第5章 第2話

文字数 2,401文字

 まあ酷い酒癖だ、この二人は。

 学生の頃から良く通っていた桜川のセメント通りの焼肉屋を出る頃には、二人とも完全に呂律が回っておらず、コレでは明日の朝まで仲良く撃沈であろう。ザマみろ。
 この二人をとっとと横浜に送って行き、みなみちゃんを送って帰らねば。
 当初の予定では二人きりでいつもの焼肉を食べて、だったのだが。リューさんのまさかの段取りに付き合わされ、大分予定が狂ってしまった。
 みなみちゃんの門限が気になったが、どうやら今夜は実家に泊まる事にしているので、多少遅くなっても大丈夫そうだ。
 少し二人きりでゆっくりもしてみたいが、彼女は明日の朝も早いだろう、あまり遅くまで引っ張り回してはならない。

 時計を睨みつつ、車を横浜に走らせる。
「なんか、ごめんね遅くなって。明日も早いんだろ?」
「あー、なんか明日は午前中休み取ったんで。大丈夫っす」
「そっか。でもあまり遅いと体調崩しちゃうからな。なる早で送るから」
 曖昧な笑顔でみなみちゃんが頷く。

 本当は。

 本当の気持ちは、みなみちゃんと朝まで一緒にいたい。
 でも、それは出来ない。

 俺はこの切なさを飲み込んで、アクセルをギュッと踏み込む。その加速感が飲み込んだはずの切なさを喉まで押し返そうとする。

 一応有名人なのだから、帽子、サングラスまたはメガネ、マスクで顔を隠さねば、とまゆゆんを振り返ると、大きく口を開け、鼾かいている。この寝顔はまゆゆん信者は決して見ることは出来まい、俺はニヤけ顔に自ら頬うち、
「みなみちゃん、まゆゆんに帽子、メガネ、マスクかけてやって」
「ほーい。チャラ男はどーします?」
「このままでいいっしょ。そんでさ、俺がリューさん担いで行くから…」
「はーい、まゆはアタシが担いで行きまーす」
 
 赤煉瓦街に程近いシティーホテルの駐車場で、俺とみなみちゃんはそれぞれ自分の荷物を担ぎ、フロントへ上がっていく。俺たちのこの姿、滅茶苦茶怪しい。
 フロントの係の人も呆れ顔で、
「お連れ様が? え? そちらの? えっと…」
「僕の背中にいるのが予約した小林です、一緒に泊まるのが… 彼女の背中にいる女性です」
「で、ではご宿泊の手続き…」
「僕がします…」

 背中に白アスパラガスを背負いながら、俺はチャチャッと手続きを済ませる。連れの名前は陽菜にしておく。
「この二人を部屋に送ったら、僕らは帰りますので」
「しょ、承知しました… あの、お疲れ様でした」
「でしょ? 大変だったよ、ホント」
「是非、またの機会にお二人でいらっしゃいませ、お待ちしております」
 俺とみなみちゃんは目を合わせ、二人して赤面してしまう。

 リューさんが取っていたスイートにチェックインし、キングサイズベッドにリューさんを放り投げる。みなみちゃんもまゆゆんをポイとベッドに放り投げる。
「へへっ 後でつべこべ言われないよーに、写メしとこっと」
 と言って、みなみちゃんは二人の酔いつぶれた姿を面白おかしく写真に撮る。俺もちょっと面白くなって、まゆゆんとリューさんの頬っぺたに軽く落書きしてみる。その顔をみなみちゃんがギャハハと笑いながら動画で撮る。
 コレをYouTubeで流せば、まゆゆんは一巻の終わりだ… 脇が甘いぞまゆゆん!

 ひとしきり楽しんだ後、寝室の電気を消してやると部屋が真っ暗になる。
「うわーーー チョーキレーーーーー」
 みなみちゃんの声が裏返る。
 声の方を見ると、確かに。暗く奥深い横浜港を背景に、観覧車が光の回転を振り回している。見下ろすビル群の幾多の光が地上の星の如く揺らめいている。
 コロナ禍とはいえ、クリスマスの夜景が余りに美しく瞬いている。

「いーなー、ゆーだいさんたち…」
「へ? なに?」
「アタシらはさ。こんな景色一生見ることないよ、今のままじゃ…」
 言葉が出ない。
「いい成績で高校出て、いい大学いって、いい会社入らないと。こんな景色、見れないんだよね、フツー。」

 俺は何も言えず、そっとみなみちゃんの後ろに近づく。
「でも、アタシだって… ゴルフ頑張れば、アタシだっていつかこの景色をまた、見れるよね?」
 みなみちゃんが俺を振り返る。大きく見開いた目に、俺の顔が映っている。
 一歩、近づく。急激に体温が上昇するのを感ずる。
「ああ。来年の今頃は、きっとこんな夜景を勝ち取っているさ、みなみちゃんは。」
 半歩、彼女が俺に近づく。
「そーだといいなあ。でも。アタシ一人で見るのかなあ?」
 俺は視線を外し、窓の外の夜景を見る。

 ごめんみなみちゃん。俺と二人で、と言えないよ。
 でも、言いたいよ。来年は二人でこの景色見ようね、そう言いたいよ。
 来年も、再来年も、ずっと二人で見続けたいと、言いたいよ。

 俺は口を開くことが出来ず、窓の外の景色を眺める。するとみなみちゃんがまた半歩俺に近づく。俺の目の前に、だいぶ伸びてきたがまだ短い髪の毛が色とりどりの観覧車の光を反射している。
「なーんて。当然だし。ゆーだいさんは彼女さんと見るんだもんね。」
 俺は両手の拳をキツく握る。目の前で俺は途轍もないものを逃そうとしてはないか?
「今日だってクリスマスなのに。ごめんね、大事な夜にアタシなんかと居てくれて」
 目を固く瞑る。でないと涙が溢れてきそうだ。
「でも、ゆーだいさん… お願い…」
 みなみちゃんが俺の左肩におでこを乗せる。

「あとちょっと、このままでいさせて…」

 両手でキツく抱きしめたい誘惑を必死で堪え、左手だけ彼女の背中にそっと置く。だが、彼女の吐息を左胸で感じた時、俺の脳はこれ以上堪えることが出来なかった。
 背中に回していた左手を強く引き寄せる。彼女が小さくうめき、俺の胸に密着する。
 これでいい。
 思い残すのは嫌だ。後悔だけはしたくない。
 右手を彼女に回し、きつく抱きしめー

 ピロロ ピロロ ピロロ

 ラインの着信音が静まり返った部屋に響き渡る。

 みなみちゃんは静かに俺から離れていく…
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