第1章 第10話

文字数 2,485文字

 寮の寝床に入る。
 いつもなら秒速で意識を失うのに、今夜はいつまで経っても意識は鮮明なままである、いやむしろ午後のラウンドが頭に鮮明に蘇ってきては腹を抱えて一人笑っている。

 ゴルフをしながらあれ程笑ったのは初めてだ。今まで笑えるゴルフなどしたことがなかったししようとも考えたことはなかった。
 狙ってもアレは出来まい、池に突き刺さったドライバー。
 … ダメだ、アカン。あの光景は一生忘れることが出来ないだろう。

 あのチャラ男がやったのなら「バーカ」の一言で済んだのに。
 あのデカ男がやったからーあの真面目で堅物のデカ男が。きちょーめんで細かいアイツが。アタシよりずっとデカくてずっと大人なアイツが。何事にも動じずピンチに強そうなアイツが。
「ごめん… ありがと… ブヒャヒャヒャ」
 あのキモい笑いと意外にイケてる笑い顔。
 思い出すだけで、笑いが込み上げてくるし。
 結局寝付いたのは十二時過ぎだった様で、翌朝起きるのが大変だった。

「みなみちゃんー、風邪引かなかった? 大丈夫? いひ」
 おねえ言葉と気色悪い語尾がなければ、心優しく実に有能なキャディーマスターとして大いに尊敬するとこなんだけど。
「ったく。クッシーさんの予言、まーた当たっちゃったんじゃんか。たまにはいい予言しろよな!」
 
そう、今まで数々の不吉な予言〜
・毛皮に気を付けなさい = 隣のホールからファーの声なく頭スレスレに球が飛んできた
・猪突猛進はダメよ = 14番ホールのグリーン奥から猪が飛び出し、追っかけ回された
・神の怒りに注意なさい = 7番ホールの雷待機小屋に雷雨のため三時間缶詰め状態に

「そんなの、知らんわよ。みなみちゃんの顔見ると、パッと頭に閃くんだから」
「チョーいい加減だし。もうこれからは、言わんでいいし」
「それじゃ面白くないじゃない。ちゃんと伝えるわよん いひ」
 昨日は池ですっ転び全身泥まみれになって大変だったが、久しぶり、というか人生で初めてあんな高級な肉を腹一杯詰め込んだお陰で、風邪どころか鼻水一筋出やしない。時節柄、咳なんて出始めたら「え、コロナ?」なんて思われちゃうので、体調管理は十全(十分?)にしておきたい。

 えっと。今日のお仕事。午前中はお客さんのクラブをカートに乗せる。ハーフを戻ってきたお客さんに昼食の案内とクラブ拭き。
 午後二時の最終組がスタートした後は、自分の練習時間の始まりだ。今日は徹底的にセカンドショットの練習をしよう。昨日の17番でたまたま打てた5Wでの206ヤードのセカンドショット。これをいかに再現出来るか。そして何度も再現出来るか。
 今日はクッシーの不吉な予言もなく、日没まで心置きなく練習が出来るだろう。昨夜美味いもん食い過ぎたんで、17番まで走っていくか。

 アタシはボールをしこたま入れた袋と5Wのみを握り締め、走り出す。高校の時の陸部をちょびっと思い出す。あの頃も練習は一人。今も一人。人間、生きていればいつかは一人。
 今までもこれからもアタシの一人練習は続くだろうし、全く問題ない。のだがーどうしても昨日のアホみたいなラウンドが頭から離れない。いや厳密には心から離れない。もっと言えば魂から離れない。
 心技体の調和がもたらすナイスショットを打つには?
 それには喜怒哀愁(哀楽!)を押し殺し無心で打つべし。
 そうじーちゃんに教わり良太さんに叩き込まれてきたアタシのゴルフが、たった一ラウンドで脆くも崩れようとしている!
 喜怒哀愁(…)を発散し、そして消す。
 そんな簡単なことで体から余分な力が消え去り、周囲の音が消える程集中力が増し、無心のスイングから放たれたボールは望みのままに飛んでいく。

 これが噂の守離刃(…)だか守破離(!)とかゆーやつなんじゃね? よく知らんけど。
 最初は人から教わってその真似をし、その内自分流のコツを見つけ、やがて最初の教えから離れて己の道を歩き始める。んな感じ、なハズ。多分。
 でもこれって、外国人選手はよくやってるじゃん。ミスった後、大声でわめいてクラブ叩きつけて。んでひとしきり暴れたら、次のショット前にはスッと冷静になって何事もなかったかのようにナイスショット。
 
 まさに昨日の17番のアタシの5Wでのセカンドは、それだった。
 あのデカ男がアホな事をやり大笑いし、池にハマってゲキ切れし、それから開き直って全てを消して打ったあの一打。
 ひょっとしたら、人生イチのナイスショットだったのでは。
 常にあのショットが打てたなら。
 いや。常にあのショットを打つ。もしダメでも限りなくアレに近いショットを打てるようにする。絶対。そうすれば予選会なんて屁でもない。最終予選も怒楽勝(?)だ。

 でも流石にラウンド中にいきなり大笑いして急に鎮まりショットを打つ、訳にはいかない。のであくまで心構えとしてそう打ちたい。そうありたい。
 17番ホールにつき、昨日のセカンドショット付近に立たずむ。ボールを袋から転び出し、グリーンに目を向ける。
 延岡まゆの見下した顔を思い出す。腹が立ってくる。そのイラ立ちを、消す。全集中の呼吸で、消す。目を閉じ深く息を吸い、肺を大きく膨らませ、血液を体の隅々まで行き渡らせるイメージだ。
 ゆっくり吐き出す。
 ………
 パシュっ
 意識を戻す。うん。ナイスショット。
 今度は延岡まゆが私を怒鳴りつけたのを思い出す。腹が立ってくる。その苛立ちを……

 日が暮れるまで繰り返したら、へたり込むほど疲れ果て、とてもボールを拾いに行く元気が無くなってしまったのだが、一球残らず拾わないとグリーンキーパーのテツさんにぶっ殺されるから、やむなく力を振り絞り立ち上がる。そしてヨボヨボとグリーンに歩いて行く。
 道、未だ果てしなく遠し
 行くも一人 途中で倒れるも一人
 その覚悟なかりましかば
 引き返さんこれまでの道のり
 B Y じーちゃん。

 グリーン上および周辺に錯乱(…)している100球近くのボールの亡骸に深く溜息し、暮れゆく夕暮れの中、ただ一人ボールを拾う自分を叱咤する自分に、今日も覚悟を問いかけるアタシである。
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