第7章 第5話

文字数 2,535文字

 思い出すだけで、腹筋が痛くなる。
 あの、ゆーだいさんの慌てっぷり。

 今はすました平常運転だけど、さっきはマジ慌ててて、チョー笑えた。って人のことは言えねーんだけど。
「朝ご飯、しっかり食べろよ」
「ゆーだいさんも、サービスエリアかどっかでちゃんと食べなよ。一旦家帰るん?」
「いや。直で会社行くわ。」
「そっか。気をつけて、ね…」
「ああ。夜、ラインする。明日は何時スタートだっけ?」
「9時18分。」
「わかった。取り敢えず、今日のハーフラウンド、しっかり!」
「あい」
「昼飯も、夕飯もしっかり食って、今夜はよく寝ろよ」
「あい」
「応援してるから!」
「あい」
 今度はちゃんとゴルフバッグを下ろし、ゆーだいさんは立ち去った。車が見えなくなり、袖で目をこすり、アタシは戦闘モードに入る…

「ありがとうございましたあ、明日からよろしくおなしゃす」
 午後のハーフラウンドを終え、明日から共に戦う同伴者にお礼を言う。彼らは三人で午前のハーフを回ったところに急きょアタシが加わったので、ちっと迷惑かけちゃった。
 理由を話すと(単に寝坊、とだけ言っといた)三人は爆笑し、
「あんた大物だね。初の受験なのに」
 アタシのドライバーショット見て、
「あんた… 何者?」
 ハーフを36ちょうどで周り、
「名前、なんてったっけ?」
 どーやら三人から、ライバル認定されたらしく。

 ホテル行きのバスに乗って、今日のラウンドを振り返る。大体がノートに記した通りだったが、グリーンの傾斜なんかはやはり直接体感して正解だった。っつーことは、アウトの9ホールは体感できなかった訳だが、まー、なんとかなんだろう。
 こんなちゃんとした大会(競技会)に出場すんのは初めてなんだけど、今日一緒回った三人を見て、ああこれならなんとかなっかも、明日からは自分のゴルフだけに集中しよっと、そう決意する。
 前回の予選結果によると、まー大体3日間54ホールで一つもぐるくらいで一次予選突破、って感じみたい。なので、今日のハーフを最低ラインにすれば、まーなんとかなんじゃね?

 この一次予選にはシード選手とかは出てこないんで、マジ自分との戦い、だ。他人に惑わされず、己のスコアを一つでも上げる。これに尽きる。らしい。良太さん曰く。
 二次からはナショナルチームのメンバーとかも入ってくるし、最終予選にはアマの大会優勝者や女子オープンのローアマなんかも入ってくるから、気を引き締めてかからにゃ、いかん。涼太さん曰く。
 何だかんだで今日はあんまし寝てなかったので、ホテルで夕飯食べたら速攻眠たくなる。明日は六時のホテル発のバスに乗らにゃならない。5時半には起きなきゃ。
 ゆーだいさんにチャチャっとラインを送り、その返事を待たずにベッドに入る。一瞬にして意識を失った。

 5時きっかりに目が覚める。目覚ましは5時半にセットしたけど、なんか早起きして得した気分になる。
 まだ外は真っ暗だが、初日なんで少し気合を入れるためにホテルの周りを軽くランニングすることにする。
 スマホの天気情報によると、今日は曇り。気温は今現在4度。まあ、寒い。吐く息は白く、吸う空気はそこそこ冷たい。

 昨日はバタバタしてたんで、この辺りの分(雰)囲気なんて感じる余裕がなかった。まだ暗くてイマイチ分かんねーけど、J R何ちゃら線の磯部っていう駅近にホテルがあって、なんか大多慶の町にちょっと似てる気がする。
 走りながら街並みを眺めてると、どーやらこの辺りは温泉街らしく、あちこちにちょっとした民宿や旅館が立ち並んでいる。千葉には温泉街がないんでちょっと新鮮だ。
 アタシはあんま風呂が好きでなく… ゆーだいさんに言ったら嫌われそーなんだけど… シャワーで体洗ったら、ドブんと入って2、3分、ってとこなのだ。じーちゃんと母ちゃん、そんで二人の弟は温泉が大好きで、三日月に行くとやたら風呂が長えのがウザい。

 まあせっかく温泉街に泊まるんだから、一回くらい温泉に入ってみてもいーかな。じーちゃんや母ちゃんをうらやましがらせてやる。ふふふ。
 しばらく走ってると、ちょっとした川が見えてくる。橋のたもとに碓氷川って書いてある。有名な川なのかな、この川も大多慶の町にある夷隅川に似てる。
 何だか、いいな、こーゆーの。あんまし大多慶から出たことのないアタシにはメッチャ新鮮でいい。これから二次予選、最終予選、そんでプロになって日本中のツアーに出れば、こんな風に色んなとこに行けるんだ。
 
 川にかかる橋から碓氷川をボーッと眺めていると、川の上流の山々がうっすらと明るくなってくる。結構高い山があるけど、あれがゆーだいさんが言ってた浅間山ってやつなのかな。千葉には無い高い山が徐々にその姿をクッキリと見せ始める。みるみるうちに空がぼんやりと明るくなり、あたりの景色が浮かび上がってくる。
 目を閉じてみる。川のせせらぎが耳に入ってくる。大多慶とは違うちょっと湿った空気の匂いが鼻をくすぐる。
 空は一面の雲、残念ながら朝日は拝めまい。よーし、頑張るぞおと(多分)浅間山に向かって叫び、来た道を戻り始める。

 6時のバスに乗り、途中何箇所か宿舎を経由し、安中カントリーに到着する。昨日一緒に回った女と目が合い、目礼する。皆キンチョーした表情で、ああこれが予選会なんだ、と思い知らされる。
 さっき軽く走ったんで、メチャ腹へったからまずは食堂で朝飯をかっこむ。そーいえばここのクラブハウスも大多慶カントリーと同じくらい古くて似てる。スタッフのおばちゃん達も朗らかで、メチャ和む。ただ、飯は大多慶の方がすこーし美味いかも。
 
 ゆっくりと飯を食ってからストレッチ、柔軟運動をして練習場で軽く打つ。アプローチとパットの練習を集中してやってると、あっという間にアタシのティーオフの時間がやって来る。
 初日の今日は運良くインスタート、すなわち昨日回った方だ。よし。前半からガツガツ行こう。そんで昨日回れなかったアウトは伸張(慎重)に行こう。
 今日の目標は、そーだな、2アンダーかな。
 ゴルフバッグの中の愛するデカ男こと430が「早く、早く打たせろ!」と大声で喚いている気がして、アタシも冷たいアドレナリンが脳内に満たされていく。
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