントのバックヤードに連れて行かれると、パソコンのモニターの前に座らされ、
「このバッグ、に間違いありませんか?」
 モニターにはアタシのバッグがポツンと置いてある映像が写っている。
「そーです、このバッグ!」
「あの、残念ですが…」
 フロントの人がパソコンを操作すると画像が動き出す。早送りしている画像を見てると…
「あっ… こ、この人…」
 なんと! 見知らぬおっさんがアタシのバッグを覗き込み、辺りをキョロキョロ見回すとバッグを担いで行ってしまった…

 おい、クッシー。シャレになってねーよ。何が東と南に気を付けろ、だよ。
 盗難じゃねーかよ、これ!

 それから警察を呼んで、事情徴収(聴取)され、バタバタして部屋に戻ったのは一時過ぎだった… どうしよう。クラブが、無い。明日、どうしよう…
 ずっと頭は真っ白、ベットにねっ転びながらことの重大性が徐々にわかってくるー 明日までに盗まれたクラブ戻るだろーか。もし戻らなかったら明日、レンタルクラブ出来るだろうか? アタシに合ったクラブあるだろーか。
 体は疲れているはずなのに、全く寝れそうにない。ありとあらゆる不安がアタシに襲いかかり、どうしていいか全く分からんくなる。

 そうだ、ゆーだいさん…
 あかん。それだけ、はアカン。
 それに、さすがのゆーだいさんにも、どーしょうも無いだろう。どーにも出来ないだろう。スマホを眺めながら溜息をついていると、弟の大次郎からラインが入る。
『明日、頑張れよ!』
 こんな時間に起きていやがって… 思わず電話してしまう。

「ど、どーしたねーちゃん… 直電なんて初めてじゃね?」
「大、どうしよ、ゴルフクラブ、盗まれちゃった…」
「なん、だってえーー?」
「ハー、参ったわ…」
「ちょ、ちょっと待ってて、ねーちゃん」
 電話を切らずに大次郎が何かバタバタしている。ま、高校生にはどーすることも出来まいが。
「なんだ、みなみ。盗まれたって、本当か?」
 じーちゃん…
 思わず涙がブワッと溢れ出す。

「ど、どーしよ、じーちゃん、父ちゃんのパターが、フェアウェーウッドが…」
「そんなん、どーでもええ、それより、明日の、クラブは、レンタル、出来るのか?」
「分かんないよ、こんな時間じゃ。分かんないよ…」
「ふむ。よし。わかった。みなみ、お前は、もう寝ろ。俺が、何とか、するから」
 そう言うとガチャっと電話が切れた。キレた。

 じーちゃんが何とかするって… まさか車運転してアタシの予備のクラブ持って来てくれるのか?  いやいや、膝悪くしてからじーちゃんは全然運転してねーし。じゃあ母ちゃんが? いやいや、あの人はそんな事ぜってーしねえ。
「自分のせいでしょ! 自分で何とかしなさいっ」
 がオチだろう。
 深夜の宅急便とか? バイク便?
 ハーーーー。

 ま。じーちゃんがこう言うから、仕方ねえ。
 寝るか。
 横になる。ダメじゃん、無くなったクラブのことがすぐに頭に浮かんできやがる。あかん。寝なきゃ。明日になれば、目が覚めれば何とかなる!

 目を瞑り、ゆーだいさんの事を思い浮かべる。ゆーだいさんと行く露天風呂の事を妄想する。川のせせらぎがすぐそこに聞こえる、緑に囲まれた露天風呂。ホッコリとあったかいお湯。そんで、たくましいゆーだいさんの裸の背中。ねえ、こっち向いてよゆーだいさん…
 むふふ、と一人笑っていると、不思議な事にすぐに意識が遠のいて行く…
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