第4章 第3話

文字数 3,963文字

 電話を切った後。ふと考える。

 みなみ以外の女子に、これ程お金を使った事があるだろうか、と。しかも彼女でもない、狙っている子でもない子に、俺はどうしてこんなに散財しようとしているのだろうか、と。
 恐らくフルセットで40万円(と市木さんが言ってた)、予備がいるだろうから倍の80万円。中古なら車が買えてしまう程である。
 みなみにもここまで散財した事はない。去年のボーナスでヴィトンの財布が10万円程度だった気がする。

 コロナ禍にも関わらず、我が社の業績は順調で冬のボーナスが多分それ位出るらしい、リューさん情報によると。俺はボーナスを全てあの子に注ぎ込んでしまうのだ。
 不思議と勿体無い感は全く無いし、見返りも全く期待していない。女子に投資と言えば、そのリターンは殆どが『身体』だろう。だが、正直、彼女の身体には全く興味が… なく… はない?

 ええい。兎に角だ。この投資が彼女の身体目的でないのは断言できる。逆に身体目的で80万円って、どんだけー?ではないだろうか。
 ふむ。もし相手が樫坂の高松ちなみちゃんだったら…… それでも80万円は、無いわ。
 ちょっと自分が分からなくなり、パットの練習がてらにみなみの部屋をノックする。

「うっそー! みなみちゃんに、そんな高いクラブ、買ってあげちゃうの?」
 案の定、みなみはびっくり仰天だ。
「でも。そのクラブ壊した延岡まゆって、ホント強かだね。怖いわ〜」
「へ? どゆこと?」
「だって。わざとやったんだよ。それ」
「まさかー。まゆゆんに限ってそんなことが… だってその後、みなみちゃんにしがみついて泣いて謝ってたんだぜ」
 みなみはフンと鼻を鳴らし、
「そんなんだから、お兄ちゃんは女子に騙されるの。大学二年の時のチアリーダーの事、まさか忘れたわけじゃないよね?」
 んぐうー。痛いところを突くじゃないか。

 大学二年の春。当時人気実力ナンバーワンだったチアリーダーの子に告られ、即付き合い始めたのだが、俺が肩を壊した途端、離れていった。
「もうすぐ一軍入りだったお兄ちゃんを見越してたんだよ。もしかするとプロ入りするかもってね。女子はそれ位強かなんだよ。その延岡まゆって子も」
 そんな筈は… だって昨日も今日も、こんな俺にメッセージくれちゃうあんないい子が…
「怖いと思ったんだよ、みなみちゃんのコト。このまま順調にプロになったら、絶対自分を追い越すって分かったんじゃない。だから今のうちに叩き潰しておこうってさ」
 みなみいー。お前、いつからそんな良くないことを考える子に…
「えっと。ほら、これ。延岡まゆのブログ。『今日はイケメンプロ野球選手とランチでーす』だってさ。このご時世に。全然、反省してないじゃん。」
 こわ。女子、怖!

「一緒にラウンドして敵認定する。まず大切な思い出の籠ったクラブを完膚なきまで破壊する。次に敵が好意を持つ男に近付く。そして横からちょっかい出す。敵は精神的にズタボロ、ゴルフどころでは無くなるーって感じじゃない。」
 みなみー 俺、どうすれば…
「知らないよ。ってか、この事ちゃんと陽菜に話してる?」
 最近。俺が家に帰ると、陽菜が我が家にいることが増えた。お袋とみなみと三人で夕食を作っていることもある。
「ゆーだいくんの好きな味、覚えなきゃでしょ?」

 先週、突然髪の毛が黒になり、カラコンをやめて普通の眼色に戻り、その辺に良くいる女子大生みたいな服装の陽菜との会話が、これまで以上に増えている。
 でも流石にこの話は陽菜には関係ないから話していない。あれ以来、ゴルフの話も殆どしていない。
「いや。話さない。それよりさ、これって人道的に倫理的に、良くない事かなあ?」
 みなみは腕を組み、うーんと唸りながら、
「第三者的な視点からだと、美談だよね。別にお兄ちゃんはみなみちゃんの身体目的とかじゃないんだし。だよ、ね?」
 おう。と深く頷く。
「まあ、応援しているゴルフ選手の卵が困っているから、余裕ある分で援助する。身体抜きで。でしょ?」
 おう。更に深く頷く。
「まあ、良いんじゃない、お兄ちゃんらしくて。でも、本当はお兄ちゃんさ、」
「何だよ」

「みなみちゃんのこと、好きなんじゃないの?」

 一瞬、何も言い返せなかった…

 それを誤魔化すように、
「いや。俺が好きなのはお前の方のみなみだぞ」
 みなみは嫌そうな顔で、
「それ、もうやめようね。本当にキモいから」
 いつもなら悶絶死確定の一言なのだが。みなみの一言が地味に頭から離れない…
「そろそろ、妹離れしなくちゃ、でしょ。でないと、結婚出来ないぞ。」
 頭に残っていたみなみちゃんへの想いをそっとフォルダに放り込み、目前のみなみを見つめる。別に、他の女と結婚なんかしたくねえし。
「それ、陽菜に言える?」
 無理。絶対、無理。
「あの子、今必死だよ。お兄ちゃんのお嫁さんになるために。ママにレシピ教わったり、料理教室通い始めたり。どーする、お兄ちゃん?」

 …… 陽菜と、結婚…
 確かに。顔の好みで言えば、(みなみを除けば)断然陽菜だ。みなみちゃんは俺が好みのアイドル顔からは一線を画したしっかりした顔付きの、どちらかと言えば美人顔、である。
 体型も、俺は細くて華奢だが豊満な感じが好きなのだが、みなみちゃんはがっしりどっしり、安定感が半端ない。腕と太腿は俺ほどではないが、女子としてはあり得んくらい筋肉で覆われており、肩幅はほぼ俺と同じくらい広い。胸は目を向けてはならない地域に指定済みだし、何より今の坊主頭には全く女子を感じる事はない。
 ただ。膝下の長さと、スッと伸びた細さは魅力的だ。スカートを履いた時には思わずガン見したくらいに。

だが。
 俺は、何故そんな女子に、援助しようとしているのだろうー
 まさか、みなみの言った通り、俺はみなみちゃんの事…?

「それさ、やっぱ陽菜には内緒にしとき」
「だろ?」
「じゃなくて。多分ね、お兄ちゃんとみなみちゃん、繋がってるよ」
「へ?」
「魂が。ソウルが。繋がっているんだよ。だからお兄ちゃん、放って置けないんだよ」
「なんだよそれ? 意味がわからん。」
「だからね。多分、前世でなんかあったんだよ、みなみちゃんとお兄ちゃん」

 出た… みなみスペシャル…
 昔からかなりスピリチャルに興味があって、俺も親父も相当それに苦しめられてきた。例えば服の色だとか。例えば玄関の置物だとか。
 初詣とかで神社仏閣に行くと、そのマナーには殊更厳しく、昔は何度もダメ出しされ、お参りのやり直しを何回させられたことか。

「だって。全然タイプじゃないじゃない。寧ろ真逆なんじゃない? なのにこうして気にかかって困っていると助けたくなる。メールの返事が無いと、オロオロウロウロしちゃう」
 んぐ… 流石俺の妹。良く見ている…
「それって絶対、前世からの因縁なんだよ。だかr… ちょっとお兄ちゃん、まだ話が…」
 俺はパット練習に参ることにし、みなみの部屋を出る。

 翌日、俺は仕事を3時で切り上げ、一旦帰宅し車で大多慶に向かう。ゴルフショップの店長はみなみちゃんの事を良く知っており、
「じゃあ、大体良い感じのクラブ、用意しておきますから」
 と言ってくれている。

 平日の夕方。だが車の流れはそれほどでもなく、アクアラインの海底トンネルを悠々と通り抜ける。通い慣れた道なのだが、いつもは朝早くなのでいつもと違う風景の色合いに、軽く心が躍る。
 東京湾を渡りきり木更津のアウトレットを左に見る頃には既に4時半だ。急ごうとアクセルを踏み掛けるが、この先は覆面パトカーの名所なので、焦る右足を宥め、法定速度を遵守する。
 結局、クラブハウスには5時10分頃に着く。すっかり辺りは暗くなっていたが、またもやゴルフ場の入り口でみなみちゃんが足をブラブラさせながら腰掛けているのを俺の車のヘッドライトが照らし出す。

 暗闇の中に照らし出された、さながら深夜のアクアラインの海ほたるの輝きの如きその姿に何故か胸がキュンとなり、顔が赤くなるのを感じるー
 ったく。みなみのやつが変な事を言うから。俺がみなみちゃんの事が好き? んな訳ないだろうが。まだ10代のこれから羽ばたき光り輝くあの子がこんなオッサンの事なんか…
 それに、俺とみなみちゃんが前世からの繋がり? それって、前世では夫婦だったの? それとも彼氏彼女だったの? 殿と側室? 大尽と花魁? まさかの殿と小姓?

 俺が車を転回させると、テケテケと駆け寄って、
「どもー。よろしくオナシャス!」
 といつもの感じで助手席に飛び乗ってくる。
 それからカーナビに従って館山道を北上し、千葉市に向かう。千葉市の外れにあるゴルフショップまでの間、俺たちはこないだのラウンドの事で大いに盛り上がる。

「俺さ、目の前でホールインワンが観れるとは思わなかったわー。あれ、何回目?」
「初めてだし。アタシだって初めて見たし。」
「えー、そうなの? プロとかなら良くあるじゃん?」
「そーでもないっしょ。少なくともあの場にいたプロは経験ないってさ。」
「そっかあ。でも、あの時のまゆゆんの悔しそうな顔、見た?」
「見てねえ。何、引きつってた?」
「みなみちゃんの事、殺しそうな目つきだったよ」
「マジか。今度、〆る。」
「先輩じゃない… さておき、来年の1月か2月、まゆゆんが又みなみちゃんと回りたいって。何故か俺も一緒に…」
 一瞬怪訝な顔をした後、
「いーんじゃね。かかって来いやコラ。こっちはおニューのクラブで返り討ちしてやらあ」
って、その坊主頭で言われると、マジ怖いんだけど…
「いっその事、真っ赤に染めちゃおうかな。なんちって」
 それだけは、やめような。変なバスケ好きのオッサンにバカ受けしちゃうからな。

 なんてアホな事を話しているうちに、どうやら目的地付近に着いたようだ。
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